ツイッターやっていると孤独感に苦しむんだとか?
SNS利用と孤独についての記載がある、興味深い記事があったので読んでみた。
分析の結果、高齢者(65歳以上の2985人)の場合、LINEの頻繁な発信・閲覧は、主観的幸福感の高さと関連していることが判明した一方、Twitterの頻繁な発信・閲覧をする層は、孤独を感じている割合が高いことが明らかになったのです。
簡単に言うと「ツイッターやっている人間は孤独」ってことかしら。特に高齢者でツイッターやっている人の孤独感がヤバいと。
ほほう…。
本研究結果は、顔の見えるSNS(LINEなど)であれば、精神的な健康の維持に役立つ可能性を示している一方、匿名性と自由度の高いSNSはその逆の危険性を含んでいる可能性を示唆しています。
とのことだが、この調査の元資料を読むと
そもそも論として65歳以上の高齢者はツイッターそのものをやっていないわけで(60歳以上は1割にも満たない)、ツイッターどころかインスタもフェイスブックもやっていない。
高齢者の孤独の問題はSNSすらやっていないという社会的ネットワークの弱さに起因するのであって、別にツイッターが悪いという因果はそこにはないだろう。
高齢者の問題についてはこちらの記事を書いた。おかげさまで2021下半期のベスト記事に選ばれたそうです。
ラインは顔の見える相手で、ツイッターは匿名性だからダメっていうのも浅いと思う。確かに、ツイッターなどはたまにわけのわからないアカウントからわけのわからない攻撃的なコメントが来ることはある。そんなものは片っ端からブロック・ミュートすればよいのであって、それがあるからツイッターそのものが何か悪の装置みたいにされてしまうのは気の毒だ。
そもそも、わけのわからない者同士よくレスバトルしているのも見かけるが、よく素性も知らない人間と無駄な時間を費やすものだと感心する(皮肉です)。ツイッターをマウントの場、論破の場と考えている人はそれはそれでご自由にと思うが、そういう使い方は不毛だと僕は思う。
別にツイッターにおかしい人しかいないわけじゃない。
匿名であっても長い事フォロー関係にある者同士は、一度もリアルであったことはなくても通じ合える関係性に発展することもある。通りすがりに一見で書き込まれたコメントが心を打つ場合もある。タイムラインに流れてきた動物の画像や動画に癒されることもある。おもしろい漫画やコンテンツを発見するきっかけになる場合もある。
要はSNSなんて道具なんだから使い方次第です。
SNSと孤独の関係については調査済みなので、ひとつご紹介しておきます。
まず大前提として、「孤独を楽しめる」人と「孤独が苦痛」という人がいます。誰にとっても孤独は悪というものではない。それぞれの孤独耐性別にどんなSNSを利用しているのかを、男女年代別に調べた。「孤独を楽しめる」人=青と「孤独が苦痛」な人=赤それぞれの利用率を全体平均の利用率との差分で表しているので、グラフの上の方に触れているほどその属性の利用率が高いということだ。ライン、フェイスブック、ツイッター、インスタでそれぞれ比較してみる。(2018年一都三県20-50代未既婚男女 n1657)
これをみると、ツイッターをやっている男女はむしろ「孤独を楽しめる」人がやっていて、「孤独が苦痛な20-30代、50代女性」はツイッターを利用していない傾向がある(なぜか孤独な40代男女だけがツイッターをやっている)。
おもしろいのはラインで、孤独な中年女性ほどラインをよく利用する。孤独な40代男性はフェイスブックを利用しがちで、孤独な20-30代男性はインスタを利用しがち。
つまり、何のSNSを利用するから孤独感が高まるというより、元々孤独感を抱えている人がその欠落を埋めるべく利用したくなるツールがあるということの方が納得性は高い。使うから孤独になるんじゃなく、使うことすら拒否している人間こそが孤独なんじゃないのか?
もちろん、使うことによって摩擦を感じることもある。そもそも孤独とは「人と人の間に生まれる」ものであり、SNSで誰かと交流すれば(読むだけでも)そのたびに孤独は生まれる。しかし、そのせっかく生まれた孤独と向き合って楽しめるからこそ、有意義なSNSライフがあるのではないだろうか。
但し、SNS中毒になってしまうのは避けた方がいい。ツールにしろ、人間にしろ(家族とか配偶者)唯一依存になってしまうのが一番危険。
これしか役割がない。ここにしか居場所がない、という唯一依存からは脱却したほうがいいでしょう。ひとつの役割の剝奪を自己の全否定につなげてしまう思考の癖こそ不幸のもとです。唯一依存は孤立への第一歩です。