プローテウスの「変身」 〜「危機」と「未来」をつなぐもの
お疲れさまです。uni'que若宮です。
日経COMEMOからこんなお題が出ております。
プロティアン・キャリア
「プロティアン・キャリア」という言葉をご存知でしょうか。
「プロティアン・キャリア」とは、アメリカの心理学者ダグラス・ホールによって提唱されたキャリア理論で、旧来型のキャリアの価値観に対し、右のような特徴があります。
「プロティアン」という呼び名はギリシャ神話のプローテウスという神から来ているのですが、このプローテウスというのは何にでも「変身」できる能力をもっています。
これまでは一つの組織に所属しその組織の中で価値発揮し評価されることを目指していたのが、柔軟に変化し組織に縛られずにキャリアを構築していくようになる、こうした特徴を「変身」に例えているわけです ね。
僕の「変身」について
さて、今回のお題である、僕自身の変身の話をしたいと思います。
僕自身けっこう「変」なキャリアパスをしています。もともと建築を学び建築設計をしていましたが、建築士免許を取ったのに会社をやめ、大学に入り直してアートの研究をしました。
その後30歳にして新卒でNTTドコモに入社、以来モバイル・インターネットの業界で10数年、新規事業の立ち上げをした後に起業し、現在はITベンチャーを経営しています。
その傍ら、ランサーズでタレント社員をしていたり、アート思考やアートの布教活動をしていたり、資生堂さんなど大企業の新規事業のアドバイザーをしたり、自分でも自分がなんの人なのかよくわからない人になってまいりました。
そもそも性格的にとても飽きっぽいのもあり、割と行き当たりばったりなキャリアなのですが、まったく共通項がないかというとそうでもなく、歳を重ねるごと自分なりには実はわりと軸が見えてきています。とはいえこういうキャリア・パス(道筋)はその当時に見えていたことではまったくなく、振り返ってみると星座のようにみえてきた、という感じです。Connecting the dotsというやーつですね。
そんな僕の「変身」はというと、建築設計事務所を辞した時とか博士過程に行くのを諦めて就職した時とか、実際にキャリアチェンジをした外面的な転機もあるのですが、一番大きな「変身」は実は内面的な出来事だったと思っています。
「ロジカルくそ野郎」からの「変身」
僕にとって一番大きい「変身」は、実は辞職とか転職とかではなく、ドコモ時代の大きな失敗でした。
いまではアート思考だとかジェンダーだとか言っているくせに、かつて僕はごりごりの「ロジカルくそ野郎」でした。歳を取ってから大企業に就職したこともあり最速で出世してやろうと焦っていて、かつ、自分は「仕事ができる」と思い込み、他の人を見下していました。ごく控えめに言ってすごくヤなやつです。かつての自分とは絶対に友だちになりません。(実際、当時僕と一緒のチームで仕事をしていた人とは疎遠です)
自分が誰よりも優秀だと信じていて、かつ手柄を焦っている。こういう状態で何が起こるかというと、人をコントロールしようとしたり、なんでも自分でやろうとするんですね。
なぜかというと、「自分が一番仕事ができる」と勘違いしているとチームのメンバーが自分の劣化コピーにしか見えなくなってくるのです。すると「なんでおれの言った通りやんないんだよ」「ていうかおれがやった方が3倍早いわ」そうやってメンバーを信頼せず、すべて自分が回しているようなつもりになっていました。「言い訳せずに上のいう通りにやるんだよ」と吐き捨てたことも何度もあります。ごく控えめに言って最悪にヤなやつです
懸命な読者のみなさまはお気づきのように、こんなチームワークでうまくいくわけがありません。ある時、部門横断のプロジェクトは空中分解します。(正確には「しかけ」ました。色々上手くいかなくなって病み、仕事を何日か欠勤したのですが、自分がいない間は他のメンバーが頑張って回してくれていました)
文で書くと数行で書けるのですが、当時の僕にとっては非常に重い出来事でした。暗黒の中にいるようで、なにも前に進められる気がしませんでした。ああ、これで道は閉ざされたなあと。
