見出し画像

「今度こそ違う」~副総裁講演に思うこと~

結局、労働市場次第なのか
5月27日に行われた日本銀行金融研究所主催の国際コンファランスにおける内田副総裁の基調講演が債券市場で話題を集めています:

実際、今後の利上げ軌道を約束するかのような強い語気の目立つ講演という印象を強く受けました。内田副総裁は「現在の物価を巡る動向の変化が、不可逆的なデフレからの構造変化を意味するのか、あるいは、単に世界的なインフレによってもたらされた一時的な現象にすぎないのか」という自問自答から講演を切り出しています。

これに対する回答として、内田副総裁は講演途中で以下のように述べています。重要ゆえ、そのまま引用します:

今日の基調講演の冒頭で、私自身が提起した問い、すなわち、わが国で現在みられている傾向は不可逆的なものなのか、にお答えしたいと思います。すでに述べたとおり、これまでの状況を変えるためには、2つのことが必要です。デフレのそもそもの原因を解消することと、デフレ的なノルムを克服すること、です。1点目については、自信を持って「イエス」と答えられます。労働市場の環境が構造的かつ不可逆的に変わったためです

日本銀行より

 その後、2点目のデフレ的なノルム(≒社会的な習慣や規範意識)の克服については「答えはそこまで明白ではない」と続けていますが、デフレのそもそもの原因は解消されたと明言しています。この理由として内田副総裁は「労働市場の環境が構造的かつ不可逆的に変わったためです。この先、女性やシニア層から多くの追加的な労働投入を期待することには無理があります」と持ち出しており、労働供給が過少になりつつあることを言及しています。2点目のノルム克服について「その鍵は、やはり労働市場です」と述べ、人手不足を推進力として「解消に向かっています」という発言もありました。今後は労働コストの変化に応じ企業の価格設定行動も変化してくるというのが内田副総裁の主張でした。

率直に私は強い違和感を覚えました。実はこれらの部分に限らず、基調講演を通じて、節々に「鍵は労働市場であった」という主張が出てきます。デフレの原因解消の決定打となったのが労働市場の不可逆的な構造変化で、デフレをもたらしてきたノルム解消の鍵も労働市場だ、と。

確かに、労働市場の供給制約が鍵であり決定打になるのは間違いないでしょう。この点は、過去のnoteでも名目賃金上昇に由来するデフレからインフレへの切り替わりが円安相場の背景にある可能性を議論したことがあります:

しかし、労働市場の構造変化がデフレの終焉を意味するというのであれば、そもそも過去25年間行われてきた金融緩和政策は何だったのかという話にならないでしょうか。「デフレのそもそもの原因が解消されているかどうか」の具体的回答が「労働供給が減り、人手不足なので自信を持ってイエス」であるとすると、あれほど債券市場に無理を強いた金融政策運営は必要だったのでしょうか。労働市場に要因を求めるデフレへの勝利宣言は日銀が自身の政策運営をディフェンスする上であまり良い手ではないように感じます
 
「This time is different」は利上げ予告
…と言いつつ、金融緩和の効果やデフレの真因といった込み入った議論は今回脇に置きます(長くなりますので)。基調講演に話を戻し、当面の政策運営に思索を巡らせましょう。講演の締めの部分を見る限り、今後の政策運営の方向性はほぼ決まっているような印象を受けました。上述の引用箇所だけでも十分タカ派的な印象は抱かれますが、下記も実に目を引く部分でした:

<前略>日本銀行は、今年3月に、これらの一連の非伝統的な政策手段がその役割を果たしたと判断して、短期政策金利の操作を通じて2%の物価安定の目標を目指す伝統的な金融政策の枠組みに戻りました。このことは、ゼロ金利制約を克服したことを意味します<中略>デフレとゼロ金利制約との闘いの終焉は視野に入りました

同上

「デフレとゼロ金利制約との闘いの終焉は視野」とまで述べている以上、+25bpから+50bp程度の利上げは十分予想されるところでしょう。

しかも、講演の締めには「最後に、この言葉で締め括りたいと思います。『今回こそはこれまでと違う(This time is different)』」と金融市場において楽観主義が崩壊する直前と揶揄される有名なフレーズを持ち出しています。内田さんほどの方がこのフレーズを敢えて使うということは相当の自信を持って「次の一手」を用意している、と私は感じました

もっとも、こうした日銀からの情報発信を受けて日本の長期金利が騰勢を強め、日米金利差の拡大が抑止されている状況にもかかわらず、ドル/円相場の上昇基調は大して変わっていません。もう2年以上繰り返しているのでここでは詳述を避けますが、日米金利差は円安のドライバーとして重要ですが、全てではなくなっているという事実が足許で確認されているように感じます(それでも今後、米金利低下と円高が少しでも同時発生すると「やっぱり金利差だった」という論調に一気に傾くと思いますが、それで日本の抱える需給環境の貧相さが隠せるわけでは全くありません)。:

目先の話をすれば、日銀の利上げ単体では円ショートを解消する材料には至らず、FRBの利下げとセットで打ち出されて初めて投機筋を動かすだけの材料として昇華されてくるのではないかと思います。

日銀が正常化に至るにあたっての理由(労働市場の構造変化)は釈然としないものがありましたが、いずれにせよ、利上げ路線自体は持続すると考えて良いのでしょう。しかし、それと円安地合いの反転はさほど関係が無く、むしろ労働市場の構造変化に根差したデフレからインフレへの転換を背景として「デフレ通貨は上昇する」から「インフレ通貨は下落する」という理論的に考えて当然の局面変化が起きつつあると考え方もあって良いと思います。

引き続き時間軸を分けながら円相場の分析を丁寧に進めていきたい所存です。引き続き非常に照会が多く、関心度の高い国際収支統計を基軸とした現状と展望などについてはメンバーシップの中で議論させて頂いております。メンバーの方々からのフィードバックには新鮮な材料もあり、適宜取り込めるものは活かしつつ、分析をブラッシュアップして参りたいと思います:


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?