私は「マレビト」〜利賀村で体験したワーケーションと人類の定住からの解放〜
ワーケーションはインバウンドに頼らない国内旅行の切り札になるか
コロナ禍、国内観光のスタイルも少しづつ変えている。
観光は、もともと英語でもSightseeing。
日常を離れ、何か素晴らしいスポットを巡ることだった。
「観光」の語源は古代中国『易経』にある「観国之光,利用賓于王(国の光を観る、用て王に賓たるに利し)」との一節による。(wikipedia)
GOTOキャンペーンの成果で、観光地の人出は戻りつつある。
但し、旅行のスタイルは少人数、旅先でも名所に出歩かず、滞在先でのんびりと過ごす人が、感染防止に関わらず増えてきているように思う。
またさらには、旅先でのんびりと過ごす事から一歩進んで、旅先で仕事するリモートワークを前提としたワーケーションというスタイルも現れ、菅新総理自身が語る日本語としても定着した。
ワーケーションは、旅行なのか、休暇先まで仕事が追いかけてくる事なのか、出張先での束の間の自由時間なのか、それともロングステイという名の短期移住なのか、まだまだ議論は別れるが、政府も推し進める1つの潮流であることは間違いない。
「新型コロナウイルスの流行以降、感染リスクの低いキャンプ場等の自然志向の高まりとテレワークの定着が進み、ワーケーションの機運が高まっている」
「ワーケーション推進に伴うロングステイとエコツアーの利用促進により、withコロナ時代の地域経済の下支えや平日の観光地の活性化を目指す」
(環境省)
少なくとも環境省と小泉大臣は本気だ。
インバウンドに頼らない「国内旅行」回復の一つの鍵だと思う。
個人事業主の私は、基本オフィスを持たないで、コワーキングスペースやカフェで作業や打ち合わせをすることが以前から多かったが、リモートワークの普及で東京にいる必要もなくなったので、今年は良くワーケーションの旅に出ていた。
感染するのも拡大させるのも嫌なので、移動も、滞在先でも基本独り。
会うのは、空港までのタクシーの運転手と、気心のしれた家族のような関係の地元の友人のみの、全行程でも接触者数名。
滞在先も、ホテルや旅館ではなく、キッチン付きの一棟貸しのような場所を選んではPCと読みたい本数冊と、トレラングッズと数日分の食材を買い込んで引きこもる。
未来の木造建築利賀村「まれびとの家」
例えば、そんなワーケーション滞在に相応しい場所が、Vuildの秋吉浩気さんが建てた未来の木造建築「まれびとの家」だ。
先ほど、2020年度のグッドデザイン金賞を受賞したという報告があったほど、デザイン的にも素晴らしい。
富山県と岐阜県の境、合掌造り集落が点在する山奥にその家は立っている。
「朝焼けとまれびとの家」
まれびとの家は、色んなものを結んでくれる場所だ。
・一極集中化の都市と限界集落化の地方を結ぶ
・所有と共有を結ぶ(ここはクラウドファウンディングに参加した100人で共有する場所だ)
・消費と生産を結ぶ(観光という消費だけではなく、地元との交流で生産してみる)
私も支援者の一人として宿泊させてもらっている。
まれびとの家は合掌造りの趣を持つが、全く新しい工法での建築物だ。
地域の木材をデジタルファブリケーションという最新技術と融合させ誰でもどんな材でも建物を作る事ができることを証明する建物だ。
一緒に仕事することが多い、孫泰蔵さんが「人々を定住から開放せよ!」とわかりやすく説明しているがここには、国内旅行の滞在先としてに留まらず「Living Anywhere」の思想を実装している場所でもある。
まれびとワーケーションライフ
ここでは特に何もすることがない。一番近くのコンビニまで途中高速道路使って1時間ほどかかる。
