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メタバースのユーザー深化の3段階:①体験、②参画、③創造

おつかれさまです。メタバースクリエイターズ若宮です。

今日は「メタバースのユーザーの深化」について書きたいと思います。


メタバース利用の三段階

メタバースの中でも弊社メタバースクリエイターズが注目しているのは、VRChatやZEPETOのような「ソーシャルメタバース」です。バーチャル美少女ねむさんが著書の中で「メタバース原住民」と呼んでいるように、そこではすでに「住んでいる」人たちがいます。

一方で、「一度流行りに乗ってやってみてすごいとは思ったけどもうヘッドセットもホコリ被ってるし、やっぱりメタバースって一過性なんじゃ…」という方もいると思います。

ちなみに、ここでいう「メタバース」は必ずしもVRのものだけを指しません。VRChatでもVRでなくPCの画面でプレイする人もいますし、ZEPETOのようにスマホからプレイするものもあります。

「メタバース」の定義はなかなか難しいですが、僕の定義としては「アバターなどで主体的存在として入れる、現実世界とは別のある広がりをもった情報空間で、居場所になるもの」くらいの感じで考えています。なので、VRやARを使っていてもYouTubeとかで360動画を見るだけとか、そこに主体的に入れるものでない場合はちょっとちがう気がしますし、どれだけ入り浸って時間を使っていても広がりを持たないテキストベースのSNSやスマホのパズルゲームはちょっとちがうかな、という感じです。


数回入ってやらなくなってしまう人がいる一方で、一日に何時間も入り浸るような「原住民」もいる。この差はどうして生まれるのでしょうか。

勿論メタバースへ関心にも個人差はあると思います。ただそれだけでなく、「メタバース利用の深さ」でちがいが生まれる気がします。メタバースにハマって行く人をみているとだいたいこの順番でハマっていきますし、どこまで深く入ったかで利用の継続性がちがいます。


で、メタバースにおける利用の深さは、①体験する、②参画する、③創造する、と大きく三段階ある気がしています。

①体験する

第一段階は「体験する」です。初めてメタバースに入ってVR体験をした時みたいな段階ですね。

いくつかのバーチャルワールドを楽しんだり、バーチャルライブを初めて体験すると、新しい感覚に驚くことも多いでしょう。

しかしこの段階はまだ浅く、一度驚きや感動を感じても、そこに「住む」までにはいきません。この段階では利用は受動的であり、「非日常」的な単発の楽しみに留まり、この入口の段階で引き返した人は「住民」にはなりません。


②参画する

次の段階は「参画する」です。

メタバースの世界への「参画」を分解すると、2つの要素があると思っていて、ひとつ目は「アイデンティティ」です。

例えばVRChatなどでも、最初はデフォルトのPublicアバターだったり誰かのアバターをcloneしたり「借り物」で遊んでいる段階があります。この時点の感覚としてはまだ「ゲストユーザー」のような感じですね。

そこから時間が経つと徐々に固定のアバターが決まってきて、自分好みにカスタマイズしたりして「これが私」というアイデンティティが出来始めます。


こうしてアイデンティティが確立することで、もう一つの要素である「つながり」が生まれます。いつも行く場所や友達ができて、メタバース内で他のユーザーやワールドとインタラクションをしたりと、アクティビティが増えます。

メタバース内の「自分」を確立し、その自分と世界とつながる。ただ受け身で体験するだけとはちがい、積極的に世界に参加している感覚が芽生えます。コンテンツを受け身で受け取るところから、自分もメタバースの一部として存在する感覚が強まってきます。

③創る

最終段階は「創造」のフェーズです。

「参画」の段階でのアイデンティティの確立に際しても、アバターをカスタマイズしたりし始めますが、さらにそこから次第に自分だけのアイテムをつくったりワールドを自分で作り出すようになってきます。

単なる参加者から、創造者の側に立つ。メタバースは与えられるものではなく、自ら関与しているものに変わります。そして自分がつくったものに対して他のユーザーからリアクションが得られると、さらにモチベーションが高まります。

