【「データの世紀」取材班から意見募集】データが導く「正解」を信じますか?
日経の連載「データの世紀」のデスクをしている植松正史です。みなさんからのご意見募集の第3弾です。今回のテーマは「データが導く『正解』を信じますか」というものです。
実は私、先週から取材の一環として職場でも家でも常に、自分の「ストレス値」を測る装置を身につけています。銀繊維が縫い込まれた専用のシャツで、心拍などの生体データから算出される仕組みですが、これがなんとも妙な気持ちにさせるのです。
例えば職場で、自分ではリラックスして仕事をしていると感じている時に意外に高いストレス値が記録されたり、逆に家で家事に追われてカリカリしているときでもストレス値はとても低く出たりします。最初は、自分のコンディションを確認できるようで新鮮だったのですが、次第に「この値は、どこまで信用できるのか」という疑問もわいてきて、もやもやしています。
現在、様々なデータをAIなど機械が分析し、「正解」を出す技術がどんどん登場しています。例えば、商品開発についてはこんな記事をみつけました。
犯罪の発生を予測するという技術や、中国では「AI裁判官」すら出てきています。
このほかにも、スポーツの試合でAIによるデータ分析で戦略を変えたり、音楽ライブで観客の反応をデータ化したうえでその日に流す曲順を変えたりと、スポーツやエンタメ分野でもデータ活用が広がっています。
こうしたデータが導く「正解」は、どこまで信頼できるのでしょうか。
非常に高度な「データ至上主義」は、人間の判断のいいかげんさや曖昧さをカバーする夢の技術なのでしょうか。それとも思わぬ落とし穴があるのでしょうか。判断に迷うところです。
そこで、みなさんからご意見を募集します!
・データの分析が導く「正解」は、どのような場面や分野で人間の判断よりも勝ると思いますか。逆に「この場面・分野は、データ分析ではなく人間の判断が優先されるべきだ」というケースは、どういう場合でしょうか。ご意見をお聞かせください。
もちろん、「あらゆる場面で、データ分析による正解を求めるべきだ」とか逆に「データに頼るのは、できる限りなくすべきだ」というご意見も歓迎です。できれば、それぞれのご意見を述べられる際に、その理由も合わせて教えてください。
noteに「#COMEMO」「#データの世紀」「#データ至上主義」をつけて、みなさんのご意見を投稿してください。いただいたご意見の一部は日本経済新聞朝刊「データの世紀」などでご紹介します。
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