ここでは、買ってきた食材をひたすら調理して食べる以外は外の山の景色をみたり、本を読んだり、仕事したり、時々山を走ったりするだけだ。
今回の4泊分の食材。
魚を捌ける友人も一部滞在するので、ブリ、鯵、サンマ、イカ等。
天然わさび、生姜、大葉なども。金沢近江町市場で仕入れ、すべて安い。
今回は、「これからの知的生産の技術とは何か」を考えるために、自分の「積読図書館」から読書術などをテーマに数冊持ってきた。既に読み終えたものも、これからのものも。
読書に飽きたら、近所の山を少しトレラン。
近くのダム湖は夏は良く霧が立って幻想的だ。
“サングラスなどトレラングッズ”
山の天気はよく変わる。結構雨が何度も降る。
仕事は一旦始めると、他にやることもないので捗る。
夜、眠っていると突然大きな音で目が覚めるが、大抵それは突然の大粒の雨だ。しばらくすると、雨を吸った木の香りと夜の匂いが部屋に満ち、不思議な野生の香りに包まれる。それを深呼吸しまた眠りに落ちる。
朝起きると、日差しが差し込んでいる。
まれびとの家が最高の表情を魅せる素敵な瞬間だ。
”朝、目を開けて最初に飛び込んでくる景色”
買ってきた食材を、数日かけて朝昼晩、あと何食、何を作って食べようか等あれこれ思案しながら、徐々に料理して食材を使い切るよう減らしていくのも楽しい。
”地元知人の来客がさばいてくれた鯵の姿つくり、後ろは熟成肉のステーキ”
チェックアウトの朝食は、最後に残った食材のすべてを使って、トースト、コーヒー、目玉焼き、ソーセージ、いちじくとスイカを載せたヨーグルト、グレープジュース。
仕事は東京にいるときと同じ様にしながら、少し気分転換し、他にやることがない分、ミニマルでシンプルな生活を送る。
ワーケーションライフ、旅する職能民「マレビト」の末裔?
「まれびとの家」のマレビト(稀人・客人)は、時を定めて他界から来訪する霊的もしくは神の本質的存在を定義する折口学の用語だ。
また独自の日本史観で有名な中世日本の歴史学者網野善彦も
”「マレビト」こそ、聖なる存在であり、同時にアウトサイダーであった職能民の元祖” - 網野善彦
と、日本を理解する上で重要な存在と位置づけている。
網野善彦は、職能を持って各地を遍歴した「マレビト」を中世において、様々な工芸技術や芸能、情報を流通させたネットワーカーとして社会を成立させる上で重要な存在だったとする。
そして農耕が始まる前の1万年以上の長い縄文時代を考えると遍歴漂白こそ人類本来のあり方ではないかと述べている。
PCとスマホとモバイルネットワーク環境だけで、日本中様々な場所へ赴きいわゆるリモートワークをし、その土地土地の友人を訪ね、交流し、仕事し生活する。
本を読んだり、文章を書いたり、zoom会議に参加したり、資料作成をしたり、行っていることは様々だが、組織に属さず土地に縛られず、職能を差し出しながら遍歴漂白している。
そういう意味で、まれびとの家の私は旅する中世の職能民「マレビト」の末裔だ。
WITHコロナ時代の国内旅行は、これまでの限られた休暇の短期滞在において娯楽を消費する形から、長期滞在でそこで生産(仕事)と慎ましい消費の両方を行う「多拠点生活」に近い形に徐々に変化していくような気がする。
そしてそうした国内旅行における人々の落ち着いた、限られた、ゆっくりとした地方への移動が、東京への一極集中の緩和と地方創生につながっていけば良い。
そんな観光ではない国内旅行の新しいスタイルと日本の地方の将来を可能性を感じさせてくれるのが、利賀村「まれびとの家」への「国内旅行」だ。
また訪れたい。
追記①:
まれびとの家を構想し建てた建築家秋吉さんのnoteです。まれびとの家に関するより深い思想がわかります。
追記②:
もし興味があって予約されたい方はこちらです。