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皆の安心のために生贄とされた「子ども部屋おじさん」という不実

人間は、それがファクトに基づいているかどうかは関係なく、自分の信じたいものをファクトと認識します。

今回テーマとした「親元未婚が増えている」というニュースもそうで、これはそもそも大嘘です。増えてなどいません。

事実として親元未婚が増えているかどうかは問題ではないのです。
おじさんを叩きたいし、いい歳して親元に住み続ける未婚男性を馬鹿にしたいだけなのです。そういう人たちにファクトを提示しても、「見なかったことに」されてしまいます。

個人的な不快感や怒りの感情に支配されると事実すら透明化されてしまう危険性について書いています。

ぜひご一読ください。

以下は、ぜひ東洋経済の記事をご一読になった後にお読みください。


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今回、この記事を書く動機となったのは、 10/7に日経ビジネスオンラインに掲載された "90万人割れ、出生率減少を加速させる「子ども部屋おじさん」"という記事です。

基本的に少子化の原因は婚姻率の低下(未婚率の上昇)という点から論じています。その部分については僕も賛同します。しかし、納得できないのは以下の論理の飛躍(というか破綻)です。以下、引用紹介します。

とりわけ、一番出生率に影響を与えるとされる、20代後半の未婚率が増えている可能性が高い」と天野氏は分析する。非正規雇用の増加、給料の減少、社会保障費用の増大と、若年層を取り巻く雇用環境は厳しい。こうした経済的環境が未婚率を加速させている部分はある。だが、天野氏は未婚率の上昇は必ずしも経済的理由とは限らないと話す。「20~40代の独身男女の6~7割が親や親族と同居している。子どもを手元に置いておき、仕事や結婚に関してまで口を出す親が昔より増え、自立できない若者が増えている。結果、結婚しようとしない若者の“増産”につながっている」(天野氏)というのだ。男性の方が数が多いこともあって、天野氏はこうした現象を「子ども部屋おじさん」と呼んでいる。

少子化は、20代後半の未婚率の上昇の影響といいつつ、結局親元未婚のおじさんの問題と言いたいかのようなまとめである。男性の方が数が多いこともあって「子ども部屋おじさん」と乱暴に断じているのだか、男の数が多いのは当たり前で、何度もいうように未婚人口は男の方が女より340万人も多いのですから。

この記事だけを読んだら印象として、少子化の元凶はいい歳して結婚もせず、かといって親から独立もせず、親元に住み続ける中年のおじさんのせいだと思わせる危険がある。事実、そうした思い込みをしている人も多かった。

とんでもない事実誤認です。

これに対して、僕がツイッターで書いたのが以下です。

今回の「ソロモンの時代」にもグラフを掲出していますが、親元未婚率は35歳以上男女とも完全一致しています。男が多いなんてことはこれっぽっちも言えない。正しくいうなら「子ども部屋おじさんもおばさんもたくさんいる」ということになります。

このツイートはご覧の通り、1000いいねと933RTをいただきました。それくらいこの記事に対して「なんか違うよね」という違和感が多いという何よりの証明です。そもそも「子ども部屋おじさん」という言葉自体が、何をどう言い訳しても蔑称だと思います。

親元未婚に関する正しいファクトは東洋経済の記事をご覧いただければわかりますが、簡単にまとめると…

・親元未婚率は男女とも変わらない。
・親元未婚総数は以前とほぼ変わらない。
・40代以上の親元未婚率が増えているのは単純に未婚率の上昇による。
・親元未婚と未婚率の上昇には相関はまったくない。
・大都市を除けば、日本のほとんどの未婚は親元に住んでいる。
・親元未婚だからといってニートやパラサイトではない。

ちなみに記事では割愛した全国都道府県別の親元未婚の分布はこちらです。

日経の記事に対してこういう批判ツイートもされ、なんと1.4万RTもされています。


問題はなぜこうした印象操作的な記事が出回ってしまうのかという方です。記者や専門家が無知ならまだマシかもしれません。そうではなく、あえて「子ども部屋おじさん」という言葉を使いたい理由があることこそが危険なのです。

つまり、生贄です。

僕は書籍でも記事でもインタビューで同じことをずっと言い続けていますが、未婚化や少子化の要因というものは「個人の問題ではない」のです。経済環境や職場環境含めた社会構造上の問題です。若者の草食化が未婚化の原因なんて言い草はとんでもないいいがかりなのです。

しかし、人間は社会構造の問題などという曖昧な理由では納得できない。というより安心できない。特定の誰かのせいにしたがる。だから、自分たちの安心のために、悪者を作りあげてしまうのです。

コミュニティ内の仲間意識や絆を強化するのに一番最適なのは、コミュニティの外に敵を作ることです。敵がいるからみんなが一致団結して協力できるから。

もし適当な敵がいなければ、仲間内から敵を作りだし(捏造して)、これをみんなで排除することで仲間意識を確認します。世の中のいじめなどはすべてこの原理で発生します。

今回の件で言えば、少子化の原因を「子ども部屋おじさん」という悪であり敵に責任を一手に負わせることで、既婚者たちは安心を得ているわけです。

これって何かに似ていると思いませんか?


そうです。中世欧州の汚点ともいうべき「魔女狩り」そのものです。


おじさんなら叩いていい、おじさんでも未婚で親からも独立できないってことは金も稼げないろくでなしなんだから叩いてもいい、そういう奴等は自分の弱さや甘えでそうなっているんだから叩かれても自己責任なのだ。そういう心理です。

しかし、そもそもその前提となっているファクトが違うということは誰も気にしません。未婚化はおじさんのせいではないし、親元にいる未婚が未婚化を促進したわけではなく、それは結果であるし、弱さや甘えで親元にいるのではなく、そもそもずっと昔から結婚するまで親元に住むのが当たり前だったのです。

でも残念ながら、僕がいくらファクトを出しても、聞く耳と見る目を持たない人がいます。彼らにとって、事実であるかどうかなんてどうでもよくて(本当の魔女かどうかなんてどうでもいいと一緒)、みんなの安心のための生贄を屁理屈でも用意しないといけないという考え方です。

これって非常に危険です。少なくともメディア側にいて情報を発信する立場の人間は、そういうバイアスを自ら作っていないか?と自問することが必要ではないでしょうか。

社会問題の責任を特定の誰かの属性に押し付ける行為は、差別行為につながる危険性も秘めています。


今回の記事でも相変わらずヤフコメでこんなものが来ています。

現実問題として婚活しようとしている時に、20代以上の男性が親同居ならば『一人で生活できないのか?』と疑問に思われるでしょう。
一人でできて当たり前の習慣が身についてないリスクを考えます。
婚活相手として、致命的ではないけど大きな欠点として認識されます。
世帯として社会に出ていないのだから、一人前の社会人として信用・信頼が不足していると判断されます。

昭和の皆婚時代、単身世帯なんてほぼなかった。ほとんどの既婚者が親元から結婚していったという事実をご存じですか?

婚活において親元住みが敬遠されるのは、結婚後も親元に住み続けられて「姑との同居になってしまうのが嫌だ」ということであって、結婚するしないの決断に親元であるかどうかが影響するなんて、僕の調査した範囲では存在しません。俺の家の周りではそうだとかN=1の話をされてももっと困ります。


自分の脳内イメージをファクト化するのはいい加減やめましょう。

人間なので、嫌悪や不快や怒りの感情は仕方ありません。しかし、それを理屈付けして、都合のいいファクトだけを切り抜いて正当化して、その不快の対象に対する侮蔑行為を外に示すことは、絶対にやってはいけないのではないですか?それを差別というのです。



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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。