〜驕るモテ男は久しからず〜 YくんとTくんにみるモテ企業論
どうもこんばんは、uni'que若宮です。
ちょっと今日は「モテる企業」ということについて書きたいと思います。
対照的な2つのタイプの企業が話題になりました。
「口止め」「恫喝」「ピンハネ」による搾取と、「自由」「個のエンパワーメント」「収入保証」、見事に真逆です。
ダメ男のYくん
先の記事で大平サブローさんはこんなことをおっしゃっています。
「オマエがそれ言うか? っていう発信もいっぱいある。弱ったのを見てから物を言う。これこそ、言わせてもらうけど、気にいらんかったら辞めろよ」
「騒動落ち着いたら、この記録が残るねんで。後に偉いさんが…怖い」
風見鶏のように機に乗じて会社叩きに走る若手をみて、苛立つ気持ちもわかります。しかし、ここで出てきた不満はほとんどが事実だと思います。会社が嘘の答弁をして、事実を訴えても認めないのであれば、団体で声をあげるしかない。そう、これはある種団体交渉やストライキのようなものです。
もちろん、「文句があるなら外で言わんで会社に言え」ということもできますが、それは十分に個人の立場が強い場合にしか無理でしょう。「こいつらふぜい」と呼ばれるような立場の人間にとってそれを意見することすらできないのです。また、「気に入らないなら辞めろ」というのも同様です。KaoRiさんが告発したように、搾取とはほとんどの場合「弱者」には実質的な発言権や選択権がない状態でなされます。そしてさらには、発言した若手に対し、「ほー、そうかそうかあとで怖いでー?わかってるやろな?」とビビらしも入っています。
恫喝し、お金を巻き上げ、口止めし、気に入らないなら別れるぞ?痛い目見るぞ?という。これは端的にいって、典型的なダメ男やDV男です。本当ならすぐにでも別れるべきなのですが、依存が起こってしまっているので別れられず、ずるずる行く。
そしてDV男に限って嫉妬深く、連帯を求めます。「家族」や「身内」であることを強調するのは、一方で「お前家族裏切って出ていったらどうなるかわかっているやろな?」という脅迫とほぼ同義だったりします。
ジェントルなTくん
一方のTくんは、それとは真逆です。
上下のある会社の雇用関係という人間関係から、フラットで働ける組織になります。新しい時代の組織はこういうフラットなものであるべきではないか。
優秀で、タニタの危機を救える社員は、本来は会社に残りたいと思ってくれると思います。でも、経営危機になれば賞与を払えなかったり、給与を下げたりしなければいけなくなるかもしれません。そうなったとき、タニタの仕事をしながら、ほかの会社の仕事もできる仕組みであれば、社員の手取りは減らず、タニタの再建に尽力してくれることになります。
できるだけ対等であろうとし、相手の気持ちに思いを馳せ、やりたいことができるように心を砕きます。
社員のことを「優秀」という。そこには相手への尊敬がある。「オマエ」とか「こいつらふぜい」とか呼ばず、ちゃんと敬意をもって自分を認めて褒めてくれたらやっぱり嬉しいし、一緒にいて楽しいなあと思いますよね。
モテ男はどっち?
もちろん、Yくんにもダメなところばかりではありません。本当にやばい時に助けてくれたり、よその野郎からは身体張って守ってくれたりする。硬派で人情に厚いところもあり、他に行き場もないような半グレの面倒をみたりもする。だから男友達や慕ってくる後輩も多い。この人にはこんないいところもあるんだから、とDVのことも我慢してしまいそうになったりします。
逆に、Tくんは優しいし、すこし軟弱に見えないこともない。「ツレのこと褒めていちゃいちゃしてあほか。女々しいったらないわ、そうまでして気に入られたいんか。そんなんやからつけあがるんや」と、Yくんは言うかもしれません。「そんな奴2秒で泣かしたるわ」と。
さてさて、YくんとTくん、どっちがモテるでしょう。あなたはどちらといたいですか?あるいは自分の娘や家族にどっちの男性と一緒にいてほしいでしょうか?
どちらかが良くてどちらかが悪い、という二元論をしたいのではありません。大事なのは時代は変わったのだ、ということです。Yくんはよくもわるくも昭和の男です。(古き良き、といっていいかはわかりませんが…)
彼が若くやんちゃな時にはモテたでしょうし、後輩にとっての憧れのアニキだったかもしれない。しかし、モテていた頃のプライドを捨てられないままに歳をとり、頭髪は薄く腹のたるんだ40歳くらいになってみると、やんちゃさはもう魅力ではなくなってしまう。
対して、相手を慮って「一緒にいたい」と思えるよういつも考えてくれる、Tくん。
「優秀な社員が数年でも残ってくれれば、乗り越えられる」。ではどうしたら彼らが残ってくれるのか。
今の時代にモテるのは明らかにTくんではないでしょうか。
モテない企業はオワコン化する
以前、社会やその中での働き方は無重力化し、これから大事なのは「引力」である、という話を書きました。
かつて「高さ」のパラダイムでモテモテだった企業は、高層ビルを目指し、下にいるものに重圧をかけることが当たり前になっていました。そしてこの垂直方向の力が、従業員に対して企業を優位にさせていたのです。実際のところ、まだまだ企業>社員という力関係が存在します。
Yくんの名声が落ちても、やはり彼と一緒にいたい、という人はいるでしょうし、行き場のない後輩の拠り所であり続けるでしょう。あるいはもっとブラックな企業もあるでしょうし、働けるだけマシ、という人もいるでしょう。しかし、これは徐々に変わっていくと思います。
それはこれから複業などによって「依存度」がどんどん下がっていくからです。色々な働き方が生まれ、一社に所属する以外の選択肢ができ、いろいろな人と付き合うようになれば、良さも悪さも相対化されて、本質的な魅力がある人のところに自然と人は動いていきます。
だからこそYくんのようなタイプは嫉妬深く、パートナーが他の男性と話をするのすら止めるのです。相対化され、あれ?おかしいぞ?と気づかれたり、もっと魅力的な男性がいるんだ!と気づかれてしまうと困るからです。色んな理由をつけますが、複業を禁じている企業は究極をいうと嫉妬深く自信のない彼氏と同じだと思っています。一度結婚したら離婚できない時代ならまだしも、その強制力がさがってくるとそういう彼氏からは徐々に相手が去っていくでしょう。
僕は企業とは「価値のプラットフォーム」だと考えています。「法人」というと独自の人格があるように見えますが、つまるところそれは人の集合です。Instagramの価値はユーザーが生み出しているように、人が集まって、その人たちから価値が生まれるのです。ここでもしInstagramが、Yくんのようにユーザーに対して横暴で強権的に振る舞ったらどうなるでしょうか。
ユーザーのいなくなったプラットフォームはオワコン化します。ユーザーにかしずく必要はありませんが、ユーザーと対等にあろうとし、ユーザーを尊敬し、常にその気持ちに配慮するプラットフォームには人があつまり、より多くの価値がうまれていきます。
以前こちらの記事で書いたように、僕は従業員もまた、第一顧客として扱うべきだと考えます。
吉本興業さんが今回の件で再度自分を見つめ直し、古く悪しき因習は見直して、ますます沢山の芸人さんに愛され、沢山の笑いを生むプラットフォームになっていくといいな、と思います。