もし世界の芸術家が唐揚げの定食を描いたら/あるいはAIアートと作者を巡る3つの問題
お疲れさまです。uni'que若宮です。
芸術の秋ですが、お絵描きAIのStable diffusionがとても話題ですね。
かんたんなキーワードを渡すだけで、本当にいろんな画像を生成してくれます。
世界の芸術家に「唐揚げ定食」を描いてもらう
突然ですが、僕は食べ物の中でうにの次に唐揚げが好きです。
なのでStable Diffusionが出始めた一ヶ月くらい前、ふとこんなことを思いました。
『もし世界の芸術家が唐揚げの定食を描いたら』
「もしカラ」と略されて大ヒットし映画化されるところまでの絵がみえたので、まずは4人の巨匠に唐揚げ定食を描いてもらいました。
↓こんな感じ。
結果、飯テロ度ではベラスケス先生のやつが優勝でした。
Stable Diffusionに連携したアプリケーションにはより細かくパラメーター的に指定できるものもありますが、今回はLINEでキーワードを投げかけるだけでお絵描きしてもらえて究極に簡単な『お絵かきばりぐっどくん』を使っております。
その後も「#唐揚げ定食美術館」というタグをつけて日々唐揚げを描いてもらっています。タイムラインが唐揚げ定食だらけになるのでフォロワーは減ると思いますがお暇な方は試してみてね。
せっかくなので個人的お気に入り唐揚げ定食をいくつか紹介します。
それぞれの芸術家の唐揚げへの想いが伝わってきますね。
一番のお気に入りはこれ。
ルネサンス随一の天才はやっぱりちがいます。夢に見そうです。
「#唐揚げ定食美術館」をめぐるいくつかの問い
軽い気持ちで始めた「#唐揚げ定食美術館」ですが、よく考えみるとそこにはAIアートの「作家性」に関するいくつかの問いが提示されてまいりました。
1.贋作・パクリ問題
たとえば、かのフェルメールが唐揚げ定食を描くとこんな感じになります。
フェルメールっぽいですね!そして唐揚げがでかい。「唐揚げ」のオーダーでいきなりこの大きさの唐揚げを描くあたり、フェルメールはたぶん学生時代「海峡」でバイトしていたことがあるのでしょう。
ところでこの絵を「フェルメールが描いた唐揚げ定食」というのは問題はないのでしょうか?
そもそも、「フェルメールが描いた唐揚げ定食」というキャプションは明らかなFAKE(嘘)です。実際にはフェルメールは唐揚げ定食を描いていませんし「海峡」でバイトもしていないからです。
ところで「FAKE」といえば、ハン・ファン・メーヘレンのことが思い出されます。
美術史上最も有名な贋作家・メーヘレンは、フェルメールの「贋作」を、”敢えて「宗教画」に絞って” 描きました。
これは今回でいえば、
ということになります。構造としては似ていますね。とすると「フェルメールが描いた唐揚げ定食」は「贋作」に当たるでしょうか?
ここで「贋作」の定義を改めて調べてみます。
「特定の作者または時代の様式を模倣したもの」という意味ではメーヘレンの「贋作」と同じかもしれませんが、ポイントは「買い手をだます意図」があるか、というところでしょう。
メーヘレンは専門家を「騙す」ためにわざわざ「フェルメールが手がけていないとされていた宗教画」を描きましたが、僕が「フェルメールが手がけていないとされていた唐揚げ定食」選んだのは単に好きだからで、「騙す」意図はありません。
むしろ「唐揚げ定食」を選んだことは「騙す」意図がないからこそだとも言えます。さしてアートについての知識がなくとも、フェルメール作の「唐揚げ定食」がないことがすぐわかるでしょう。「海峡」は17世紀にオランダには出店していません。
ところで、フェルメールが描いた、と偽る「贋作」ではないとしても、これだけフェルメールの絵に似ていると「パクリ」に当たるのではないか、という問題もあります。
「パクリ」は既存の作品をマネて描くことですが、かならずしもマネすること=悪ではありません。
「マネ」といえば、エドゥアール・マネの『草上の昼食』について考えてみます。
この絵はマネパイセンが構図や題材としてルネサンス期の絵画をマネしたものですが(マネだけに)、
これをさらに色々な画家がマネていきます(マネだけに)。
こうした絵は「パクリ」ではなく「パロディ」や「オマージュ」と言われます。
