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【ジョブ型雇用】コロナ便乗の「新しい○○」なんて戯言に惑わされるな!

「ジョブ型雇用」という言葉が一部の界隈でバズワード化しているようですが(勘違いしないでほしいのは、こんな言葉がバズっているのなんてほんの一部であって、全体からしたらどうでもいいレベルの話です)、コロナと結び付けて、今後の日本の働き方が変わるなどという言い方をすれば、それに興味をそそられる人もいるでしょう。

結論から言えば、コロナごときで世の中全体の働き方なんて変わりはしないし、テレワークだなんだかんだいったところで、全国レベルでは所詮MAXでも3-4割しか実行されていないマイノリティの話です。

以前も記事化しましたが、日本の仕事の6-7割は、テレワークなんかじゃ代替えされないエッセンシャルワークによって支えられています。

医療だけじゃない、物流も小売りも製造もサービス業のほとんどがそういう業態です。テレワーク導入だ、などとドヤ顔しているホワイトカラー民が、毎日ごはんを食べていられるのは、彼ら日々ソトで働いている人たちのおかけです。

東京の大企業の社員だけが働いているわけじゃない。むしろ、1000人以上の従業員のある大企業の社員数は約700万人。全就業者のうちの12-13%にすぎない。9割近くは大企業従業員ではありません。たかだか1割程度の就業者の働き方が変わったところで(それすら変わるとは個人的に思いませんが)、何の影響力があるというのでしょう?

こうした上辺だけの流行り言葉に乗っかったがために、調子こいて後で大変な目にあった事例でいえば、「フリーター」という言葉があります。1980年代リクルートによって生み出された?(フリーアルバイターの略?)言葉ですが、「組織に縛られず自由に生きる」的なライフスタイルとして、他のメディアにも好意的に紹介されました。大学を卒業した後、新卒で就職しないという選択をした若者もたくさんいましたね。

結果どうなったかというと、そうした「フリーター」を選択した者のうち、能力や運に恵まれた一部の人は良かったのかもしれませんが、大部分は、当時正社員として就職した同級生と比べて、年収が低く、生涯年収で比較したら倍以上の格差がついている。それが現実です。

こうした本質的ではない言葉遊びなんかしているから、学生たちが混乱するのです。

大学出たばっかの22歳くらいで、自分が何の仕事に向いてて、どんな力を発揮できるかがわかっている人間なんてほぼいない。おっさんだってわかってないのも多いのに。

ジョブ型採用なんか始めたら、逆に本人の可能性を遮断することにならないか?と思います。

若者は、どうかこんな上滑りな言葉に惑わされないでほしいと思います。

20代でロクでもない働きしかできなかった者でも、機会と場所を与えられたことで30代後半くらいからメキメキ頭角をあらわす場合もあるし、その逆に、20代で活躍していた者が40代で管理職になった途端使い物にならなくなる例もある。そんなことは当の本人でさえ予測できません。地方への転勤、海外への赴任なんかも最近は目の仇にされているようですが、そうした環境の変化が当人にとって良い影響を与えないとは言い切れません。


ジョブ型雇用に対して、日本の従来の雇用は「メンバーシップ型雇用」と区別させられるようですが、これ別に「ジョブ型雇用会社」とそれ以外というものがあるわけではなく、単なる機能にすぎないのです。現在のメンバーシップ型雇用企業の中にも、ジョブ型採用の中途入社社員はたくさんいます。

個人の持つ経験やスキルに対して、活躍フィールドを限定して雇用する。それがジョブ型雇用の本質であるのに、雇用形態としてのジョブ型があるかりごとく報道されたりするから混乱を招きます。

ましてや、ジョブ型=成果主義ではない。業績を見える化してその成果に応じた報酬を支払うことをジョブ型と勘違いしている人のいかに多い事か。そんなことは今の日本企業でも機能として既に導入されています。

ましてや、「メンバーシップ型は、日本の古い制度、ジョブ型は欧米型で新しい制度」など「古いvs新しい」という二元論にしちゃっている御仁に至っては呆れてものが言えませんね。何から何まで日本式がダメで欧米式が正しいとか思考停止でしょ。

ジョブ型雇用なんて、日本には戦国時代からあります。傭兵がそうです。戦国の戦に駆り出されたのは、何もその土地の農民ばかりではありません。専門の傭兵軍団がいて、先月は織田軍、今月は本願寺軍というように、銭で節操なく働いていました。有名なのは、和歌山の雑賀衆です。

戦国大名からすれば、銭さえ払えば動いてくれるので使い勝手がいい。重宝したと思いますが、結局、その成れの果ては一族滅亡です。機能はその機能の役目を果たしたら始末されるのは当然です。(ちなみに、信長が武田を破った長篠の合戦の鉄砲三段構えは、信長の発明ではなく、雑賀孫市の戦法のパクリです)

言ってしまえば「ジョブ型雇用」なんて別に何一つ新しくありません。そもそも「新しい仕組み」だの、「NEWなんちゃら」とかの言葉を使いたがる輩は、大体そいつが自体が古臭いおっさんです。

アメリカの企業なんて、成果主義とか誤解されているけど、完全な上司に対するイエスマン体制で、実績より政治力が物いう世界ですからね。むしろ日本なんかよりムラ社会っぽい。アメリカで転職が盛んなのは、個人の前向きな動機というより、ちょっとでも上司に逆らったらすぐにクビになるからです。


ま、それはいいとして、身も蓋もない話をしますが、僕の主宰するラボでの調査(N1.5万人)では、「仕事が生きがい」なんて人間は、20-50代の現役世代全体の中のせいぜい2割に過ぎません。さらに言えば「働かなくても生きていけるなら働きたくない」という設問にYESと答えた割合は、現役世代で6割に達します。基本的に、みんな「仕事なんてしたくない」のです。


逆に言えば、2割の「仕事が生きがい」という人間の活躍の場さえ、ちゃんと用意してあげればよくて、残りの8割は(仕事はするものの)そのおこぼれに預かりながら、生きがいは趣味や家族など他の部分で満たしているのです。まさにパレートの法則まんまです。

でも、そうした8割の個人の趣味や生活そのものが、全体の経済を回す原動力になっていることも忘れないでほしい。仕事をしている人だけが世の中を動かしているのではない。遊んだり、旅行したり、無駄なことをしたりする人たちがいなければ、経済は循環しない。


大体「働き方改革」などという言い方は、所詮雇用主側の「働かせ改革」にすぎない。どう都合よく駒を機能させられるか?という話なんです。雇用主側の一方的な「働かせ改革」なんだから、基本雇用主のメリットが優先されるに決まっています。騙されないようにしましょう。

制度とかいう入れ物ばかり見ている暇があるのなら、その中にいるひとりひとりの人間をみることに注力すべきじゃないんですかね?

こんなニュースがありました。

「会議中の暴行で怪我を負い、困って社内のハラスメント相談部署に相談したにもかかわらず、十分な調査をされず相談を否定され、配転希望にも対応してもらえず、退職をせざるを得なかった」

会社は、傷害に値する暴力行為に及ぶパワハラでさえ、満足に対応してくれなかったという例です。「ふたりの喧嘩だから会社は関知しない」という発言に至っては、もはや社会秩序の全否定です。

「人間がいて、仕事が回る」のであって「仕事をさせるために人間を配置する」のではない。「雇用の型があって、そこに人間をはめる」のではなく、「人間が働いたことで結果的に最善の型が形作られる」にすぎない。雇用主とは何も全能の神ではない。本末転倒しないでほしい。給料と引き換えに誰もが魂を売り渡すわけではない。



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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。