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地方のさびれた商店街からグローバル企業へ ユニクロにみる日本の希望

こんにちは、電脳コラムニストの村上です。

いよいよGWがはじまりました。今年はあまり予定を入れずにゆっくりと過ごしています。積読を消化するチャンスとばかりに、順番に本を読み続けている今日このごろです。

さっそく取り掛かったのが「ユニクロ」。『ネット興亡記』などの著書で知られる日経が誇る「読ませる文章の名手」杉本貴司さんが、膨大な取材を元に書き下したノンフィクション(ご恵投ありがとうございました!)。読もう読もうとは思っていたのですが、いかんせん「厚い」。500ページ弱というこの手の本としては通常の倍くらいのボリュームを前にして、なかなか手をつけられずにいました。

内容の一部は日経電子版でも特集が組まれていますので、ぜひ一読ください。

早稲田大学に通っていた当時、柳井氏はマージャン以外は寝てばかり。付いたあだ名が「寝太郎」。就職もせずに父のコネでジャスコ(現イオン)で働くもたったの9カ月で辞めてしまい、友人宅に居候してしまいました。絵に描いたような「放蕩(ほうとう)息子」だった20代の柳井氏を覚醒させた出来事がありました。そこから始まった成功への「解」を探し求める暗黒時代を、当時無名の柳井氏はどう生き抜いたのか。

日経電子版「ユニクロ柳井氏の暗黒時代 「寝太郎」を覚醒させた言葉
 

いまでは日本のみならず、世界に知られるアパレル企業となったユニクロ。私が最初に知ったのは東京に出てきたとき、つまり「フリースブーム」のときだったと記憶しています。柳井氏はあまりメディアに露出するタイプではないようで、実のところユニクロがどういう軌跡を辿ってきたのか、ほとんど知らないままでした。

その原点は地方のさびれた商店街にある洋品店。初のヒット店舗となるガレージのような「UNIQUE CLOTHING WAREHOUSE」の発明。製造小売業(SPA)への挑戦から、情報製造小売業への進化等々。失われた30年とも言われる成長しない日本において、それを言い訳にすることなく自らが描いたビジョンを実現するために緻密に大胆に歩み続ける努力。読めば読むほど勇気づけられますし、自分も何ができるだろう。もっと大きく考えなければ!と思ってしまいます。

ユニクロが発明したものは色々あると思いますが、個人的に最大の発見だと思うことがあります。それは「大多数の人はそれほどファッション自体に興味がない」という点です。ちょっと誤解を受ける表現かもしれませんが、そのシーズンのトレンド・流行であるとか、趣味としての服飾に興味のある人は少数派であるという意味です。普段着るものは、シンプルで着心地がよく、自分のライフスタイルにフィットしていてお値ごろであればなお良い。

本文の中で柳井氏とクリエータの佐藤可士和氏が「服とはなにか」から始まる問いに関する5年にわたる禅問答の様子が描かれています。そこから生まれたのが「6つ定義」で、現在のユニクロ「LifeWare」につながっています。冒頭の2つが非常に特徴的なので以下に引用します。

服装における完成された部品である
人それぞれにとってのライフスタイルをつくるための道具である

『ユニクロ』P350より

部品だとか道具であるという言葉は、おそらくファッション業界からはあまり出てこない言葉でしょう。同じように語られるファストファッション企業に「ZARA」がありますが、このコンセプトとは逆をいっているのが興味深いです。

ZARAはファッションのトレンドど真ん中を常にフォローしていて、ファッションは好きだけどパリのファッションショーに出るようなブランドのものには手が届かない。もしくは、よくわからないけどトレンドを抑えたものを着たい。つまり「着れば誰でもオシャレになる」ことを最大の価値としています。普段着 vs おしゃれ着のグローバル競争の行方はどうなることでしょうか。

圧倒的な筆力により明らかになるユニクロストーリーは、爽快な読後感と希望を与えてくれました。ぜひ一読ください。


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※ タイトル画像は筆者撮影


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