リモートワークで音を立てて変わりはじめた 夫婦の「ふつう」
こんにちは、ナラティブベースのハルです。早いもので今年ももうすぐ半分が終わろうとしています。なんと、今年に入ってから「緊急事態宣言」でも「蔓延防止等重点措置」でもない期間は合わせてわずか28日しかないそうです!我が家では、わたしはもともとリモートワーカーで、夫がコロナ禍によってほぼフルリモートワークに切り替わって丸1年。はじめは特別だった環境が今ではふつうになりつつあります。今回は日経COMEMOで募集中の#理想の家族をテーマに、ナラティブベースのメンバー(以下NBメンバー)有志で、この1年のパートナーシップの変化を振り返り、結婚や家族の未来について談義してみました。ちょっとした視点、ヒントとしてレポートしてみます。みなさんのご家庭はいかがですか?
「だっているじゃん」から聞こえはじめる変化の音
もちろん全ての夫婦に当てはまることではありませんが、今までは「夫は基本的に平日はほとんど家にいなかった」という家庭もNBメンバーの中には多い。そしてそういう家庭では、その分出産・育児を機に働き方を変えた妻側が「平日比較的柔軟に動けるから」と担ってきた役割が多分にあった。
いつやってもいい家事は出勤前の朝や休日でもできるものがあるので分担しやすいのですが、平日昼いる時間がとれる妻がいる場合、子どものいる大抵の家庭で最後に残っていくのはこんな項目↓
<比較的柔軟に動ける妻側が担ってきた一般的項目>
・保育園、習い事の子どもの送迎
・学校関連書類全般の管理・準備提出
・税金・役所申請などの家庭にまつわる事務手続き
・放課後、振替休日など子どもが家にいる時間の対応・側にいること
など ※「今年は書いてみる?」と書類の記入を夫に振って撃沈したNBメンバー多発。
ところが、夫側もリモートワークに切り替わってくると分担可能もしくはいっしょにやれる項目が突然増えた。もちろん基本的には在宅でも仕事をしているのだから時間は限られているが、移動時間がなくなった分や昼時間を利用して、また「おかえりー」って言ってあげるなんてこともひとつの役割なので、それが可能になったのだ。だっているんだから!
わたしはもともとリモーワーク推進派なので、夫の仕事はなぜリモートできないのか(できることはやればいいのに)というのは常々疑問だったのですが、そこは触れていくと会社のカルチャーと様々な事情という彼の範疇外のところまで言及することになり夫婦喧嘩に発展するので避けてきました(笑)。ところが、昨年から全世界的ウイルス蔓延という誰も予想しなかった緊急事態で世の中は一変し、絶対時間がかかると思っていた働き方の変化が早送りで起こりはじめ…そう、今やっと、リモートワーカーとそうでなかった人たちが『同じ土俵に上がった』わけで、それは、上述のような環境の家庭ではニアリーイコールで『夫婦が同じ土俵に立った』ことを意味するのです。それは、言い換えれば同じ景色がみえるようになったということで、この出来事は夫婦の「ふつう」を急速に変えつつある。
改めて気づく夫婦の窮屈
ここで、改めて気がつくのは、2人だと分担しづらっ!という事実。自分がしないことは相手がするしかないし、相手がしないことは自分がするしかない、というあたりまえの壁。改めて相手に頼むくらいなら自分がやった方が早い…けれど、もはや自分がやらなければならない理由(夫が家にいない)がないのになぜ自分だけというモヤモヤもある…大抵この壁にぶつかります。そう、環境は変われど、長年培われてきた「ふつう」を変えることはとってもめんどくさく、とっても大変。
こういった変化を受けた場合、3人以上いれば「話し合い」もしやすいのですが、2人だと「言い合い」になってしまいがち。(そんなことないよー!うちは夫婦で家族会議できてるっというご家庭が羨ましい!)
ここで談義の中でも、夫婦って本当に1対のペアでないといけないの??という究極の疑問が、持ち上がってきます。大家族の方が絶対再分担しやすいよね?!これが核家族化リスクの行く末か!「亭主元気で留守がいい」という時代さえも音を立てて終わってしまった(笑)。
家族ってなんのためにあるの?
