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2月15日に日経に掲載された「国連機関、紅色に染めるな」の記事。今回の新型コロナウィルスの対応で、「WHO(世界保健機関)は何しとんねん」というモヤモヤをきっかけに、国連機関のトップを特定の国(中国)が多くを占めている現状、公平・中立な国際機関運営が行われているのかという疑問をまとめたもので、興味深く読みました。

日本の感染拡大の方にメディアの関心が集中してしまい、日本のメディアでは十分に議論されていないように思いますが、今回のWHOの対応に違和感を抱いた方は少なくなかったのではないでしょうか。
緊急事態宣言が出たのは1月末(1月30日)。事務局長自らが「中国の対応は過去に例がないほど素晴らしい」と手放しで褒めたたえたりしたこともあり、緊急事態宣言の時期の適切性、遅くなったとすれば中国への忖度ではないかという疑念を持たれた方も少なくないと思います。
中国政府も被害防止に必死に取り組んでいるわけで、無用な批判をすべきではないのは当然ですが、逆に、どのような状況か把握しきれていない中で、「過去に例がないほど素晴らしい」という褒めたたえっぷりに、少なくとも私は違和感を抱きました。
でも同時に、「国連機関ってそんなもんなのよね」とも思いました。

私自身は、温暖化問題に関する政府間交渉の場である、国連気候変動枠組み条約交渉で国連事務局を見ているに過ぎませんが、国連あるいは国連機関って町内会組織だなぁと良く思います。日本の方には、国連は、日本政府よりも上位の世界政府であるかのように捉えている方も多いのですが、全ての国が各国の主権を代表しているので、不公平にでも扱おうものなら大変なこと。横の公平性がとても重要なわけです。
また、主要ポストを得るには、政治力と経済力(資金力)が大きくモノを言う世界。一度得たポストを手放さないようにパフォーマンスするのも、制度的に仕方ないといえば仕方ないところ。

今回のWHOの対応で言えば、事務局長の対応の適切性は問われるべきだとおもいますし、この記事が指摘するように、国連の15ある専門機関のうち4つのトップが特定国(中国)に集中しているという状態を問う議論も必要でしょう。

ただ、そもそも日本はこうした、「国際舞台で自分たちの声を届けるために必要なふるまい」ことへの意識が十分ではなかったように思います。問題意識を持っている方はいても、ではそのために人も資源も投入するという考え方にコンセンサスが得られていたかというとそうでもなく、結果としては存在感を得ることはできていないのではないでしょうか。

もちろん緒方貞子さんや先日逝去されたIAEAの天野さんのように、世界的な尊敬を集めた国連機関のトップもおられて、日本人としては心から感謝と尊敬をする次第ですが、いかんせん数が少ない。

別に日本のために我田引水をしてもらえるよう日本のトップを、という訳ではありません。ただ、やはり特定国に国連機関のトップの役職が集中したり、その運営の公平性・中立性に疑義が持たれるような状況は望ましくないはずです。
国連機関ってそんなもんだよな、という認識も持ちつつ、国際的に存在感を持つためにはどういう戦略を取るべきかという意識を持つことが必要ではないかと、改めて今回のWHOの対応を見ていて思いました。

国会でもこういう議論してほしいなぁと思います。まだ「桜」ですか?

#COMEMO #NIKKEI

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