ジェンダーギャップの改善に「外圧」戦術は相応しいのか?
ジェンダーギャップは何十年も何百年も続いてきましたが、この数年、日本の性差別が諸外国と比較してあまりに大きいとのニュースが目につきます。
どこの国においても、このジェンダーギャップはあります。だが、殊に前世紀後半から今世紀はじめにかけ、多くの地域ではさまざまに大きな改善がみられている。それに対して、以下の記事や内閣府のサイトにあるように、日本の社会は遅々として改善が進んでいないというのがポイントです。
ですから、政府や財界の要人がこのテーマについて「そうは言っても・・・」という前時代的な後ろ向きの発言をすると、日本のメディアは大々的に取り上げ、それが極めてスピーディに海外主要メディアでも報道される、という展開になっています。そして、海外メディアの報道を外圧のように利用して、日本国内では問題発言をした当人をさらに責め立てる、というわけです。ぼくが例をいちいち挙げなくても、みなさんが「あれも、これも・・・」と想起できる例は山ほどあるでしょう(ぼくも、そんな忌々しいこと書きたくもないです 苦笑)。
ぼくは、この男女格差と外圧利用について、これまで公に発言しことは殆どありません。ただ、静観し続けるのも難しいかな、と思うに至った経験が最近ありました。
メディアのコラムや自著のために多くの欧州人にインタビューしてきましたが、ヨーロッパのある女性から「日本のメディアは男性が読むもので、女性の私が話す内容なんか、関心をもたれるのかしら?」とインタビューを打診したタイミングで言われたのです。
彼女はジェンダーギャップに関する専門家ではありません。ぼくがインタビューしようとしたテーマも、ジェンダーギャップとはまったく関係ないことです。しかし、各メディアが報道する「日本では女性の地位が低すぎる」という記事にたくさん接することよって、「私が日本のメディアに登場して役に立つのかしら?」と思われてしまう。そういう事態を招いているわけです。
日本の後進的な側面を世界のメディアがこぞって取り上げるプラスとマイナスの両面がもろに出てきたのですね。
くだんの女性は社会問題に感度が高く、国際的な数々の見方に素養のある社会的地位の高い人です。だから、彼女の反応を「一部の意見でしょう?」ではなく、「意見形成をリードする人が、こう考え始めているのか」と理解して欲しいです。
およそ日本では「日本は外圧に弱い」と思っている人が多く、それは根拠なくそう思っている人の数だけでなく、前述したように、例証を実際に多く見てきたから実感としてそう思っているのでしょう。ぼく自身、外圧の効き目に恩恵を蒙ったことがあるので、この効用は否定しがたい事実であると認識しています。
しかしながら今回の経験で、外国メディアに頼り過ぎるツケを払うとは、こういうことなんだと痛感しました。
これまでも、「そりゃあ、言い過ぎだろう。逆に外国のことを知らなすぎる」と思うような、あまりに自虐的な批判とその海外向け発信に閉口することはありました。そして同時に、いずれの国の人たちも自己批判に熱心な傾向(あるいは、熱心な層)はあるので、なにも日本だけの特殊現象ではないとぼくはみてきました。
ただし、ぼくが無知だっただけかもしれませんが、この10数年、外国報道陣を味方につけるための「直訴的なアピール」が(かつてのような一部の層だけでなく)幅広い層で常套手段となっているのではないかと思うことが多々あります。手段の大衆化、とでも言いましょうか。これは専門の方にこの推察が適当かどうか是非ご意見をお聞きしたいところです。言うまでもなく、外国プレス向けの記者会見だけでなく、ソーシャルメディアを活用した「直訴」「報告」もあるでしょう。
冒頭のジェンダーギャップについて言えば、日本固有の問題がありながらも、基本的に世界の人たちが同様に立ち向かうべき課題です。共通性が高い。そのために協力しあえるところは協力する。お互いが「埃をたたき合う(!)」関係というのもアリでしょう。単に「誰かさんに言いつけてやる!」ではないはずです。だから、外国メディアと手を結ぶことは必要に応じてやるべきなのでしょう。
・・・ただ、あまりに無邪気にそのルートに頼りすぎると、しっぺ返しがくる。このことは十分に自覚しておかないといけない、ということです。言うまでもないことですが、自分の頭で考え、自分で判断を下す(つまり、あまり他人の意見に振り回されない)。そして自らが発信する。この習慣が広まることが一番大事なんですけどね。
写真©Ken Anzai
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