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これからの金融政策ーー「望ましい金利」とは何か

 今週の日本銀行政策決定会合(18日-19日)では,マイナス金利政策・YCC(イールド・カーブ・コントロール)・リスク資産買入が停止されました.

・2%の「物価安定の目標」が持続的・安定的に実現していくことが見通せる状況に至ったと判断した。
・短期金利の操作を主たる政策手段として、経済・物価・金融情勢に応じて適切に金融政策を運営する

「金融政策の枠組みの見直しについて」2024年3月19日

とのこと.あわせてオーバーシュート型コミットメント(2%を超えるまで金融政策方針を変えない)についても,足下のインフレ率が3%を超えていることから要件を満たしている考えているようです.


長い前置き

 国際的な資源高と円安によって上昇したインフレは沈静化しつつあり,物価上昇率が安定的に2%前後を維持できるか微妙な中でなぜ金融緩和姿勢の後退……と受け止められかねない政策変更を行ったのかには大いに疑問です.

 その一方で,今次の決定がこれからの日本経済に与える影響は「これからの金融政策」で決まってくる.

 私はマイナス金利・YCCは有効な金融緩和手段ではないと考えています(→「マイナス金利政策解除のタイミング」2023.12.1).両政策の効果はともに「これからも金融緩和が続くだろう」という民間の「予想」を強化できるか否かにかかっています.しかし,安倍首相(当時)や黒田日銀総裁の市場コミュニケーション,2013年から2016年にかけてすすんだ量的な拡大とは異なり,民間予想にたいした影響を与えませんでした.
 
 また,マイナス金利は事実上の銀行課税です(→中里透「マイナス金利―冷静な議論のための論点整理」SYNODOS).ですから,金融機関がその撤廃を求めるのはわかる.YCCについては長期金利の情報機能――今後の短期金利について市場の平均的な予想を知るツールになるという機能が低下していました(YCCとイールドカーブの関係については→).

※「わかる」と「正しい」「そうすべきだ」「俺もそう思う」は異なります.ネット論壇ではこのあたりが混乱している議論が少なくありません.
 
それ故に,
 
・マイナス金利・YCCはやめる/継続的な金融緩和という民間予想のみ維持する
 
といういいとこ取りが足下では理想的な政策となります.しかし,このような理想状態への移行できるかは不明だし/インフレ率が低下しつつあるいま急ぎでやる必要はないという主張はもっともです.
 
 ただし,先日のエントリで詳説したように,先週から今週にかけてのマーケット見る限りでは心配されていたリスクの発現は生じていません.もちろん今後は株・為替・金利といった金融市場だけでなく,今後は,実体経済への影響を観察しながらの判断になります.

 なにはともあれ.今次の政策変更によって「今後の金融政策の論点」は「金利」に移ることになりました.そこで今回は望ましい(政策的に目指すべき)金利水準についてお話ししましょう.

まずは自然利子率

 「望ましい金利」と聞いて経済学者が第一に思い浮かべるのが自然利子率・中立利子率です.マクロの経済における総需要と総供給(供給能力)が等しくなる金利水準のこと.ここから景気に対して緩和的でも引締的でもない金利水準と説明されることがあります.

 マクロの経済における需要(総需要)は,消費・投資・政府支出・海外需要です.供給能力よりも総需要が小さい状況では,これらの需要の合計=実際の生産量となります.一方で,総需要が十分に大きい場合には供給能力=実際の生産量になる.この両者を一致させる金利水準が自然利子率というわけです.

 自然利子率は,通常は,需給を均衡させる「実質」利子率の水準を指します.実質利子率とは,名目利子率から(予想)インフレ率を引いたものです.つまりは店頭や契約書で目にする1年の利子率が3%で,今年から来年にかけての予想されるインフレ率が1%ならば...実質利子率は2%(=3-1%)というわけ.

 現時点の日本での自然利子率は何%ほどなのでしょう? いろいろな研究者・機関が推計していますが▲0.5%ほどという推計が多いです(▲1.0%~0%くらいなかんじ・・・IMFの推計では▲0.4%と米国の0.6%より低く,フランスの▲0.6%よりも高いくらい).

金利を上げたいなら金融緩和しなさい

 日本の自然利子率が▲0.5%とすると...自然利子率を達成するための名目金利水準は,

自然利子率を達成する名目長期金利
=▲0.5%+予想インフレ率

となります.ここで,仮に安定的に2%のインフレ予想が定着するならば,長期金利は1.5%まで上昇させても需給は一致させることが出来ます.一方で,予想インフレ率が1%程度しかないならば……名目長期金利を0.5%にまで抑えるような金融緩和の強化が必要になります(現在の長期国債利回りは0.75%ほど).

