光のありか 印象派から事業プレゼンへの学び
久々の個展
友人で世界的にも活躍している画家の福津宣人さんの個展に行ってきました。彼の絵は、MIYASHITA PARKのエスカレーターホールの天井画としても見ることができます。
当日は、2020年東京オリンピック・パラリンピックのエンブレムを制作をした野老朝雄さん、建築テック系スタートアップVUILDにも所属する建築家の長岡勉さんら、20年来の友人たちと、さまざまな話をする機会を得ました。
その中で、特に印象に残ったのが、「抽象と具象」についてです。
抽象と具象
福津さんの絵には、空気と光が描かれています。
詳細な形状を描くのではなく、光を描くことで世界を記述しています。彼は、筆ではなく、木の実やスポンジなどを使い、形状を描くことなく、広がる風景を描きます。極めて少ないストロークで、その対象を描きます。
事物の形状ではなく、光を描くことで、その空間を空気ごと描いているように思えます。
そして、どこから光が差しているのか、どこに光が当たっているのかが、明確に空間的に示されます。
全体感と集中すべき場所
それを観ながら、自分の仕事について振り返っていました。この観点は、事業を伝える上でも、大切なことではなか、と。
いかにして事業の全体像を記述しつつ、集中すべき事柄を伝えるか。足元の堅実な活動を局所的に語りつつ同時に未来の可能性を大局的に描くことができるか。
そのヒントが 印象画に見出すことができそうに思えました。
ディテールに拘泥することなく、ふわっとビジョンを語るだけでもなく。一枚の絵のように。
異なる視点
面白かったのは、絵を撮影したものを見ると、生の絵を見ているときの抽象感が薄れる、ということです。急に、写実的に見えてしまうのです。
生の絵を見ているときは、見る角度を変えたり、距離を変えたりすることで、絵の具の厚みの見え方が変わったり、ストロークのディテールが見えたり見えなくなったりすることで、絵の表情ががらりと変わります。しかし、撮影すると、それらが消えてしまうのです。
ふと、VRを思い出しました。VRは、左右の目に、それぞれ異なる像を提示することで、脳内で立体視が成立します。
異なる視座を同時に見るからこそ、豊かな情報量が得られるのではないだろうか、と思いました。
はざまに生ずるもの
右目と左目のように、大局と局所のように、光と影のように。異なるものが合わさる、その間に豊かな何かが生ずる。
何かを伝えるとき、この異なる視座を同時に伝えることが、とても大切のように思えました。
大局を描きつつ、焦点を定める。将来的ビッグピクチャーを描きながら、足元の事業展開を伝える。
全体としての空気を描きながら、光のありかを定めること。絵画からの学びを、事業に結びつける面白さを感じています。
11月3日は文化の日です。全く違う世界に触れることで、一気に、広がる世界があります。異なる視点からの刺激は、得難いきっかけになるかもしれません。エクセルから目を離し、美術館へ行く、よい機会かもしれません。
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