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「人に頼る壁」を超えろ!

今回は、誠に僭越ながら、ママたちに申し上げたき儀がございます。

まだまだ駆け出しの身ではございますが、家事育児を通じて社会をみる視点をアップデートしてみると、これまではまったく気にならなかったママたちのある言葉に、違和感を感じるようになりました。「だって、お母さんだから」的なやつです。育児の負担がママに偏っていたり、子どもが病気に罹ったりした時にママばかりが対応していたり等、そうなる原因を説明する際、だいたいこの一言が出てきます。

もちろん、我が家でも私より妻の方が得意なことなんて数限りなくありますが、それは私が父親だからではなくて、私個人の特性によるものでありますし、逆をいえば、私の方が妻より得意なことだってあります。(す、すこしくらいは!)

ジャーナリスト・中野円佳さんの『「育休世代」のジレンマ 〜女性活躍はなぜ失敗するのか?』では、社会と家庭との間で葛藤するママたちの綿密なインビューを元に、大変興味深い分析がなされています。その中に、とてもリアルなママたちの声が掲載されていました。

 私はもう母親で、夫にはできない役割をやらないといけなくて、そこにいろんな差が絶対的に生まれるんだってのを納得させるのが大変だった。なんで私だけ、って。 [調査者:でも、母親でないとできないのは母乳をあげるくらいでは?] うーん、どっかでやっぱり縛られてるんだと思う。女の役割とか、母親がやるべきとか。

子どもが皮膚の病気になったママは、こんな話をされています。

 肌のケアも私が入院しているときに指導受けて、おじいちゃんおばあちゃんだとちょっと心配というか、薬の塗り方とかも、私がずっとしてるので、(おじいちゃんおばあちゃんに塗り方を)教えればいいんですけど、でもまぁいろいろ難しい点があって。

子育ての責任をママだけに押し付ける社会のイケてない風潮があるとはいえ、ママたちは、具体的に誰に何を言われるでもなく、母親の役割に縛られているシーンが多いように感じます。でも、インタビューの中でもあった通り、本来母親にしかできないことなんて母乳くらいのはずです。なぜこんなことになってしまうのか……?

このママたちの責任感の根拠のひとつとなっているのが、ママと赤ちゃんの愛着関係です。ちまたでもよく聞きますよね。「結局、ママが一番」

子どもは母親と精神的なつながりを持ち、それは子どもの健やかな成長に必要不可欠、という考え方です。長く、世間ではこのつながりは父親には形成できないと考えられていました。科学界の権威ですら、長らくそう主張していました。でも、曲がりなりにも妻と5:5で家事育児を担当してみると、娘は妻と同じように私のことも好きでいてくれているように感じるし、妻がいないと立ち行かないなんてことはありません(私がヘマしてテンパることはいくらでもありますけども)。赤ちゃんは、父親とだって愛着関係を形成できるんじゃないのかなぁ……。

この私のパパとしての素朴な感覚を科学的に立証してくれたのが、ハーバード大学の心理学者ミルトン・コテルチャック氏です。彼は「ストレンジ・シチュエーション法」という実験によって、愛着関係が本当に父親と赤ちゃんの間に形成されないのか、確かめてみました。

内容をざっくりご紹介しますと、この実験は赤ちゃんがいる部屋に、母親、父親、そして他人に出入りしてもらい、その時の赤ちゃんの反応を観察することによって、愛着関係が形成されているか確認するものです。

当初の結果は、期待とは異なるものでした。赤ちゃんの反応は、両親と他人との間には明確な差がありましたが、父親と母親の反応の違いをみると、母親の方が父親より好反応を示す割合が多かったのです。

なんてこった。やはりパパはママには勝てないということなのか……?😭

でも、気になることがひとつ。割合は少ないとはいえ、赤ちゃんは父親に対しても母親と同じくらい、ケースによっては母親よりも好反応を示しました。この差はなんなの? 調べてみると、その理由がわかりました。好反応を示された父親は、日常的に母親と同じくらい育児にコミットしていたのです。

つまり、愛着関係というのは、生物学的に母親と赤ちゃんの間にしか形成できないものではなく、育児をフェアに分担すれば父親との間にも築けるのです。母親にしか愛着関係が築けないと考えられてきたのは、母親に育児の負担が偏っているからです。結果論なんです。

現状を鑑みた時「夫にも親にも頼れない!」と感じてしまうママたちの気持ちはよーくわかるつもりです。私だって、育休に入った当初はどれだけ妻の地雷を踏み抜いたことか……。でも、だからといってママが家事育児を引き受けてしまうと、子どもは「ママじゃなきゃイヤだ!」となり、ますますママの負担が増していってしまいます。

