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ポリアモリーになったけど、誕生日どうしよう。

ポリアモリーにとって誕生日クリスマスは鬼門だ。

恋人やパートナーが複数いるポリアモリー。
しかし誕生日もクリスマスも1日しかない。

当然、「誰と過ごす?」という話になる。

果たして正解はあるのか。

(36歳の誕生日を迎えた)今日はそんな話。

ポリアモリーとはお互い合意の上で複数の人と同時に恋人的な関係を築く恋愛スタイル。対義語はモノアモリー。過去のシリーズはこちら

■ポリアモリーたちに聞いてみた。

僕は一人で過ごすことにした。
そして今、このnoteを書いている。

理由は僕自身が誰かを「選んだ」と思いたくないし、相手にも「(私が)選ばれた」と思わせたくないからだ。

そもそも選択肢は2つあった。

all or nothing

恋人たちみんなで集まるか、誰も集めないか。

僕は後者を選択しているが、他のポリアモリーたちはどうしているのだろう。そこでポリーラウンジを主催する幹事会のLINEで聞いてみた。

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ありがたいことに4名から即レスがあり、内訳はこんな感じだった。

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4人中3人が恋人やパートナー、なんなら友人も集めてみんなで集まるという回答。1人も理想はみんなで集まるだが、恋人同士の関係性によって断念している様子だった。

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■受け身の誕生日はやめる

具体的なコメントとしてはこうだ。

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呼ぶのは恋人だけでなく、友達も集めて過ごすという意見。

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さらにきのコさん恋人の恋人(メタモアと言います)も集めたら楽しそうという意見だった。

これらには共通する考え方がある。

それは誕生日を「他人に祝われるもの」から「自分で祝うもの」に変えている点だ。

こんなコメントが象徴的だ。

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どうだろう。

一般的に誕生日といえば、自分以外の誰かが幹事をやってくれて、なんならサプライズで開催される様子が理想的に描かれることがある。

しかしポリアモリーたちの誕生日は少し違う。サプライズを喜ぶような受け身の誕生日はやめて、主語を自分に取り戻しているのが特徴的だった。

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■昔は誕生日なんて祝っていなかった。

ところで、誕生日を祝う風習はいつから生まれたのだろう。

調べてみたら結構最近のことだった。

今から70年前の昭和24年、終戦を迎えた4年後。アメリカ式で年齢を定義する「年齢のとなえ方に関する法律」が制定。

それまでの年齢の数え方は「数え年」。正月にみんなまとめて年を取る。
(数え年は今でも厄年、厄払い、長寿の祝い、七五三などで残っている)

つまり、1月1日がみんなの誕生日会を兼任していたのだ。

それが突然、個人に誕生日が付与され、キリストの誕生日(クリスマス)と合体して、徐々に誕生日は家族でケーキを食べるもの、カップルで過ごすものへと変貌を遂げていった。

そして今、至る所でサプライズ誕生日パーティーが行われている。

しかし、一方で祝う方も祝われる方も気を使う誕生日「正直、疲れた」という声を聞くことも多い。

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■誕生日のバイアスとイノベーション

こうして考えると「誕生日は誰かに祝ってもらう日」という受け身型の価値観はバイアス(先入観や固定観念)だったのかもしれない。

しかしこうして、その歴史や意味を紐解けば、バイアスから解放されるし「1人で過ごすことがさみしいもの」という感情からも解放される。

そう言った意味でポリアモリー(以外にも実践している人はいるが)たちの「自分主催の誕生日」はイノベーション(革新)なのかもしれない。

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そんなことを考えた36歳の1日目。


最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
これからもnote更新がんばります。

サポートいただけたらグリーンラベルを買います。飲むと筆が進みます。