孤独とは、毒だと感じる人もいれば、最良の薬である人もいる。本質的な問題は孤独ではない。
内容的にはどうでもいいニュースですが、まず見出しが誤解を招く。菅総理は孤独担当大臣を設置するなんて一言も言ってない。
さらに言えば、そもそも孤独担当大臣なんていらない。大臣作れば解決するの?少子化担当大臣が一体何の仕事をしたっていうの?
でもな、ソロ外食を全く理解できない国会議員たちは自分らが孤独が怖いからってこんな無意味なポスト作りそうで嫌だ。
案の定、自民党でも「孤独対策」云々とか言い出している。
「コロナ禍で『望まない孤独』の問題が顕在化した。国として根底にある問題を分析し、必要な支援を行うべきだ」というのだが、「必要な支援」と言われていることが、結局のところ「みんなで集まれる居場所作り」とか「趣味のサークルに入りましょう」とかが関の山なんでしょ?
それで「孤独」は解決するんですか?
絶対にしない。
勿論、そういう。居場所や趣味の会を否定するものではありません。孤独の寂しさというものは、今まであったものがなくなった欠落感だと思うので。たとえば、仕事での居場所、家庭での居場所があった人が、退職や離婚によってその居場所を失ったから孤独を感じる。それはそうだと思います。
個人的な感覚で恐縮ですが、"「ただいま」っていって家に帰った時に、誰も「おかえり」と言ってくれない→寂しい"というのが僕はまったくわからなくて、「それ、スマートスピーカーじゃダメなの?」と聞いても「だめなんです」と言うわけです。「なになに?おかえりと言ってくれる誰かがいないとあなたはそこに存在しないの?」と意地悪なことを言いたくなってしまいます。
まあ、これがダメな人っていうのは、別に「おかえり」と言ってほしいのではなく、かつてあった「おかえりと自分の帰りを待ってくれる人がいた日常」の喪失感に堪え切れないだけなんですね。人の欠落ではなく、環境の欠落です。
何が言いたいかというと、すべてにおいて自分の外側の環境のあったものがなくなったことでいちいち孤独だ、喪失だ、といってる「自己」は、生涯孤独に苦しみます。
言い換えると、可視化された自分の外側の環境にばかり依存している人こそが孤独な人間なんです。
そういうことを書いた記事をマイナビウーマンの連載に公開しました。特に、友達や知り合いはたくさんいるのに、そういう人達と囲まれているにも関わらず、孤独を感じてしまうといういわゆる「つながり孤独」をかんじていらっしゃる方は必見です。
ぜひこちらの記事を一回読んだうえで、その後にお進みください。
さて、言いたいことは記事の中で大体言いつくしたのですが、これに対していろいろと思うところのある人はたくさんいるでしょう。僕の記事は、基本的に、「3000文字の問い」なので、読んだ上で感じたことはどうか頭の中だけで留めておかず、文章にしてアウトプットしてほしいんですよね。そして、そのアウトプットした文章をまるで他人が書いた文章であるかのごとくの気持ちで再度読み直してほしいんですよね。それが、実は「自分の中の新しい自分を生み出す」ひとつのトレーニングになります。
この記事、NewsPicksでは180件もピックされて、様々なご意見を頂きました。勿論賛否はありますが、「そういう考え方は目鱗だった」などいろいろと共感もいただいています。
その中に、これは皆さんにも読んでいただきたいな、と思うコメントがあったので、ご紹介させていただきます。
”本当の「つながり」は、自分とつながること” まさにこれは今の時代のキーワードだと思います。私は、今回のコロナウィルスがわれわれに問いかけているメッセージはこれだと思っています。コロナ前も「つながり」が社会における大きなキーワードではあったものの、コロナにより強制的に「つながる」ことを物理的に遮断される環境が強いられています。それにより苦しい立場、状況になっている方々もおられますが、その中で「今、何につながることが大切なのか?」を真剣に皆が向き合っています。コロナが落ち着いた先に、我々の人としてのアップデートが図られていると信じていますし、この記事にある言葉は、そのために必要なことが散りばめられている、とそう感じました。
孤独ってなんでしょう?
孤独に苦しむ人がいる一方で、孤独を楽しむ人がいることも事実です。孤独を健康をむしばむ悪だと決めつける人がいる一方で、孤独な時間がなくなったことでストレスをため込む人もいます。
孤独という言葉だけを取り出して、「それが社会の問題だ、害悪だ」なんて白黒はっきりつけられる話ではないのです。孤独は毒になる人もいるが、薬になる人もいるんだってことを知ることは重要だと思います。
「望まぬ孤独ってつければいいんでしょ?」みたいな安易な考えはやめていただきたい。孤独に苦しむ人が一体本質的に何に苦しんでいるのか、そこを明らかにしていくべきで、多分それは、「孤独のせいだ」なんて一括でくくれるものではないでしょう。そして、複雑に要因はかからみあっている。
記事にも書いた「集団の中に組み込まれているからこそ感じる苦しさ」っていうのもあるんです。誰かと一緒にいれば解決するなんて簡単な問題じゃない。特に田舎などはそうでしょう。
何度も言いますが、今後「個人化する社会」へと突き進むことは不可避です。よく個人と個人とが分断する社会は悪いなどとのたまう人がいるのですが本当ですか?
そもそも個人とは分断されてるもの。個人個人なんてものは、必要に応じて協力し合い互恵関係を都度築けばいい。実はそれが社会というものなのだ。なのに、本来分断体の個人を思想や宗教や不安で集合体の部品に組み込み、集団の論理で個人を利用して得しようとする輩が蔓延るから面倒臭いのです。
よく言われる社会の分断なんてものは、洗脳された集団と集団の分断であって、個人の分断ではない。イデオロギーや宗教が違っていても、たとえば雪道でスタックした車があれば押してあげられる。それが個人の性質というものなのです。
孤独云々をある特定の集団の害悪に仕立て上げて、それを魔女狩りして、集団の統一性を図るなんて「中世の支配思想」みたいな呪いから、いい加減解放されたほうがいいよ、という話。
最後に、付け加えるとすれば、「孤独を悪者」に仕立てると儲かる仕組みを考えている詐欺師たちもたくさんいる。外部の環境だけに依存する人は、本当に気を付けてもらいたいのです。
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。