外から分からない「生きづらい」原因を抱えて生きること。
皆さんこんにちは、澤です。
前回の記事も、とてもたくさんの方に読んでいただいてうれしいです!
今までで一番たくさんの「スキ」をもらえました。感謝です!
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さて、今回のテーマはこちら。
スポーツ観戦の場で、感覚過敏の人たちに配慮するという試み、初めて知りました。
スポーツや音楽イベントの開かれるスタジアムでは、非常に多くの音や光がひっきりなしに飛び交うので、感覚過敏の人たちにとってはなかなかタフな場所です。
実は、ボクも心療内科でADHDの診断を受け、典型的な聴覚過敏の特徴を持っています。
昔から大きな音が苦手でした。
ガラスや陶器が割れる音や車のクラクションの音は本当にダメで、一瞬身体が硬直して、脈拍が一気に上がります。
特に苦手なのは、人の大きな声。
怒鳴り声や子供の泣き声は、慣れることは一生ないと思います。
怒鳴り声が苦手なのは、先天的な部分と経験によるものの相乗効果があるように思います。
ボクが小さかったころ、とにかく一番上の兄が怒鳴り散らすのをよく聞いていました。
たいていの場合、その矛先はボクに向いていました。
10歳年が離れていたので、反抗する力はボクにありません。
一方的な攻撃対象にしかなりえない存在でした。
おまけに、HSP(Highly Sensitive Person=俗にいう「繊細さん」)の傾向も強いので、怒鳴られた時の精神的なダメージは非常に大きく、なかなか立ち直ることができませんでした。
そんな人間が、昭和の時代の教育システムになじめるわけもなく、きわめて強いストレスをずっと抱えたまま小中高の学校生活を過ごしました。
昭和の学校なんて、怒鳴り声がしないことなんてないですからね。
根っこが繊細な上に団体行動が苦手な人間にとって、学校生活は快適とは程遠いものでした。
そういう子供はどういう扱いになるかというと・・・
「協調性がなく、精神的に甘えがある」
こうなりますよね、当然。
ADHDもHSPも外からは認識できるものではありませんし、当事者以外から見れば「落ち着きない奴だな」「細かいこと気にするやつだな」としか映らないでしょう。
実際ボクもそう思ってましたし、長年そう思い続けたおかげで自己肯定感がめちゃくちゃ低い人格が爆誕したわけです。
最近は、ADHDやHSPといったものが一つの「特徴」として認知されるようになり、ボクのようなポンコツもずいぶんと生きやすくなってきました。
ボクのかみさんもADHD仲間で、お互いのポンコツを支えあいながら、時には支えきれなくなって共倒れになりながら、ガタピシと楽しく生きることができるようになりました。
本当に幸せな人間です。
でも、世の中にはまだまだ周囲の理解が得られずに「なんでちゃんとできないんだ!」とか怒られて、へこんでいる人もたくさんいますよね。
大丈夫、世の中きっといい方向に進んでくれます。
だからこそ、前述のようなサービスが生まれたりしてくるわけです。
生きづらさを抱えている人、もっと主張しちゃいましょう。
ボクは微力ながらも応援してますので。
※トップの写真は、たぶん10歳くらいの頃のボクです。ずいぶんと難しい顔してますね(笑)