まさにこんな感じです。
しかし、先程も書いたように、プロジェクトは僕がいない間もちゃんと回っていました。「おれが回している」と勘違いしていただけ、「道は閉ざされた」と思っていただけで、地球は回るし道は続いていたのでした。そしてそれは、僕が勘違いして「劣化コピー」と見下していたチームのメンバーのみんなおかげでした。
これをきっかけに僕はマネジメントスタイルを180度変えることになりました。といってもすぐは変わらないのですが、少なくとも変えようと決意しました。具体的にいうと「管理型のマネジメント」を捨て、「活用型のマネジメント」にしたのです。これは今の弊社の「オーケストラよりバンド」スタイルのマネジメントにも繋がっています。
僕はこの時の失敗で、チームのメンバーそれぞれの異質性を生かさないマネジメントはチームの可能性をまったく生かしていなく、むしろ殺していることを身を持ってして知りました。
「自分が一番仕事ができる」「自分の言ったとおりにやればいい」というのは、コントロールが効くので不確実性が低く、ある意味で効率的です。しかし、それではリーダーの予想を超えるような成果は出ません。リーダーの能力がチームのキャップになってしまうのです。
これに対し、(僕が休んでいてもチームは回っていたように)チームメンバーがそれぞれ自発的に動く組織にはレジリエンスがありますし、リーダーの能力を超えた出来事が起こります。これを起こしていくことこそが「チームで仕事をする意味」だと、35歳くらいにしてやっと悟ったわけです。
「変身」のきっかけは「危機」
いや、もっと早く気付けよ、と言われそうですが、難しいのは、上手く行っている時にはひとはなかなか変われないのですね。
その時僕はいちおう「最早(さいそう)組」という社内隠語で呼ばれていて、同期では一番の速さで出世もしていました。いわゆる「天狗になってた」というのもあるとは思うのですが、それよりも振り返るとどちらかというと「変えるのが怖くなっていた」という感覚の方が強かったように思います。積み上げてきたものが積み上がってくると、それを変えるのが怖くなってしまうのです。ジェンガがすごい高さになった時みたいな感じですね。
なので、大失敗はしたのだけれども、僕は多分、あの失敗がなければ「変身」できなかったのではないかと思います。
実は前述の「プロティアン・キャリア」の元になったプローテウスも、いつ「変身」するかというと、誰かに捕まえられそうになったときとか、そういう「危機」がきっかけなのですね。そう思って振り返ってみると、僕の場合建築からのキャリアチェンジも、その後の研究者からの就職も、将来こうなりたい!という前途洋々のチャレンジというよりは危機感がトリガーだった気がします。
そして「未来」が聞こえる
ところで、プローテウスは「変身」の神でもありますが、「予言」の神でもあります。
ただこの「予言」も、普段は起こらないんですね。
予言の能力を持つが、その力を使う事を好まないため、プローテウスの予言を聞くためには、捕まえて無理矢理聞き出さねばならない。(wikipediaより)
プローテウスは、「危機」的状況に晒された時に、もがき「変身」します。そしてその「変身」をした後で、自分の姿に戻り、「予言」する、つまり未来について語るのです。
今、プロティアン・キャリアが注目されているのも、VUCAの時代とよばれる不確実性の高い時代には「変身」があってこそ「未来」につながる、ということが徐々に明らかになってきたではないでしょうか。
いわば「変身」を媒介として、「危機」は「未来」と繋がっているのです。
いま、コロナ禍もあり、経済成長の停滞やらジェンダーのことやら、日本社会がだいぶ危機的状況にあることがいよいよバレてきています。ですが、だからこそ、ここで一度ちゃんと大きな「危機」に向き合えば、「変身」できるかもしれません。
そして「危機」をきっかけにした「変身」のその後でこそ、日本は「未来」について語ることができるのではないでしょうか。
追伸:本編には全く関係ないですが、「変身」といえば↓が大好きなのでぜひみなさん読んでください。天才。