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不自由とは決して悪い事ばかりじゃないのかもしれない

NewsPicks「The UPDATE」に収録終了しました。MCは古坂大魔王さんとNP佐々木さん。ゲストは、僕の他に産業医・大室正志さん、街コン仕掛人・大木隆太郎さん、CRAZY WEDDING創業者・山川咲さんです。

「結婚は時代遅れなのか?」というタイトルで、ふたつのテーマ「人生に結婚は必要か?」「10年後の結婚観はどう変化するのか?」について、みなさんとお話しました。大きいテーマの割に時間が1時間と短かったので、僕も含めて他の皆さんも言いたいことの半分も言えてなかったかもしれません。

ですが、これらの議論を通じて、みなさん一人ひとりが(未既婚に関わらず)ご自身の今後の生き方について問うきっかけとなれたら幸いです。

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動画はこちらからご覧になれます。お忙しい方は2倍速でもご覧になれます。ぜひご覧ください。

その上で、未婚化が進む現在の日本において、結婚という制度はどうあるべきなのか、についてちょっと触れたいと思います。

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番組の中でも触れられていましたが、LGBTや夫婦別姓の問題、さらには婚外子などについての対応に現在の結婚制度そのものが適応していないというお話。

確かに、そういう面は多々あると思います。特に、法律的に認められていないものは悪と同義であるかのような扱いをされ、いろいろと苦しまれる方も多いでしょう。

しかし、いつまでも「現状維持していれば安心だ」という時代でもなくなってきつつあります。かつてのようにマイノリティは我慢を強要させられる時代でもありません。

そもそも、1899年あたりから始まった日本の皆婚時代は、男性の生涯未婚率が12%を超えた1990年時点をもって事実上消滅したといってもいい。明治大正時代は富国強兵の名の下に、戦後は高度経済成長の旗印の下に、みんなが結婚し、たくさんの子どもを産み育てる時代でした。

それは世界的な人口学の視点から見れば、「多産少死」のステージに日本はいたわけです。

しかし、その時代は終わりました。

この100年で異常なほどに増え続けた人口とは、決して多産だけの恩恵ではなく、医療技術の発達などによって「死ななくなった」少死のおかげです。

もう間もなく、遅くとも2025年からは年間死亡者数が150万人を超え、それがその後50年間続く「多死時代」へ突入します。現在、日本は超高齢国家ですが、それは冷静に考えれば、数年後はそれらの高齢者たちが一斉に死んでしまう国家ということになります。

年間150万人以上死にますが、そのほとんどは75歳以上の高齢者です。一方出生数は、すでにとっく年間100万人を割り、多死がはじまる2025年には84万人へ。さらに、2100年には38万人へと激減します。人口の自然減は2025~2100年の75年で6600万人を超えます。日本の人口が今の1億2千万人から半分の6000万人になるという見込みはそういうことです。

勘違いしないでいただきたいのは、これは、日本の人たちが意識を変えて、結婚をしたり、子どもをたくさん産もうとすれば解決する問題じゃありません。人口転換メカニズムとして必ずそうなりますし、日本だけではなく、アフリカを除く全世界がそうなります。

そうして多死化を終えて、人口減と高齢者比率が下がることを経て、人口ピラミッドが是正され、人口が増えも減りもしない「静止人口」状態になります。

何が言いたいかというと、今更結婚制度に問題があるからと言って何かを変えたところで、少子化も人口減少も絶対に是正なんかされないし、むしろ、人口メカニズムの見えざる手によって、今我々は、結婚して子どもを産み育てる人たちとそうでない人たちの比率が半々になりつつあるという理解をすべきでしょう。

だからといって、結婚というものが時代遅れかというとそうではないし、結婚が必要だと思う人たちのために結婚はあり、そうした人たちが未来へその遺伝子を残していくものだというだけです。

そうした時に重要な視点とは、「結婚というものは、愛し合う男女がペアとなる」という偏った定義からの脱却なんだろうと思います。

従来のそうした定義上の結婚は否定しないし、むしろそうして結婚をする人たちがいなくなってしまっては、それこそ結果的に人類は亡ぶ。それとは別に、男女でペアにならずとも子育てをしたいという人たちはすればいいし、子どもを産みたくないという人はそれでもいい。産みたくても産めなかった人たちには、血のつながりだけじゃない子ども付与の仕組みをもってカジュアルに選択い゛きるようにしたせいいし、経済的事情や精神的事情によって産んだ子供を育てる能力のない親からは、子どもを解放し、子どもを望み、育てられる能力のある人たちに付与してあげるべきです。

つまり、最終的に、結婚とは、自分の子であろうとなかろうと、大人の責務として、子育てをするという役割をそれぞれの立場で果たすものということではないか。

直接的にに子育てをしなくても、ちゃんと働き、税金を納めて、消費をして経済を回すことで、見しらぬ誰かの子どもたちを支えているのだと信じられる世界へ。

身も蓋もない言い方をすると、脳のメカニズム上「恋愛」という感情は存在しないそうです。恋愛感情とは、子育ての時の感情のバグでしかない。つまり、愛し合って結婚に向かうカップルが互いに抱いていると思っている恋愛感情とは、未来の子育ての先行感情であり、擬似子育てに過ぎない。

言い換えると、恋愛強者というのは、同時に子育て意欲の強い人間なのかもしれません。

結婚に限らず、本来、制度というものはそれを必要とする人のために存在するものです。にも関わらず、制度に人が縛られたり苦しめられるというのは本末転倒です。

しかし、人間とは不思議なもので、ある一定の不自由さや制限がないと、自由を感じられません。なんでも自由にしていいよ、と言われてしまうと何も行動できなくなる不自由さに陥るのです。


結婚とは、そういった不自由を手に入れて、その結果として安心と幸福を手に入れる行為なのかもしれません。本人たちは意識してないけど。


制度の問題としてとらえるならば、既存の結婚制度とは将来親となる男女のための制度であり、別視点として、産まれてきた子どもの視点に立った制度設計が必要なんではないかと切に思います。

ぶっちゃけ誰に育てられても構わない。生まれてきた子どもが貧困や病気や虐待などにあわずに、無事大きくなってもらうために、親だけではなくすべての大人たちが何をすべきかという視点。

独身者のなかには「そんなの嫌だ。他人の子のために何かしたくない」と言う人もいるかもしれませんが、それくらいの不自由さがなければあなたの人生は欠落感によって闇に包まれてしまうでしょう。別に独身税を払えという話ではありませんよ。独身はただ生きて働いて消費するだけで貢献しているのだとみんなが認知しあえることが大事です。


繰り返しますが、結婚した人もしない人もできた人もできなかった人も、そして、結婚を壊してしまった人も、みんながどこかの子どもたちを支えているという社会的役割を実感できるようになること。それが、ひいては、個々人の自己肯定感にもつながる、とそう思います。


あと、今回の収録はとっても楽しかったです!個人的にも笑いが取れたので満足です。

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唯一の心残りは、古坂大魔王さんとのツーショットを撮り忘れたこと。

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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。