65歳で高齢者とか、いつまで支えられる側のつもり?明治時代じゃないんだよ!
2019年9月に発足した「全世代型社会保障検討会議」により、「人生100年時代」を視野に入れた2本柱の方針が提言されている。
この「人生100年時代」だけど、そんな時代は永遠に来ませんよ。少なくとも男の平均寿命が100歳になることは不可能だし、女の場合でも2200年頃になるんじゃないの?
まあ、それは本筋とは関係ないのでいいのですが。
で、「全世代型社会保障検討会議」のふたつの提言なんですが、ひとつは、高齢者の就労促進などで社会保障の「支え手を増やす」こと。もうひとつは、経済力があれば年齢を問わず相応の負担をしてもらう「応能負担」を強めること。
この「応能負担」については、別のニュースでも取り上げられ、75歳以上の人の医療費窓口負担について、年収240万円以上で383万円未満の人を現在の1割負担から2割に引き上げる案が厚生労働省内で浮上しているとのこと。
とはいえ、むしろ貯金額もあり、満額年金をもらっている高齢者の方が現役世代より恵まれている場合もあるのでは?と思うわけです。ある程度の高額医療費がかかるものについては大体一定額以上は免除されるわけで、何も高齢者だけを1割とか2割とか優遇しなくてもいいんじゃないの?というのが個人的な正直な気持ちです。ぶっちゃけ全員3割でいいですよ。個別フォローすべき人はフォローするとしてね。
もちろん、シルバーデモクラシーの中、政治家は票に響くので絶対に口にできないと思いますが…。
なまじ高齢者の負担が軽いばかりに、病院が彼らのコミュニティになっていて、たいした病気でもないのに話し相手を求めて医者に行き、飲んでも飲まなくてもどうでもいいような漢方薬をたくさん処方されるって例もあるのではないかと思います。
実際、自己負担が2割とか3割になったら、高齢者も自分の懐に直接響くわけで、意味のない通院や薬代をセーブする方向になるんじゃないかとも思います。
もちろん、お金のために耐えられないような痛みとかを我慢する必要はないし、実際我慢できないなら救急車呼ぶでしょうけど、今後高齢者比重が高くなる人口構造を考えれば、申し訳ないけど高齢者だけを優遇している場合ではない。
2019年の全国死亡者数は、138万1093人。そのうちの76%が後期高齢者医療制度対象の75歳以上の高齢者です。現役世代を中心とした74歳までの死亡者は2割強しかなく、すべてが病院にかかるわけではありませんし、当然、病院に行くのは死亡に関わる病気だけではない。ですが、病院を使うのはやはり後期高齢者が多いことは確かです。
何が言いたいかというと、ただでさえ人口が減っていく現役世代かつ来院頻度の少ない彼らが3割負担しようとも、実際利用頻度の高い高齢者負担を1割から2割または3割まであげた方が、結果的に国の負担は減るということです。
何度も書いていますが、これからもうすぐ年間150万人近く死亡する多死時代が来て、それが50年間も続きます。死なないまでも、病院のお世話になる高齢者は今後ますます増加するでしょう。
お金負担の問題だけではありません。
健康寿命が延びることは歓迎しますが、さりとて、病気を抱えながら、言葉は悪いですが、本来天寿を全うすべき状態であるにも関わらず、だましだまし延命治療をさせられる人もいるでしょう。果たして本人にとっても、それは良いことなのでしょうか?
単身世帯が4割となるすぐ先の未来。家族の介護なんて望むべくもない時代が来ます。身寄りの無い高齢者にとって、もはや刑務所が介護施設になっているという話もありますが、今後病院もそうなるかもしれません。
人間とは現金なもので、40〜50代までは「高齢者より子どもを大切に・長生きするより太く短く」なんて言うのですが、いざ自分が60代になり高齢者予備軍になると「子どもより高齢者を大切に・出来るだけ長生きしたい」と180度方向転換します。世代間闘争は太古からこれの繰り返しです。
かつて長寿のご老人は希少価値がありました。長生きする人が少なかった時代に、彼らはみんなから支えられていたのは、その絶対数が少なかったからです。しかし、今やもう3人に1人は高齢者の時代です。
内閣府とか危機感を煽りたいのか、よくこれからは高齢者に対して、現役世代が減り続けていくことでの「支えられる側と支える側のアンバランス」の問題を取り沙汰しますが、一体いつまで15-64歳を現役世代に据え置きしておくつもりですか?
申し訳ないが、高齢者はもう支えられる側ではなく、支える側へならないといけない。少なくとも75歳くらいまでは。
以下の東洋経済の連載でも書いたが、15~64歳=現役世代論はもうおしまいにしましょう。どのみち、15-64歳の全員が働いているわけでもなく、生産年齢人口という年齢属性でみるのは無意味なのです。
進学率も高まり、15~19歳は8割以上が無業者です。大事なのは、有業者が無業者(子どもや高齢者および現役層であっても病気などの理由で働けない層含む)をどれだけ支えられるかという視点でしょう。
年齢属性ではなく、働いている人が無業の人をほどれだけ支えられるかという「有業人口依存指数」の考え方。
その視点でいけば、有業人口依存指数は、1950年代から現在に至るまで、むしろたいして変わっていないし、将来に渡っても変わらない。要するに、日本は常に、有業者1人が1人以上の無業者を支える社会だったわけだし、これからもそうです。
こういうこと言うと、へそ曲がりがすぐ突っかかってきます。もちろん有業者それぞれ収入額も税支払額も異なります。高齢者と若者の働きとを同列に扱うのも無理があるのは当たり前。だけど、少なくとも仕事の有無関係ない生産年齢人口指標よりは意味があると考えます。
人口は減っても働き手は増える社会。支えられる高齢者以上に支える高齢者が増える社会。結婚してもしなくても、子があってもなくても、あなたが働けば、あなただけじゃなく、誰かもう1人を支えられると皆が信じられる社会。自分のために働いたり、消費したりすれば、結果として、誰かのために役立つ循環性のある社会。私が言い続けている「ソロ社会は人とつながる社会である」というのは、そういう社会。
いい加減どうにもならないことはどうにもならないと認めて、早くどう順応すべきなのか考えようよ。
ちなみに、僕はよく元経営者の方たちの集まる会とかに呼ばれて講演するんですが、いつもこの話をします。みなさん、当然65歳以上どころか70歳、75歳、80歳の方達もいますが、さすが日本の高度経済成長期を牽引してきた猛者たちです。「高齢者たち、いつまで支えられる側のつもりなの?支えろよ」的な話をすると、逆にメチャクチャ喜んでくれます。
働きたい人は何歳になっても働きたいのですよ。