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成長がなくとも分配できる

前回、成長と配分との関係を整理する論考を書いた。結論をシンプルにいうと、成長がなくても配分できる、ということである。そして、GDPの成長と分配は直接は関係ないということである。

これを書いたのには、以下の問題意識からである。

それは、お金という基本的なことを、誰にも分かるように説明しているメディアや専門家があまりいないことである。多くは経済の専門用語や概念を前提に報じられることが多く、普通の人にもよく分かる形で説明する人があまりいないのである。私の過去の経験からいうと、専門用語を使わないと説明出来ない議論は、多くの場合間違っている。基本まで戻って考えていないことが多いからである。

それでは、お金のことは、一部の専門家だけが知っていればよいか、というと、そんなことは全くない。あらゆる社会の活動は、お金がないと不可能である。政策や行政もビジネスも、ボランティア活動も、活動資金が必要である。すべて我々の幸せにも関係している。従って、すべての人はお金の基本を理解しておく必要がある。

そして、お金のことは、基本に立ち返れば、それほど難しいことは何もない。「週間子どもニュース」や「ためしてガッテン」のように普通の人に分かる表現にすれば、誰にでも理解できると思う。量子力学や分子生物学を理解するのとは全く異なるのである。

その意味で、あらゆる人に関係する、このお金の基本については、すべての人が腹の底から理解すべきことだと思う。

しかし、現実はそれからはほど遠い状態だと思う。
私自身も、ある時すこし真面目にお金のことを考え始めたら、基本のところでわからないことが沢山あることに気がついた。

例えば、以下の4つのことが分からなかった。皆さんはどれほど答えられるだろうか。

[疑問1]
そもそも社会の中のお金の総量は、何で決まっているのか。お金の総量が社会の富の総量だと思うと、これは社会で活動をする上でも、政策を判断するにも、最も基本的な問いだと思う。どんな手段により、社会の中で、お金は生み出され(お金の総量が増え)、どんな手段によってお金が消える(お金の総量が減る)のか。

[疑問2]
経済活動による利益は、富を生み出すとものと素朴に思っていたが、そもそもお金を生み出すものなのか。誰かが利益を出した時、その原資はどこから来るのか。単に誰かから奪ったものではないのか。「ドラえもん」で、「ジャイアン」が、「のび太君」からお小遣いやおやつを奪うのと何が違うのか。もしも、利益が誰かから奪った結果だとすれば、なぜ利益を生むことが「いいこと」とされているのか。

[疑問3]
GDPが増えると、国民に配分するお金の原資が増えるという議論があるが本当か。GDPの定義に立ち戻ると、GDPとは社会でお金が活発にやりとりされている尺度である。従って、社会に配分するお金の総量は、GDPが増えても減っても変わらないのではないか。

[疑問4]
国の借金(政府の債務)が増えるのは、なぜ悪いことのか。そもそも、あらゆる事業活動には、初期投資が必要である。そのために事業を始めるときや拡大する時にお金が必要であり、そのために資本調達が必要になる。国(政府)の活動についても、資金調達(あるいは増資)にあたるものが原理的に必要なはずだが、それを賄う仕組みはどこにあるのか。国債がそれに当たるのか。その意味で、国債とは借用証書(債券)に近いものか、それとも株式に近いものか。

いろいろな人にこのような基本的なことを質問したが、きちんと答えられる人はほとんどいなかった。その意味で、難しい経済理論を論ずる前に、このような基本的なことに関して、共通理解を持つことが大事だと思う。このような基本についての理解もなしに、成長と分配を議論しても、ただの根も葉もない噂話に近いものになると思う。

今、社会の大きな議論になっている成長と分解に関しても、上記の4つの疑問がすべて関係している。この答えの共通理解がないと、それ以上の議論は無駄である。

私は、上記の疑問については、一定の答を得たつもりであり、それを使って、前回、成長と分配について論じた。これは、この状況をすこしでも改善したいという思いからである。

日経を含めたメディアには、今後、このような基本に立ち戻った報道や解説を大いに期待したいと思う。


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