ここで、#理想の家族 のテーマ提示をされている(一社)バブリック・ミーツ・イノベーションさんがまとめた#ミレニアル政策ペーパーの「家族が担ってきた9つの機能」を眺め冷静になってみようとなる。家族ってそもそもなんのためにあるんだっけ??
ここで気付いたのが、最後にある「ステータス付与機能」以外はすべて外在化できるよね?ということ。つまり、家族の外のサービスや環境での充足に置き換えられる…ということは、もはや家族=ステータス付与なのか???
いやいや、えー、それだとなんか違う気が、とざわつく心。「家族ってそもそも、安心し互いが育まれ、力を発揮するインキュベーションが重要なのでは?子育てに限らず」と口をついて出たものの、NBメンバーと話しつつ掘り下げていくと、むむ、その「安心」って結局「ふつう」であるという心的状態に強く結びついているのではないかという話に至りました。深い…。家族は社会の最小単位。家族は「あたりまえ=ふつう」を共有した最小の集団だとすると、人はその「ふつう」の安心を求め、ひとつの単位(集団)になるのではないか。
制度は「あたりまえ」の内と外をつなぐ?
誰でも家族をもって初めて、自分と相手の「あたりまえ=ふつう」が違うことに気づき、すり合わせていく過程を経て家族をつくる。徐々に家族の「あたりまえ」が作られ、安心を手にいれる。もっと言えば、その「ふつう」が自分の家族だけだとなるとやはり不安で、他の家族も同じような「ふつう」を持っていると感じることが、また「安心」につながっていくのでは?という話に展開していった。
そう考えると、結婚制度は実は、(国民を管理する一つのルールであると同時に)家族のふつうが、家族の外と違わないか?一致して安心を作り出すことにも一役買っている点はありそうだ。ひとつの形式があることで、外からみた自分と内からみた自分が一致していると確認でき、安心できる。
多様化を制度に反映すると結婚しづらくなる?
結婚や家族の持ち方が多様化して行く流れに異論のある人はいなかったが、「制度をそれに合わせて多様化しすぎると、結婚前に確認合意すべき条件が増えて、結婚は限りなくハードルの高いものになってしまうのではないか?」いう懸念の話も出た。
理想の家族って?というテーマで「理想がいっしょの家族っていいよね」という意見がある一方、「そもそも個は完全性のない存在だから人と合わさって初めて形がみえるし、事前の取り決めがいつまでも続くわけではない。はじめから理想が一致している家族などいない」という意見もでた。確かに、わたしたちこういう家族です!というのを始まる前から合意し、多様な選択肢の中から確認して取り決めていくのは至難の技だ。
制度が細分化していくのではなく、大きな枠組み(家族の目的)の中で、設計を柔軟に変えられる、許容していくような形でないと今より扱いづらいものになっていく…ひとついえるのは「家族の目的ってなにか?」という定義なしには、制度改革は意味をなさないのではないか?ということ。
「家族の目的」はなんでしょうか?それが「多様でいい」という結論では、議論は堂々巡りになってしまう。
それでもやっぱり、あなたとわたしの「ふつう」を求めて
随分話が広がってしまいましたが、ここでNBメンバーによる#理想の家族談義は24時を周り御開きとなった。様々な話の展開をなぞって思ったのは、夫婦の視点が同じ位置にきて、「もう一度、わたしたちのふつうを考えようよ」という機会が今訪れていることは、本当はしあわせこの上ないことなのかもしれない。結婚したての「あたりまえ」のすり合わせをもう一度できるチャンスだし、本来ならこのチャンスは訪れなかったのではないかと思う。
何十年もかけて世の中の「ふつう」が変わっていく常が、この1年で加速したという事実。その只中であたらしい夫婦の「ふつう」を共創できるなんて素敵じゃないか。
小競り合いをやめて話し合いのテーブルにつこう!改めて思いましたw
ぜひ、みなさんも仕事仲間や家族と、このテーマを話し合ってみることをお勧めします^^ミレ二アル政策ペーパーを参考に。