図1

煩悩を理解できるマーケターになりたい

人間の心理には表と裏、2つの側面があります。善(エンジェル)と悪(デビル)と言っても良いかもしれません。

私の勤めるデコムは、人間の深層心理を明らかにするのが得意です。そこで案件を通じて培った経験を元に、人間の欲望を善と悪の両面から一覧化した「欲望マンダラ」を2017年に発表しました。

画像1

「欲望マンダラ」のプレス文から抜粋します。

人前で堂々と口にできる「善」「正しさ」を持つ「表」の面だけでなく、「悪」の心、人前で口にすることがはばかられ、仮に口にするとけげんな顔をされたり軽蔑されたりするような「裏」の心という両面があります。

人間の心が悪に染まる機会は、これまで宗教が忌避してきました。キリスト教であれば大罪、仏教であれば煩悩と名前を付けて「負けてはいけない」と人間を鼓舞してきました。

しかし2000年経っても、人間は大罪と煩悩の前に敗北し続けています。冷えたビールを前に「キンキンに冷えてやがる!」と発狂し、喉越しを味わえば「悪魔的だぁぁ!」と絶叫します。

ところで「天使的だぁぁ!」と叫ばないのは何故でしょうか?

それは、善には感じない強い魅力と誘惑を、悪に感じるからです。「悪魔のささやき」なんて言いますよね。

つまり人間は「善」だけでなく「悪」によって動く場面があるのです。もしかしたら「悪」の方が多いかもしれません。

でも、それが人間の本質なんでしょう。

私たちマーケターは人間を理解できなければいけない、と言われています。しかし、人間の「善」しか目を向けていないのではないでしょうか? 人間の「悪」を観てこそ、人間を理解したと言えると私は考えています。

年末年始、時間も大量に余りましたので「悪」の深淵を覗いてみました。


そもそも煩悩ってなんぞ?

キリスト教の「大罪」は7つですが、仏教の「煩悩」は108(鐘の数)って言いますし、多い方が良いだろうと考えて煩悩について調べました。

ミルクボーイがM-1で「コーンフレークは、朝から楽して腹を満たしたいという煩悩のかたまり」と表現していましたよね。楽したい、食欲を充たしたい…つまり欲望こそ煩悩なのでしょうか?

オンライン版仏教辞典には「煩悩」を以下のように紹介しています。

煩悩とは精神や肉体を悩まし苦しめ、常に人生生活に動揺と不安をもたらすような一切の心の働きをいうわけである。

心の働き=煩悩。つまり、私の心にこそ煩悩が潜んでいるのです。煩悩なんて無い!と言っている人はウソをついている。それもまた煩悩です。

コーンフレーク=煩悩のかたまりなのも、朝から楽して腹を満たしたいみたいな「欲望」が、精神を悩ませ苦しませるからです。なぜならコーンフレークで充たされるともっと欲しくなるからです。晩飯に欲しくなる。最後の晩餐にまで欲しくなる。禁断症状が出てしまう。

では私の心に煩悩が108も潜んでいるのかと調べると、実は「108」には何ら根拠が無いと分かりました。代表的な3つの理由をまとめました。

■「1年間を表す」説
1年の月の数(12)+二十四節気の数(24)+七十二候の数(72)=108
■「説一切有部」説
倶舎論にも見られるように、煩悩を九十八随眠として表現し、十纏とよばれる10の煩悩を付け加えて108
■四苦八苦説
仏教では人生の8つの苦しみを四苦八苦と言って表現する。4×9+8×9=108

てっきり煩悩の経典があって、そこに108個の煩悩がまとめられいると思いました。が、違うようです。108個の確たる証拠はありません…。

宗派によって細かく枝分かれする前のインド・中国仏教を参照すべきだそうですが、原典が無いから調べようが無い。


6つの根本煩悩を知る

さぁどうしよう…と思っていたら、倶舎論では代表的な煩悩を「根本煩悩」と表すると知りました。残りの煩悩は、根本煩悩に伴って起きる…と考えられているようです。

すなわち、まずは人間を理解するには根本煩悩を理解すれば良いのです。

根本煩悩は貪欲・瞋恚・驕慢・疑・悪見・愚痴の6つあります。ちなみに貪欲・瞋恚・愚痴の3つを「三毒」と言って「もっとも根源的な煩悩」と表現されています。心を害する毒だから三毒です。

三毒が煩悩の根源か、根本煩悩が煩悩の代表か、もうよく分からなくなるので、様々な宗派があるでしょうが、いったん根本煩悩が煩悩の大きい括りとして進めて行きます。


■貪欲(とんよく)
財物を求めて飽くことが無い。欲望は満足を知らない。むさぼり求める。

孫社長は株主総会で「来年に社長を辞めようかと思っていたが、(経営への)欲が出てきた」と続投を決めた経緯を説明した。


■瞋恚(しんに)

自分の心にかなわないことに憎しみ怒る。我に背く腹立たしさ。

9月にニューヨークの国連本部で開いた「気候行動サミット」で演説し、環境保護への対応が遅れる各国指導者に対して「よくもそんなことができますね」「失敗したら私たちは許しません」などと警告した。


■憍慢(きょうまん)

