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アーティストと政治的発言について

「アーティストは自分の意見や価値観をしっかりと持ち、音楽に反映させてるかは別として、そのアーティストのファンもその生き方に共鳴したり、なんらかの関心を持ち、応援する」ものだと思っていた私にとって、日本でアーティイストに対してファンが「政治的発言をしないでほしい」という言葉を向ける状況は何度見ても衝撃を受ける。

(主にリベラル派のアーティストに対して)「政治思想が偏っていて音楽を聴きたくなくなる」という人が未だに一定数いる(確実に減ってはいる)ようだが、 逆に「政治思想が一切なく」「大切な価値観もない」アーティストを求めるのはなぜなのか。ただ自分を投影できる虚無のキャンバスならAIで良かろう。

なんでも「意見を持たずに中道的(つまり虚無)」が正義だと思い込んでいる人ほどこういうことを言いがちだけど、意見を持たないこと=既にマジョリティ加担=自動的に与党支持=それこそ偏ってる とも言えるし。

そもそも特にヒップホップやR&Bなんかは歴史的に見ても社会的に抑圧されている人たちによって生み出された音楽(詳しく知りたい方はリサーチをどうぞ)なので、「中道」という名の虚無を求めることは無理がありすぎる。

「自分の価値観と違うから支持できない/聴けない」とか、「思想が危険だと思うから」とかなら別にいいんですけど、それはそれで。

意見を表明しないだけで人間なら誰でも持ってはいるわけで。それをなんらかの意義を感じて発している人と、発しない人の「生き方」の差でしかない。

前からだけど、特に最近色んなジャンル違いのアーティストの仲間から、これについての相談を受ける。何か社会に伝えたいこと、生きている証をはっきりと刻みたくて音楽を作ってる人が多い中で、彼らに対して「生き方を表明することを否定する」行為はまた一種の抑圧だと思う。

自分で道を切りひらき、直接政治的でなくても非常に政治と密接な慈善活動をしているNonameなんかはたとえば影響力と芸術性を本当によく活かしている思って尊敬しています。全てが完璧な人間ではないけれど、信念は凄い。

参考記事:ポップ音楽と民主主義 ウクライナの平和訴えライブ




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竹田ダニエル
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