改めて、育児に関してママにできてパパにできないのは、母乳をあげるくらいのものです。それ以外のことは、なんだってシェアできます。大人なんだから、やれないはずがありません。できないことがあるとすれば、それはママパパの性差ではなく、単にやる気の問題です。

家事育児の負担が偏っている時「だって、お母さんだから」と無理に自分を納得させず、本当に他の誰かと共有できないのか、ひと呼吸して考えてみてください。だって、必ずできるはずなのだから。

なお「上記の実験の詳細を知りたい!」という方は、ぜひこちら(↓)をチェックしてみてください。とっても興味深い本でした!

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そもそも、諸事情で家族に子育てを頼れない、という方もいらっしゃるかもしれません。そういう場合でも、まだまだ不十分とはいえ、社会には子育てをサポートしてくれるサービスがあります。例えば、ベビーシッター、あるいは、行政が比較的安価で提供してくれているファミサポ(ファミリー・サポート・センター)、子どもが風邪を引いてしまった時のための病児保育室などの選択肢もあります。

そして、私たちフローレンスが2004年の創業以来やってきたのが自宅訪問型の病児保育です! 

子どもが熱を出した時に、病児保育スタッフがご自宅に伺って1対1でお預かりします。当日朝8時までの依頼で100%対応可能という、すごいサービスなのです(もし当日朝8時迄の依頼に応えられなかった場合は、ガイドラインの記載にそって月会費を返金)。

何度か病児保育の現場に同行させていただいてますが、基本的に毎回初対面にも関わらず、子どもたちと一瞬と打ち解けて仲良く遊び、そして、看病する姿は本当に頼もしく、スタッフの皆さまを心底リスペクトしています。

手前味噌ながら、そんな素晴らしいサービスなので、私は知り合いのママパパが「子どもが急に熱を出して会社を休まないといけなくなって……」という話を聞く度に、必ずこの病児保育サービスを紹介してきました。

「すごい! いいね!」ってなる場合もあるのですが、一方で「そこまでして……」という反応もあります。子どもが風邪の時くらい親が看る「べき」なのではないか、と。これはもちろん、個人の価値観の問題でもありますから、私がとやかくいうことではありません。

でも、もしそれが社会からの「子どもは親がみるべき」という“常識”に端を発するものであるなら、そして、そんな “常識”のせいで仕事や生活に深刻なダメージが発生し、かえって家族を窮地に追い込んでしまうものなら、虚心坦懐に、家族みんなにとって何がベストか、考えていただきたいのです。

ある病児保育スタッフの方から聞いた話が、私はとても印象に残っています。

初めてサービスを利用する保護者さまの中には、とても不安そうな方がいらっしゃるそうです。子どもは人見知りで、保育園に慣れるのもすごい時間がかかったのに、初対面の大人と、しかも体調が良くないなか、1対1でなんて大丈夫だろうか、と。スタッフに子どもを預けつつ、不安そうに出勤していきます。

でも、仕事から帰ってきてスタッフと楽しそうに遊ぶ子どもの笑顔をみた時、すごい驚いた顔をされるそうなんです。中には、涙を浮かべて「ありがとうございます……」とお礼をおっしゃってくださることも。この話をしてくれたスタッフの方は、この場面を『「人に頼る壁」を超えた瞬間』と表現されていました。人に頼っても大丈夫なんだ、という大発見と、「自分が全部やらなければ」という張り詰めていた心の緊張が少しだけ解れる瞬間です。

人類の歴史の中で、子育ては親だけでなく地域全体で担ってきました。時代の流れと共に地域コミュニティが希薄化する中、子育ての全てを親だけで引き受けるということ自体にそもそも無理がある、と私なんかは思うのです。

家族はもとより、友人知人、行政や民間が提供する子育て支援サービスを通じての第三者など、みんなで支え合って子育て出来たらいいなと思います。

そのためには、大前提として安心して人に頼れる仕組みや環境を整えることが必須です。この国には、まだこの仕組みに大きな課題があります。ここは、私たちフローレンスとしても引き続き全力で取り組みます。

最後に、子育てにまつわるアフリカのことわざをご紹介させてください。これ、大好きなんです。子育てのエッセンスが詰まっているなぁとしみじみ感じます。

it takes a village to raise a child (子育てをするには、村ひとつ必要)

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前田晃平
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