自らを威張り散らして、ものを凌ぐ。上下で人を見る。

「尊大な態度だった。言葉は丁寧だったが、態度には傲慢さと驕(おご)りがあふれていた」

■疑(ぎ)
正しい教えであっても話を聞かない。心の躊躇い。自分の信念に不満な結論は出そうとしない。

まずテレビ全般の話をすると、マスコミは「マスゴミ」と呼ばれることもあるそうですが、とにかく視聴者がテレビに対して不信感を抱いている。


■悪見(あくけん)
誤ったものの見方。心が定まらず、落ち着かない様。

専門家と言われる人の中には、自分の専門領域やそこで使う言葉が理解できない人を排除したがる「似非(エセ)専門家」がいる。


■愚痴(ぐち)
ものの道理を解さない愚かさ。真理に対する無知さ。

有名な心理学の実験を検証してみると、再現できない事態が相次いでいる。望む結果が出るまで実験を繰り返したり、結果が出た後に仮説を作り替えたりする操作が容認されていた背景があるようだ。

皆さんの身近に関係しそうなニュースから根本煩悩を拾っていました。6つの根本煩悩が誰の心の中にも潜んでいて、顔を覗かせていたんだ…とでも思いましょう。

「私には関係ない!」と思いましたか? では、根本煩悩だらけの人はどんな内面を持っているか、考えてみましょうか。

ケチで、すぐに人の物が欲しくなる。いい加減で、他人と比べて憤り、時には驕る。そのくせ人の話は聞かないし、全て自分が正しいと思っている。物事に対して無知なのに、全て知っているかのように振舞う。

もう、どうしようもないクズ。クズですよ、クズ。

…それワシやないかい!と思った人は、正直に手を挙げて下さい。

全てがそうだとは言いませんが、1つも当てはまるところは全く無い…とは言わせません。こうした人間の貪欲・瞋恚・驕慢・疑・悪見・愚痴が、いかにも人間らしさなのかもしれません。

どうしてクズの前段に「愛すべき」と付くのでしょう。それは、人間が剥き出しだからです。バチェラー3の友永真也さんなんかクズ過ぎますが、それでもやはり「愛すべきクズ」です。煩悩のままに生きているからかもしれませんね。


煩悩を克服する波羅蜜

ところで、仏教は煩悩を定義するだけではありません。迷い(煩悩)の世界を定義してこそ、悟りの世界へ辿り着くため波羅蜜多という修行をします。

皆さんご存知の般若心経は、正式名称を般若波羅蜜多心経と言います。般若=知恵、波羅蜜多=浄土へ渡る、心=要約という意味で、端的に言えば浄土へ渡る知恵をまとめたやつです。大乗仏教の心髄が説かれています。

般若心経しらない人は、お坊さんが良い感じにロックで歌ってくれているので、聞いてみて下さい。

観自在菩薩(かんじざいぼさつ)、行深般若波羅蜜多時(ぎょうじんはんにゃはらみったじ)…と唱えていますよね。これは、観音さまは深淵な“智慧の完成”の修行をされて…という意味です。

どのような修行なのか。布施・忍辱・精進・持戒・禅定・知恵の6つです。これらを六波羅蜜と言います。

■布施(ふせ)
見返りを求めず施しを行う。

■忍辱(にんにく)
どんな困難も耐え忍ぶ。

■精進(しょうじん)
たゆまず努力する。

■持戒(じかい)
規律を守り、決して犯さない。

■禅定(ぜんじょう)
精神を統一して心を落ち着かせる。

■智慧(ちえ)
真理を見極め、真理にのっとって判断する。

なんか意識高い自己啓発本に載っていそうな内容の羅列ですね。でも間違ってはいません。京セラ・稲盛さんも絶賛しています。心が真っ直ぐのときに聞いたら、素直に浸透していきそうです。

少し教科書過ぎるかもしれませんが、これが「善」なのでしょう。

ところで、六波羅蜜を観ていると、根本煩悩と対応しているのではないかと気付きました。裏付けが取れているわけでは無く、あくまで私の所感です。

図1

宗教家からのご意見をお待ちしております。煩悩に対する形で波羅蜜が出来たんでしょうかね?


煩悩即菩提

宗派によって異なるので一概には言えませんが「煩悩を絶対に無くす」「煩悩を否定する」とは唱えなくなりました。

なぜなら数百年前、数千年前に「悩みや苦しみは無くならない」「動揺や不安を抱えない人間はいない」とお坊さんたちが気付いたからです。

むしろ人間に煩悩があるから悟ろうとするわけで、煩悩は否定できないと考えました。これを「煩悩即菩提」と言います。悟り(菩提)と迷い(煩悩)は、ともに人間の本性の働きであり、煩悩がやがては悟りの縁となるという意味です。

ただし、即という言葉が誤解を招くのですが、イコールではありません。煩悩と菩提は一緒という一元論ではなく、二元論(隣り合わせ)という意味で理解して下さい。

悟りと迷いを行き来するのが「人間らしさ」なのです。煩悩に苦しみ、悟りを求めつつ、煩悩に溺れてしまう。それが「生きてる」ってことなんだ。

波羅蜜だけでは息苦しく、煩悩だらけでは人生に張り合いがない。

本noteのタイトルは「煩悩を理解できるマーケターになりたい」です。

煩悩が何かについては理解できましたが、貪欲・瞋恚・驕慢・疑・悪見・愚痴はもっと深く掘り下げないといけませんね。調べていて思いました。

もっと人間の煩悩を掘り下げた事象を拾わないと、文字では分かっても肌が理解しない。今回は入門編ぐらいに思って下さい。

根本煩悩を上手く活用して成功したマーケティング事例も収集したいと思います。もし見つけられましたら、松本までご一報下さい。

…え? 煩悩だらけのクズ男が登場する映画がある? カイジ? 1月10日から上映開始!?

そ、それは見に行かないといけませんな!!


1本書くのに、だいたい3〜5営業日くらいかかっています。良かったら缶コーヒー1本のサポートをお願いします。