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「課題解決」を急ぐあまり課題の発見と掘り下げを疎かにし、当事者を置き去りにしていないか

ヘッダーの画像は、最近学校講演の中でよく使うスライドです。SDGsが教科書に記載され授業で教えられるようになってから特に顕著になった傾向のように感じますが、先生や学生たちが地域や世界の課題の解決について考え、実際に取り組んでみるという事例が増えたように思います。それは素晴らしいことだと思います。一方で、実際にその取り組みに伴走していると、課題解決が先に立ちすぎていて、取り組もうとする課題の発見と分析がおざなりになっている場面にも多々出会します。今回は、そんな事に対して感じているモヤモヤを書き起こしてみたいと思います。

「課題発見力」?「課題解決力」?

経済産業省が2018年にまとめた「人生100年時代の社会人基礎力」の筆頭には、「考え抜く力」が定義されています。その要素はの一つにあげられているのが、「課題発見力」。課題を発見し、分析し、構造化して初めてその本質が洗い出され、解決の緒が見えてくる…その考え方に共感しています。

一方で、学校や働く現場、学生たちの就活の相談に乗っている際に頻出する単語が、「課題解決力」。大学の非常勤講師としてソーシャルビジネス論の授業をもち学生たちの話を聞いている中でも、課題の発見に割く時間はそこそこに、解決策の議論に前のめりになりがちな場面によく遭遇します。

出典:経済産業省ウェブサイト

聞いたことのない“Library”という建物は大事に保管されていた

2012年に初めてガーナ北部ボナイリ村を訪れ、その後10年村人たちとNGO活動に取り組んできました(MY DREAM. org)。その過程でたくさんのことを教えてもらい、課題の発見と分析の大切さを学んできたのですが、きっかけとなった出来事がありました。

村を訪れた初日から気になっていた建物がありました。一帯に広がる土壁藁葺き屋根の旧来の家屋の中に、一際目立つコンクリート造りの立派な建物。淡い黄色できれいに塗装されており、壁面には外国語が刻まれていました。村人に尋ねると、「これは、“Library”というものらしい」という返事が返ってきました。鍵を開けて中に入ると、中には使われた様子のないテーブルと椅子、そして棚の上に積み上がった沢山の本がありました。どれも手をつけられた様子のない新品の本でした。「外国の団体がやってきて建ててくれたんだけど、“Library”なんて初めてで、どうすればいいのか分からなくて」…聞くとそんな話で、出来上がった図書館にはその後誰も立ち入ることなく、そのまま保管されていたというのです。

どうしてそんなことになったのかさらに経緯を伺うと、その団体はある日突然やってきて村の伝統的チーフのもとを訪れ、土地の使用許諾を取り付け、すぐに町から建設業者を連れてきたそうです。村人たちとの交流もないまま、大急ぎで工事が進み建物が出来上がり、建物の引き渡し式典が盛大に行われたのち、あっという間にいなくなってしまったそうです。残された村人は、立派な建物と本をどうすればいいのかもわからず、大事に保管するしかなかったという顛末でした。

自分の思う“正しさ”が、課題の解決になるとは限らない

図書館は、外国の団体の思う正解や“正しさ”に従って善意から建設され、村に寄贈されたのだろうと思います。学校制度が確立していて、当たり前に図書館のある環境で育った私たちにとって、図書館はいいものに違いなく、否定すべき要素は見当たりません。

ですが、2012年当時のボナイリ村のみんなにとってその“正しさ”は共有できるものではなかったのだろうと思います。当時村にはまだ小学校しかなくその小学校すら十分に機能していない状況で、”図書館”という概念は誰も知りませんでした。読み書きできる大人も一握り。その状況を把握しないままの“正しさ”の寄贈は、無用の長物となりかねませんでした。

村のみんなの感じている課題は何なのか、どうしてそう思うのか、そう思うに至る背景にある事情は何なのか…課題を発見するというプロセスを経ていれば、図書館ではない解決策があったかもしれないし、図書館を整備するという結論になったとしても、村人たちの理解と運営の体制の伴うやり方があり得たのではないかと思います。

この一件から、自分の信じてきた“正しさ”を疑うことを学んだように思います。文化や背景が変われば、何が正しいかも当たり前かも異なってくる。その中でも意義ある解決策を導き出すためには、丁寧な課題の発見が必要だということを教えてもらった気がします。

”正解のある問題の解き方を教えて終わりではなく、自ら課題を発見し、演習を通じて試行錯誤しながら答えを探す力を育てる”ー神山まるごと高専 大蔵峰樹校長

日経新聞『「学校自体がスタートアップ」神山高専の大蔵校長に聞く』

当事者を取り残さないために、課題の発見に時間を割きたい

課題の発見がおざなりになりがちな理由の一つとして、時間や手間がかかる、ということがあるだろうと思います。図書館は、団体が初めて村にやってきて2~3ヶ月で完成したそうです。もし団体が村人たちにヒアリングを行い、課題の発見からともに解決策を模索する事にまで時間をとっていたら、2~3ヶ月では済まないと思います。

短期間で予算を消化しなければならなかった、ドナーに報告することを急いでいた、そもそも図書館を建てるということが先に決まっていて他のことを検討する余地はなかった…いろいろな大人の事情もあったのかもしれないなと推察しますが、その後の実態を知ったとき、その団体は本当にそれで良かったと思えるのかな、ドナーの方々もそれでハッピーなのだろうかと考えると、きっとそうではないだろうなと思います。一方的な“正しさ”の押し付けが、却って当事者を置き去りにしてしまうーそれはきっと本望でないはずです。

当事者を取り残さないために、課題の発見に時間を割きたい。

自分の日々の仕事や生活に照らしてみると、そうは言ってもできていない場面がたくさんあります。時間に追われて、丁寧に聴くことができていないと振り返ることも多い。それでもやはりなんのためにやっているのかに立ち返り、急がば回れを肝に銘じながら、課題の発見を大事にしていきたいと自戒ばかりを込めて思います。

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