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ウィズコロナ時代の大学教育の意義を再考する。

めがねシャチョウです。以下のような記事を見ました。大学の授業の意義が再考、見直されている時期かと思います。

めがねシャチョウの私見ですが、多くの国内大学の授業の出席価値は目減りしていきているのではないでしょうか。

令和時代は、僕は、有名大学の中退がブームになると思っていて、日本の大学に在籍する、そして卒業する価値がどんどん目減りしていく時代になると思っています。

かくいう、めがねシャチョウは、4年生大学は、日本の慶應大学、そして、大学院は、アメリカ西海岸のスタンフォード大学を卒業しています。

追記すると、めがねシャチョウは法学部法律学科だったんですが、テストで点数さえとれば単位がとれる授業ばかりでした、というよりも恥ずかしながら、そういう授業を優先的にとってました。

ゼミの先生も、授業こなくていいって、言ってくれていたのですよね。授業来なくていいけど、ゼミ終わった後の飲み会はきなさい、と。飲み会に来てれば単位あげるよ、と。

(1) 学生時代の成績なんて色んな意味で関係ないです。

日本はよくも悪くも学歴社会なんですよね。一部大企業でもいまだにいい大学出てたらそこそこ採用プロセスでも優遇してくれるじゃないですか。

でも、あれって中身がないんですよ。なぜかというと、採用者側も、日本の学生は、大学で勉強あんましないの分かってるんで、学校の成績なんてあんま見ないんですよね。

もちろん志望動機とかで杓子定規に大学で何勉強してたか、聞きますけど、面接側としても、大学の授業のこと真面目に話されてもつまんないなあ、と思ってしまいますね

日本の大学は入るのが難しい、アメリカの大学は卒業するのが難しい、というのは良く言ったもので、もう入学した時点で、実力は認められるんですよね。

(2) 大学で何を学ぶのか、よく考える必要があります。

サークル活動して、バイトして、緩く授業受けて、冷静に考えてみて、
優秀なビジネスマンになるためのスキルがつくとは思えません。

確かに大学生活は楽しいかもしれないですが、親御さんにいっぱい学費出してもらって、なんか悲しいところはあるのではないでしょうか。だからめがねシャチョウはあえて中退を進めます。

冷静に考えれば分かるかもしれませんが、学歴を取得する、ということだけで、将来が安泰だったりする時代が現実的にこれまであったのは事実です。

しかしながら、学歴があれば安泰、という楽な時代は終わった、と言えます。

これまでの論理は、学歴があれば、安定してある程度の給与がもらえる会社に長く働くことができる、ということでしたが、そういう会社は日々なくなってきているのは事実なんじゃないでしょうか。

力はつくのか、さらにストレートに言うと、お金を稼ぐ力、ビジネスマンとして成功するためのスキル、は身につくのか?その質問の答えを言うと、少なくとも日本の大学にいって身につくのか、と聞かれると、疑問に思うところがあります。

私が在籍していたアメリカのスタンフォード大学ですと、ビジネスで成功した実務者がビジネスの授業を教えていることが多かったですが、日本の大学では、まだそのような実務者がビジネスを教える、という文化が根付いていないのは確かです。

(3) 何に時間を使えばいいのか?

じゃあ、何に時間を使えばいいのですか、ということですが、僕は、中退も選択肢の一つだと思っています。

言い過ぎかもしれませんが、令和時代の学歴スタンダードは有名大学の中退になる、とさえめがねシャチョウは思っています。

今後、有名大学の中退、というのが優秀な学歴として評価されるようになってくる可能性があります。

日本でいうと、ほりえもんこと堀江貴文さんも東大中退ですし、マイクロソフト創業者のビルゲイツ、Facebook創業者のマークザッカーバーグはともに、ハーバード大学の中退です。

そう考えると、大学はいかなくていいのですが、やはり大学に行かなかった人の中で、怖いもの見たさ、というか人間って知らないことに対しての、後悔って起こりやすい生き物だと思っています。

やっぱり行っとけばよかったとか、そんなことないにしても、日々つらいことあれば、何かのせいにしたくなるのは普通です。

有名大学の中退であれば、ある程度、中身は知っているし、いってみて、やっぱり意味なかったよね、と自分自身の中で腹落ちさせることができるんじゃないでしょうか。

しかも、対外的にも、自分は勉強ができる、ことの証明にもなります。
日本の大学は入るのが難しくて、卒業は楽なんで、入れた、ということは、冒頭にお話しした勉強力の証明にもなります。

以上、めがねシャチョウでした。


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