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フェミニズムとミソジニーの議論をパワポで考えていたら「無意識の既得権益」が見えてきた。(前編)

「射精責任」というタイトルの本が出るらしい。

まだ中身はわからないが、なかなか刺激的なタイトルなので、Twitterでは発売前から物議を醸している。

「受精責任もあるだろ!」

という男性からの批判が多いが、今回の件に限らず、この手の議論はよく見かける。

女性だけが損をしている
男性だけが得をしている

もしくは

女性だけが得をしている
男性だけが損をしている

こんな対立構造で語られることが多いこれらのジェンダー議論だが、

「男女共に得をできたらいいよね」

もしくは

「性別を理由に損得が決まるのはよくないよね」

というのが、シンプルな理想だと思う。

ただ、なぜ議論は理想に向かって進まないのか。
なぜいつも対立構造が生まれてしまうのか。

例によってパワーポイントで考えてみた。

今日はそんな話。

◾️とりあえず思考フレームにしてみた

男とか女とか言うと、余計な思考のスイッチが入ってしまう人が多いので、具体論に入る前に議論をメタ化(抽象化)した思考フレームをつくってみた。

フレームは「◯◯で得をした or 損をした」という経験を出発点とする。

この◯◯には性別だけでなく、

日本人で得をした or 損をした
太っていて得をした or 損をした

など、何を入れても成立するものとする。

これらの経験に対して「◯◯じゃない人」にも「同じような経験をしてほしいか or してほしくないか」を基本としたのが以下となる。

ただ、このフレームは不十分で、それは具体例を入れてみるとよくわかる。
例えば「得をした経験」で考えてみる。

例えば、サウナの事例で考えてみる。

空前のサウナブームで女性のサウナーも増えている。しかし現在、有名なサウナ施設は「男性専用」であることが多い。

一部の店舗は女性にも週に1回など開いているが、まだまだ「同じように楽しめる」とは言い難い状況だ。

そこで、想像してみてほしい。

男性専用の老舗サウナで「男性じゃない人にも、このサウナ施設は開かれるべきだと思いますか?」と尋ねた場合、施設を利用する男性たちはどう思うだろう?

おそらく、2つの可能性を考える。

A:同じサウナがもう1つできる
B:今のサウナを男女で分け合う

それはつまり「自分の既得権益は減るのかどうか」という懸念だ。

Aなら異論はないが、Bなら異論がある。というパターンは多いだろう。

その「得」に上限がない場合は異論がないが、上限がある場合は異論がある。上限があるとしたら「得」の拡大は自分の持分の減少につながるからだ。

先ほどのフレームは「自分が得 or 損をした経験を拡げたいかどうか」だけでは不十分で「(本当に拡げた時に)自分に影響があるかどうか?」という熟考フェーズを加えて完成する。

先ほどの例で言えば「自分のスペースが減るなら、サウナを女性にまで拡げたくない」という発想は、以下のような構造になるだろう。

■理想と無意識の既得権益

男性のサウナにしても、映画のレディースデーにしても、その得は生まれ持った既得権益だ。

これを「無意識の既得権益」と呼んでみる。

無意識の既得権益は、拡大するにもしても、縮小するにしても大きなパワーやエネルギーが必要になる。

映画のレディースデーは現在廃止の方向に向かっているが、簡単なことではなかったはずだ。一部の女性たちから反対の声はあっただろう。また、以下のように、レディースデーをやめて男女共に割引にすれば、企業側の費用負担も増える

理想の実現に向けては、関係者の身を切る覚悟が必要になる。

このフレームはもちろん、性別に限ったことではない。例えば「日本人だから得をしているコト」でも考えてみる。

身近で単純な例として「トイレがきれい」という日本人(と言うか、日本で生まれた人)ならではの無意識の既得権益があるとする。

日本のきれいなトイレが世界に拡がっていく理想に異論を唱える人はいないだろう。

しかし、もし「きれいなトイレ」に上限があって「平等のために、日本のきれいなトイレを海外に持っていきます」と言った途端、抵抗勢力は拡大するだろう。

平等という理想は、自らの中にある無意識の既得権益に気付かされるトリガーでもある。

さて、本題に入る前に前提の思考フレームを説明するだけで1,800字を費やしてしまった。

後編では、この無意識の既得権益について、また既得権益の逆の概念(生まれ持った損)について、そこから見えてきた「ミソジニー」の構造を考えていく。

<後編はこちら>



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小島 雄一郎
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