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経営者として子供の教育について悩む~VUCA時代の企業経営現場と詰め込み教育とのGAP~

こんにちは、リデザインワーク代表&ベーシックCOOの林です!
日々楽しくも悩みながら3人の子育てをしています。
その中で、一番上の子供がこの春から小学3年生になり、同じ学年の子供たちの中でも中学受験の準備が早くも?進み始めている中で、そもそも受験をさせるべきか?僕自身、子供にどういう教育をしたいのか考えてみました。
あくまで一人の親としての悩みをまとめてみます。

学校教育(まして受験勉強)と企業現場で求める人材像とのGAP

今後子供に莫大な時間を投じて取り組んでもらうかどうかを考える受験勉強と企業現場で求める人材像とのGAPがとても大きいことから始めます。

受験勉強では、唯一の正解を、暗記を軸に独力で解答していくことが求められます。一方、企業現場で私たちが求めたい人材は、「課題設定」が出来、多様な人とコミュニケーション・思考を重ね、「複数の納得解」を導き出すことができる人材です。

簡単に比較すると、下記のようなGAPが存在しています。

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社会が変われば、必要とされる人材の資質・能力も変わってきます。
ワークス研究所が発刊しているWorks vol.164にも詳しく書かれています。

ある国において大学進学率が15%未満のときの大学はエリート型と定義されます。この段階ではエリートや支配階級の精神や性格の形成が大学の役割です。15~ 50%のマス型では、専門分化したエリート養成に加えて、社会の指導者層の育成が大学の役割となります。そして、50%を超えるとユニバーサル・アクセス型と定義され、この段階での大学の役割は産業社会に適応し得る全国民の育成となります。

これまでの工業化社会では、欧米をキャッチアップすることを目指して産業が発展していました。そこでは、1つの正解があるという前提で、大量の知識・技能を習得し、再生できる情報処理力が求められていました。

これからは知識基盤型社会に変わっていきます。お手本がないなかで未知の課題に取り組むため、もはや1つの正解は存在しません。ですから複数の納得解を導き出すことが必要になる。このような社会では、知識・技能の習得も大事なのですが、思考力・判断力・表現力によって知識・技能を活用する力、いわば情報編集力が求められるようになります。

日本においても、1990年の大学進学率は24.6%でしたが、2019年には53.7%と約2倍に上昇しています。この30年で、日本での大学教育もユニバーサルアクセス型に移行しており、大学の役割も、「産業社会に適応し得る全国民の育成」に変化してきたことになります。また、産業社会に必要な人材が大きく変わっている中で、教育の在り方も変わっていく必要があると思います。

個人的には、試験にスマホやPCを持ち込み不可である理由がわからないですし、チームで問題を解くのではなく、個人で問題を解く理由がわからないです。実際の企業現場では、記憶×個人技で頑張ってね!ということはありません。この辺りをどんどん早いスピードで変化させていかないと、長い時間をかけて将来のタレントを育成する教育現場と、企業経営現場で求める人材のGAPは益々広がっていってしまうのではないかと危惧しています。

教育改革がなかなか進まないために、悩む

ここから本格的な悩みになっていくのですが、僕自身は子供たちに、
・生き生きと好きなことに取り組んで生きていってほしい
・情報編集力・課題設定力・チームビルディングなどの基本スキルを
 身に着けてほしい
・生涯を通じて学び続けられる人であってほしい
と願っています。

例えば、一番上の子供は、ロボットプログラミングや、化学の実験が好きで、楽しみながら一生懸命に取り組んでくれています。また、サッカーなど体を動かしながら、チームで共通のゴールに向かう体験も楽しんでやってくれています。
まわりでは、小学校4年生くらいからは受験勉強一色となり、運動系の習い事を辞め、受験と関係のない習い事なども辞めていく人が多いです。
僕自身は、上記の受験のプロセスや従来型の教育への疑問を感じながら、子供に多くの時間を割いて、記憶学習をさせていくことはやりたくないのが本音です。
もちろん一定の基礎学力はすごく大事だと思っていますが、重箱の隅をつつくような知識は必要ないのではと思っています。

では、受験や、従来の教育に割く時間を最低限にすればよいじゃないか!ということで、家族や親せきにも少し話をしてみたのですが、「考え方はわかるけど、社会が思いのほか変わらなかったときに子供の可能性を狭めないのか?」という問いが返ってきて、悩みが深くなったという、今ここです。

要するに、10年後子供たちが実際に大学を選ぶ際に、これまでのような偏差値や各種ランキングを物差しとした順位付けから脱却できているのか?
15年後に社会に出るときに、企業側がジョブ型にアップデートできていて、従来の新卒一括ポテンシャル採用から脱却できているのか?

という問いだと思います。例えば、化学に特化して徹底的に特技を磨いた際に、学びたい大学に入る際には、記憶型の偏差値試験のままだと子供の可能性を狭めてしまうのではないか。社会に出る際に、ジョブで得意なことをやれるかどうかわからない採用がまだ一般的だとしたら、子供は社会で結局やりたいことがやれないのではないかという懸念です。

実際、今月の日経の記事からも、教育改革の遅れが懸念されます。

「新しい時代の高等学校教育の在り方ワーキング・グループ(WG)」の人選でも、研究者比率が低く、19人のうち教育制度を専門とする研究者となるとたった2委員です。そのうえ、この研究者2人による様々な指摘の多くは議論のまとめに反映されませんでした。

経営者としての判断と一人の親としての判断との間

経営者としては、将来社会が変わっていなければ、自分で起業するという選択肢もあるし、海外に出て学ぶ、仕事をするなど幅広い選択肢があるので、従来的な教育を目指さずに、特徴的な学校に入って自分で自分の道を切り開いてほしいし、そういう人材になって欲しいと思います。

一方で一人の親としては、上記のようなパイオニア精神をもって頑張ってほしいと思うが、まだ本人の特徴もわからない中でもあるので、既存の枠組みが変わりきらない可能性がある中で、一定程度は既存の枠組みにものっかり、子供の将来の選択肢を狭めない方針を取るべきかなとも思います。
(この方針は、社会で求めている人材像とのGAPもあり、この方針を取ることが実は子供の将来の選択肢を狭めているのではないかとも思うので悩ましい)

まだ答えが出ていない中ではありますが、現在の悩みを書いてみました。
僕が客員教授をさせていただいている情報経営イノベーション専門職大学なども、世の中にイノベーションを起こしていく人材を育成することを目指し、実業で第一線で活躍している講師陣になっていて、とても素敵だと思います。

産業界が求める人材育成を担う教育体系や、多様性のある実践的な大学や高校がもっと増えていき、試験システムも実態のあったものに変わっていく。
そして、産業界もそのような多様な人材を活かしあえるダイバーシティとインクルージョンから価値を生んでいくように進化してほしいと願いますし、その一翼を担えるように頑張って行きたいと思います。

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#日経COMEMO


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林 宏昌(リデザインワーク・スキルキャンバス代表)
経営戦略、人事戦略、働き方について、自身の経験を通じて得た気づきや学びを書いていきます。フォローしてもらえると喜びます! リクルートにて営業→経営企画室長→広報ブランド推進室長→働き方変革推進室長→リデザインワークを創業+ベーシック取締役COO+情報イノベーション大学客員教授