100年思考〜未来の価値観で現在の文化は裁かれるのか
毎年、日本各地で開いてきた「つなげる30人」。一つの都市に関わる行政、企業、NPOから30人の主体的な参加を促し、30人が一つになって「都市の未来」をつくる、社会イノベーションプログラムです。先日、今年度の「京都をつなげる30人」の最終報告会がありました。今年度の京都をつなげる30人で検討されたテーマの共通点は、「100年先の京都を考える」でした。100年後を嬉々として語り続けられる都市は、京都しかないでしょう。今回の記事では、「100年後を考える」ことの意味を掘り下げてみたいと思います。
100年後を考えるには、100年前がヒント
次の記事は、120年前に路線バスが「当時のベンチャービジネス」として京都市で初登場したことを振り返らせてくれます。「馬車との競合などによる廃業を乗り越え、各地で普及。誕生から1世紀が過ぎ、インバウンド(訪日外国人)らで混雑する問題を抱える」と、この120年を総括しています。この記事に載っている最初のバスの写真は、バスというよりは自動馬車という感じで、なかなか面白いです。
この記事にもある通り、現代の京都中心部はオーバーツーリズムの問題を抱え続けていますが、コロナ禍を経ても「次の100年」を示唆する「京都のモビリティの未来」は示されていません。今年はバス運転手不足が一気に進む2024年問題もあり、バスの減便も検討されています。自動運転というテクノロジーは注目されていますが、自動運転になることで、どう京都のまちの未来が変わるかという議論は進んでいません。100年後の京都市民は、振り返って、このSDGs時代の私たちの行動や意思決定をどのように評価してくれるでしょうか。
100年以上前の文化も現代の価値観で裁かれる
100年後の人の評価という意味では、厳しい言葉かもしれませんが、「未来の価値観で裁かれる」ということもあり得るのです。
次の記事によると、現代の価値観で100年以上前のアーティストの行動も批判され始めていることが報じられています。「ピカソは次々と変わる恋人を物理的にも精神的にも暴力的に支配した」、「ゴーギャンはタヒチの人々を原始的に描き、しかも複数の現地の少女と性的関係を持った」など、今までは創造性の源とされていたようなエピソードも、ジェンダー問題化することもあるといいます。
100年後に裁かれる自分たちを想像してみる
ちょっと気まずい想像になるとは思いますが、100年後の人々に「2024年頃の先祖たちは、なんてことをしてたんだ」と裁かれることを想像してみましょう。例えば、次のようなことで裁かれたくはありませんよね。
町家などの古い建築物を質・量ともに大きく減らしてしまう
京都の街並みを保つことをあきらめビルをどんどん建ててしまう
脱炭素の実現をあきらめて温暖化を一気に進めてしまう
地方自治体の経済的自立を優先して地域の個性を失ってしまう
企業社会におけるジェンダー平等をあきらめて放置してしまう
少子化対策をおざなりにして日本の人口減少を加速してしまう
上記は100年後に迷惑をかける失態になりますので批判はまぬがれないと思いますが、ピカソやゴーギャンのように次世代に迷惑をかけていなくとも、「未来の価値観に合わない人」は未来から裁かれる可能性もあります。例えば、次のような感じのことが批判されるイメージでしょうか。
あの会社はイノベーションを起こしたが、役員が全員男性だった
あの会社は経済的に成功したが、石油由来の商品を作っていた
あの起業家は成功したが、海外本社などを使って節税をおこなっていた
「100年思考」を取り入れよう
京都をつなげる30人から生み出された概念の「100年思考」は、これからの日本の政治や経営、さらには市民活動やまちづくり、社会課題解決に組み込まれるべき思考法だと思います。
100年先を考えるということは、自分の生きていないであろう社会に想いを馳せることであり、次の世代にバトンをつなぐことでもあります。どうしても私たちは、自分の人生のなかで成果を見ることを前提に事業やプロジェクトに取り組みがちです。しかし、自分の人生を超えた長期的な課題に取り組む人が増えることで、この社会は長期的によりよいものになっていくことは確かです。
自分の人生を超えて、100年思考で行きませんか。
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