 長期金利は将来の短期金利予想に左右(上下?)されます.これは仮に今後10年間絶対に短期金利が0だとわかっていたら,10年物金利も0になるという理屈です.現実の世界に絶対は無いわけですが...短期金利が低い期間が長く続くと予想されるならば長期金利は低く,今後短期金利が引き上げられていくと予想されるならば長期金利も高くなります.
 これと同時に,短期金利の操作等の金融政策は予想インフレ率に影響を与えます.その結果,金利を中心とする金融政策運営は

・短期金利予想→長期金利
・短期金利予想→予想インフレ率
※利子率は特に断りが無い場合は名目金利

という二つの影響経路をにらみながら,長期金利-予想インフレ率が▲0.5%程度になるように運営していく必要があります

※予想インフレ率が1%上がると長期金利も1%あがるのでは……と思われたかもしれません.教科書の中では見かける理屈ですが,どう考えてもこのような実質金利(長期金利-予想インフレ率)一定の仮定は現実にはあてはまりません.
※自然利子率と金融政策に関する岩田一政先生のお話↓ (自然利子率を高める必要性については同意.インフレ目標を下げろという部分は意味がわからない)

さっそくの利上げサインか? 

 日本銀行の政策転換について,金融引き締めのサインであると受け止めることも可能でしょう.実際,メディアでは利上げ催促のような記事が登場しはじめました.

 しかし,短期金利の引き上げ予想を金融引締予想とまで言えるかは微妙です.先週来の長期国債利回り(10年)はほとんど変化していません.下記記事の見出しでは...長期金利が大きく上がったように感じるかもしれませんが,上昇したのは1年~2年物中心で,10年債金利の0.745%は先週~1月下旬に比べるとむしろ低いです.

 短期金利がこれから大幅に引き上げられていくと予想するなら,長期金利も大きく上昇するはずです.しかし,そうなってはいない.マーケットの予想は「年内に短期金利の引き上げが予想されるが,小幅にとどまる」というものです.
 この点から現時点では「マイナス金利・YCCはやめる/継続的な金融緩和という民間予想のみ維持する」という政策転換はある程度成功していると評価できます.

※「マーケットの予想が○○である」と「飯田は○○だと思う」「飯田は○○である"べきだ"」は別物です

勝負はこれからだ

 さて,ここからが重要.現時点では日本銀行の政策転換は比較的スムーズに着地したように感じられます.しかし,「継続的な金融緩和予想」が強く維持されているのは黒田日銀の遺産・置き土産であることを忘れてはいけません.
 これから国債買い入れ額の縮小や短期金利引き上げに積極的であるとの幹部発言が続くと……マーケットの継続的な金融緩和予想そのものがしぼんでしまう.

 海外の物価動向を見ても,日銀による物価の先行き予想においても,今後のインフレ率が加速する兆候はありません.GDPギャップの推移を見ても現在の日本経済は需要超過とはほど遠い状況です(GDPギャップ0が需給一致ではありません.その解釈については拙著『財政・金融政策の転換点』を参照ください).

 現在の日本には金融緩和予想を縮小させる緊急性もメリットもまるでないのです

 現時点でマーケットの金融緩和予想を後退させることは害が大きい.1999年のゼロ金利政策導入時に「ゼロ金利政策は早期にやめるべき」との発信を続けたことがゼロ金利政策の効果を減じたように,2006年の尚早な量的緩和解除とそれに続く消極的な発言がデフレ予想を強化したように...

 マイナス金利解除とYCC撤廃は今のところ大きな弊害(金融政策予想の転換)は生じていません.だからこそこれからの発信でこれを潰してはいけない.実質利子率を最大でも▲0.5%以下にとどめることを目標に,その最大の味方である予想インフレ率・金融緩和の継続予想を大切にした情報発信が必要でしょう.

今次の政策変更が,
「経済を縮小させずに金融政策の自由度・機動性を高めた」
と評価されるか,
「尚早な引き締め行動で日本経済を長期停滞に引き戻した」
と糾弾されるかはこれからの発信にかかっています.

P.S.

 本エントリは現実の実質利子率を自然利子率に一致させるべきだという教科書的な金融政策理解に基づいて書きましたが...私自身は自然利子率よりもやや低い実質利子率水準を維持する必要があると考えています.供給能力をやや超える総需要を維持することが供給能力そのものを向上させるという説--高圧経済論です.高圧経済論については下記のエントリがショートな解説になっていると思います.

 また……この説では○○,あの説では××とかわかりにくいんだよ!飯田はどう思うのかビシッと決め打ちしろよ!と感じられた方は下記エントリを参照ください(または何でもかんでもバシッと答えを言ってくれる人の発信だけをみるようにしてください).



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