「誠実なクズ」としてのポリアモリー
「このイベントは倫理的に問題がある可能性があるので、上長に確認させていただきます。」
そんなことを言われた経験がある。
今から3年前、ポリアモリーのイベントを開催しようとした時のことだ。
ポリアモリーとは、1対1の恋人関係に縛られず、合意の上で複数と恋愛関係を持つライフスタイルのこと。1980年代のアメリカで生まれた概念で、対義語はモノアモリーと言う。
いわゆる一夫多妻制との違いは、こんな感じだ。
文化人類学のカテゴリで語られることが多いポリアモリーだが、まだまだ一般の理解を得られないことは多い。
冒頭のセリフが、それを象徴している。
イベント会場の現場担当者は、僕のイベントでポリアモリーの存在を知り、即座に「これは倫理的に問題があるのでは?」と考えたらしい。
「倫理的ってなんですか?」
そう尋ねると「いえ、、あの、、、なんと言うか、、、」と急に歯切れが悪くなった。
僕はポリアモリーに関する論文や記事などを紹介して「これで上長に話してみてください」と担当者を送り出した。
結果として、イベントの開催は承認された。
しかしあの時、担当者が咄嗟に口にした「倫理」という表現について、今でもまだ、ふと考えることがある。
今日はそんな話。
■瀬戸際のポリアモリー
倫理の辞書的な意味を調べて自分なりに解釈すると、「人倫において、善悪を判断する規範」となった。
人倫とは「人と人との秩序関係」なので、つまりは社会のこと。
規範とは「◯◯である」という事実ではなく「◯◯べきである」という考え方のこと。
つまり倫理とは「社会で暮らすなら◯◯すべき」という概念で、いわゆる「社会規範」と呼ばれるものとイコールと考えられる。
規範の中には法律も含まれるので、図にするとこんな感じだろうか。
・法的に善とされていること
・社会的に善とされていること
・社会的に悪とされていること
この判断がつかない、という意味でイベント会場の現場担当者は「倫理的に問題がある可能性がある」と表現したのだろう。
法律で婚姻関係は1対1と定められているから、その延長で恋人関係は1対1というのが現在の社会規範になっている。
しかし知っての通り現在、法律婚も変わろうとしている。同性婚や事実婚などは既に社会で認められ、どう法律に盛り込むかの議論がなされている。
そんな中、私たち社会はこの「ポリアモリー」をどう扱っていくのか。その鍵となるキーワードもまた、現在の社会規範の中にある。
■誠実なクズとしてのポリアモリー
「社会で暮らすなら◯◯すべき」という規範の1つに「誠実であるべき」という考え方が存在している。
この「誠実性」なるものが、ポリアモリーには含まれている。
繰り返しになるが、ポリアモリーは合意の上で複数と恋愛関係を持つライフスタイルだ。
いわゆる不倫(不貞行為)が悪とされているのは、合意が取れていないことを前提としているからで、それが「誠実ではない=悪である」とされている。
一方、ポリアモリーは「合意」を大切にするカルチャーだ。
「付き合う」という概念1つとっても、
・他のパートナーの存在を知りたいか?
・パートナーが増えた際はどう報告するか?
などの合意を取り合っているポリアモリーカップルは多い。
そういった意味でポリアモリーは社会規範要件で重要な「誠実性」をクリアしている。
複数と性愛関係を持っている(ことが多い)という「結果的な状態」だけを見て「クズ」と称されたり、不倫と混同されることが多い。
この二面性をもって、僕はポリアモリーに関するマガジンのタイトルを「誠実なクズとしてのポリアモリー」としている。
■ポリアモリーはどこへ向かうのか
最後に。
こういった瀬戸際にあるポリアモリーなので、初見では当たり前のように賛否両論が起きる。
「そういう形もこれからはアリだよね」
「なんで今までダメだったんだろうね」
と社会規範を拡大して認識してくれる人もいれば、
「名前をつけただけで偉そうに言うな」
「ルールに従えないなら山へ帰れ、日本から出ていけ」
などと、今ある社会規範を盾にして押し出そうとする人もいる。
それ故にポリアモリーの中には「自分は人でなしなんで」とか、「宇宙人なんで」と、自分を人や社会の外にある存在として説明し、批判を交わしている人もいる。
ただ僕たちは人だし、日本人だし、当たり前のように社会で生活をしている。
だからポリアモリーであることが「生きづらさ」にならないように、今日もこうしてパワポを駆使して説明を続けている。
誠実なクズとして。
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