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名刺交換型コミュニケーションの悲惨な末路

あなたは名刺交換なしでも、見知らぬ誰かとお話ができますか?

案外、できないものです。

それくらい、私たちは名刺交換という儀式や、名刺の肩書きに依存してしまっています。「私はどこどこに所属していて、なにそれの仕事をしています」ということを表明しないと、不安で他人と話もできないのです。

最悪なのは、次のような例です。

異業種交流会などで、よく束になった名刺を片手に、誰彼構わず名刺交換だけを延々と続けている人がいます。名刺を交換すると安心するのか、ロクに話もせずに、また違う誰かと名刺交換へ。

彼の名刺を配ることに関する手際は素晴らしいものがあります。僕は、そういう人を「路上のプロ・ティッシュ配り」ならぬ「交流会上のプロの名刺配り」と呼んでいます。

1時間もすれば彼の手元にはたくさんの名刺があることでしょう。ですが、果たして、その名刺の束は何の役に立つのでしょうか?そもそも、満足に会話もしていないわけで、ひとりひとりの顔すら記憶していないのでは?そんなもの、ただの文字の羅列された紙切れに過ぎません。

「俺にはたくさんの仲間がいる」「facebookで何千人もの友達がいる」という人たちに問いたいのは、あなたが現在の職場を辞め、肩書きを失った際に、「そのうち何人があなたが入院した時にお見舞いにきてくれますか?」ということです。

上司部下の関係、発注元下請けの関係、仕事上の付き合いの関係があれば、それは来てくれるかもしれません。ですが、そういった利害関係が一切なくなった時に来てくれるような人は、果たして何人でしょう?

僕は、「孤独」と「孤立」を分けて考えます。「物理的に一人でいる」ことは孤独ではありますが、それイコール孤立ではありません。一方、「心理的に一人であることを感じる」ことが孤立であり、それはむしろ集団の中にあっても感じるものです。「孤独」は主体的なものであるのに対し、「孤立」は受動的なものです。人間は、時として「孤独」を選択することができますが、「孤立」は強制的に追いつめられてしまうものです。

職場という安心な共同体や肩書きだけに依存してしまうと、それの枠がはずされた時に「心理的孤立感」に支配されてしまいます。定年退職した高齢者が、瞬時に「魂の抜け殻」のようになってしまうのは、往々にしてそういった状態からです。

これは、妻に極度に依存する夫にも同様のことが言えます。日本の夫はほぼ大部分が無意識に「配偶者唯一依存病」にかかっているといっても過言ではありません。

内閣府が2010年に調査した結果(60歳以上の高齢者を対象)によれば、夫の8割が妻を心の支えと回答しています(妻の場合は54%)。心の支えが妻であることそれ自体は別によいのですが、男性の場合、妻以外の子・兄弟・友人を頼る気持ちが極端に低く、妻依存構成比は52%を超えます(妻の夫依存構成比はたった35%)。夫割の片思い状態が切なく感じます。

© 荒川和久 無断転載禁止

こうした状況は、日本人が「名刺交換型結婚」を長らく続けてきたことにも起因します。いわゆる「お見合い結婚」です。互いの氏素性を明らかにし、個人の所属コミュニティによって信用を担保したうえで結婚する。このお見合いシステムは、男女とも受け身体質の日本人にとっては好都合で、確かに理にかなったものではありましたが、それがゆえにすべてにおいて「名刺交換型」の交流しかできなくなっているのかもしれません。

人生100年時代、医療の発達に伴い、高齢男性の寿命もますます延びると想定されています。それは、妻に先立たれてしまう可能性も高くなるということです。またも熟年離婚も増えています。誰もがいつ何時ソロに戻る可能性があります。そういう時にためにも、現役時代のうちから「名刺交換に頼らない」コミュニケーションを身に着けておくべきだと思います。

名刺捨てて、肩書捨てたら、あなたは何者ですか?

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長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。