「自分がつくる側」として能動的に関与している状態になると、自らがメタバースの一部になり、またメタバースが自分の一部になって欠かせないものになります。この段階のユーザーにとっては、もしVRChatがなくなってしまうことになったら祖国がなくなるような感じや自分の一部が失われる感じすらするかもしれません。メタバースの一部となり、メタバースなしでは生きられない、完全にハマっている状態です。


ユーザー深化の三段階はUGCや場づくりにも共通

とはいっても、実はこのような関与度やハマり方の段階は、メタバースだけのことではありません。UGC型のインターネットサービスやSNS、さらにはリアルの場づくりにおいても見られるものです。

例えばYouTubeなどでもユーザーの深さにはこの三段階があります。

まず、一番浅い関与は、YouTubeの動画を単純に視聴するだけの段階です。 しかし、もう少し深くなると、コメントをしたりスーパーチャットでギフティングしたり、アクションをするようになります(そしてこの時点でアイデンティティが確立され自分のアカウントを意識するようになります。逆に言えばイチ視聴者の段階ではアカウントは意識されずアノーマリー)。そして最も深い関与を感じているのは、動画を自ら制作・配信する人たちです。

よく「1:9:90の法則」と言われたりしますが、この三段階では深くなるほどに人数の割合は減ります。YouTubeでは、全体の1%がコンテンツを配信し、9%がアクションを起こし、残る90%が視聴専門というわけです。

インターネットやバーチャルの話だけでなく、例えば町づくりにもこうした三段階はあるでしょう。第1段階は受け身で、観光客として景色やコンテンツを楽しむ(sightseeing)ような段階です。そこから一歩踏み込んで、お祭りに参加したり地元の人と交流したりすると関与度があがります。いわゆる「関係人口」化するのはsightseeingだけでなくsightdoingな関与によります。

そして、第三段階は町づくりやコトづくり自体に参加する段階で、ここにいたっては自分と町との関係は「お客さん」ではなくなり一員として町の一部になります。


「利用の深さ」を設計できているか

企業がメタバースでサービスや事業をつくる時にもこうした深さの設計が重要だと思っていて、それがないと居場所にはならず、いずれ誰もいなくなってしまいます。

どれだけインパクトのある体験をつくったとしても、非日常で一時的な体験として終わってしまいます。受け身の体験だけでおわらずそ世界の中でのアイデンティティを意識してもらったり、つながりができるような仕掛けがあると体験は深まっていくでしょう。そして最終的には「つくる喜び」までいざなえると深いユーザーになります。


ただ、ここでちょっと気をつけないと行けないのは、「つくる」をしてほしいからとハードルを下げているつもりで、浅いものにしてしまってはいけないということです。

短絡的に誰でもつくれるように簡単にした結果、つくる自由度まで下がってしまっているケースがあります。これでは「やりこみ」要素がなく、すぐにつくることに飽きてしまいます。そもそも「つくる」に移行する人は他の人とはちがうオリジナリティを求めていたり、自分がほしいものがないからつくるわけですから、自由度が低くてはいけません。

VRChatでは日々UDONでプログラミングしたりシェーダーを工夫したりして、よくこんなの思いつくなあ…!というギミックやワールドが生まれています。ライトなメタバースに見えるZEPETOも「PROモード」ではアバターの顔の大きさや形などがかなり細かく設定できますし、クリエイターとしてアイテムをつくることもできます。


もちろん、「つくる」のハードルが高すぎると一部の人しかその段階に至れずタコツボ化してしまうので、入口のハードルは下げたほうがいいのですが、深さは必要なのです。この深さが、ユーザーの利用と愛着の体積を決定します。

ユーザーにとって簡単にできる体験は楽ですが、それだけで終わってしまうと熱量が生まれにくいところがあります。「お客さま」でおわらずにメタバースに主体として「参画」してもらい、最後は「つくる」側に回ってもらうようにいざなう。(ちなみに「創る」といっても3Dモデルをつくることだけを指しません。イベントの企画であったり、自ら創意工夫して何かを生み出す、ということです)

メタバースは単なるツールではなくひとつの「世界」ですから、一過性ではない「居場所」になることが重要です。企業がメタバースで事業や施策を考える際にはこうしたユーザーの深化段階も意識しながら、居場所化する仕掛けを考えることがより重要になってくるでしょう。




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