渋谷の「街づくり」の方向性は、価値・アイデンティティ(らしさ)を生み出しているのか?
最近、渋谷に行きましたか?
僕は、数週間前の金曜日、開業後、行けていなかったMiyashita Parkへ行ってきました。
驚きました。
渋谷が戻っていた。(ごく一部のエリアですが。)
一方、こんな取り組みも。
人減った渋谷、民間と新たな街づくり ネット空間活用
コロナ危機 地方から 渋谷・デジタル化への挑戦(上)
これは、実はかなり意味が深い取り組みだと思った。
本来、インターネットは、何も制約・束縛するものがないはずなのに、わざわざ「渋谷を再現」しているのである。
「渋谷」自体のブランドパーパス。
人々は、「渋谷」に何を求めているのか。
「渋谷」は人々に何を提供しているのか。
ネット界隈だと「セカンドライフ」が登場しはじめた頃から「メタバース」という概念が流布しはじめており、
昨今のマーケティング・エンタメ界隈では、人気ミュージシャン米津玄師さんのライブ興行が、仮想空間ゲーム「フォートナイト」で行われたことが話題となった。
前述したが、本来ネット空間であれば、「制約」はないので、「渋谷を再現する」必要はないのである。「フォートナイト」「マインクラフト」「集まれ!どうぶつの森」のように無限のキャンパスにデザインを描けるはず、描いてもいいはずなのである。(これは、昨今のオフィス環境の話題にも通づるが本noteでは割愛)
しかし、日本人は、「渋谷」に特別な想いがあるようである。
そして、(こうみて意外にも)私自身にもある。
私が、パルコに在職時の最後の仕事は、渋谷パルコの閉店キャンペーン(のデジタル周り)であった。渋谷パルコ自体に勤務したことはなかったのだが、本部スタッフとして、デジタル周りの支援をさせていただいていいた。(厳密にいうと、企画仕込みだけして実際の閉店時は、退職をしてしまっていた。)
こちらの施策を、とあるクリエイティブカンパニーの方とご一緒させていたたのだが、「閉店パレード」をリアルとデジタルで再現した施策であった。(いま考えると、2016年からOMOである。)
建築・造形物の配列としての渋谷にも価値があるようである。
今年、栃木県足利に、渋谷ができているのである。ちょっと何を言っているのか、わからないかもしれないが、こういうことである。
不動産的な価値(地価)は、「人々が集まること」の総数で、形成されていた。価値観の変容・多様性がかつてない速度で変容している。
「**」自体のブランドパーパス。
人々は、「**」に何を求めているのか。
「**」は人々に何を提供しているのか。
あなたの「**」に、当てはめてみて欲しい。
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