「パクリ」と「パロディ・オマージュ」はどちらも「贋作」のように作者の名前を偽って絵を発表するわけではありませんが、その方向性は真逆と言っていいほど異なります。
「パクリ」の場合、パクられたことを知られたくないため、元ネタの作者名を隠そうとするでしょう。一方、「パロディ・オマージュ」の場合には、元ネタがわからないと楽しめないメタな作品なので、基本的には元ネタを示す方向性を持ちます。
「フェルメールが描いた唐揚げ定食」において「フェルメール」と明記しているのは、作者がフェルメールだと偽るためではなく、どちらかというと「元ネタ」として示しているわけなので、「パクリ」というより「パロディ・オマージュ」的二次創作に近い、と言えるでしょう。
2.原作者意図の問題
作者を偽る「贋作」や原作者を隠す「パクリ」ではなく、原作者を明示した「パロディ・オマージュ」的な二次創作であれば問題ないか、というとそう簡単でもありません。
AIでは「〇〇っぽい」絵画が生成できてしまうということは原作者の画風を使って、たとえば本人が描きたくもないようなものも描けてしまいます。
フェルメールがもしまだ生きていたとして、「唐揚げ定食」の絵を描きたがったかというとそんなことはないでしょう。パロディとしてはその落差があるからこそ面白いわけですが、自分の画風で勝手に絵を生成されてもうれしくないというケースも結構ある気がします。
たとえば、↓こんな絵も生成してみたのですが、原作者が存命中だと怒られるんじゃないか、失礼に当たるんじゃないか、とちょっとドキドキするわけです。
田名網先生本人の預かり知らないところで「唐揚げ定食」を勝手に描いてもらうことや出来上がった(クオリティの低い)二次創作的な絵を原作者の意図を確認せずにその名を冠して投稿することには倫理的な問題があるようにも思えます。
今回は「唐揚げ定食」というライトな題材だし、いわゆる「やってみた」的な実験として許されるかな…という判断なのですが、これが例えばエロ画など社会的に問題のある画題だったり、政治や宗教的に本人の信条と異なる内容だったりするとアウトでしょう。
このあたりはよく考えると、実はAIに限った問題ではありません。二次創作やパロディ全般において「原作者激おこ」ということはあり得ます。ただAIの場合には、ほんの数秒で大した努力をかけなくともそれなりのクオリティの二次創作が無限にできてしまうので、原作者からするとよりアンコントローラブル度が増しています。
また存命中の作家でなくすでに亡くなった人の場合でも(本人が亡くなっているので意図の確認のしようがないわけですが)原理的には同じ問題があり得ます。
少し前に「AI美空ひばり」という企画がありました。「AI美空ひばり」が本人の生前に歌ったことがない歌をうたい、本人の言葉ではないセリフを言わせる、というものでしたが、これもちょっとザワつきました。あの企画では秋元康さんやご家族など身近な方が関わりながら検討を重ねてコンテンツがつくられたわけですが、AIが普及すると全く関係ない人でも同じようなことが簡単にできてしまうので、こうしたことが沢山起こってくるでしょう。
先に述べたように、原作者本人だと偽るのはもちろんアウトですが(DEEP FAKE問題)、FAKEではなく原作者を偽らない「パロディ」「オマージュ」にしても、原作者の意図を踏みにじってしまうことがあり得ます。
(ひろゆきさんくらい「なんでもあり」な倫理フリーキャラだと二次創作はどこまでもいけますが…)
3.ライツの問題
最後に、AIアートには著作権などのライツの問題もあります。
AIアートではライツの権利主体も複雑です。つくられた絵は原作者/AI/そして僕のような指示者、誰のライツになるのか、という問題です。
AIによる絵は原作者の絵を学習データとして使っていても、「〇〇っぽい」というだけで原作自体のトレースや改変をしているわけではなく、一から描いているわけなので基本的には著作権侵害に当たらない、という整理が主流だと思いますが、絶対に原作者のライツを侵害しないか、というとそうとも言い切れません。
この場合、因果関係が争点になると思われます。たとえば特定の絵師のイラストだけを学習させて絵を描かせた場合、ほとんど意図的な既存の画像の複製に近いとの判断がされるかもしれません。
一方、AIが(特定の作者以外の画像も含め)非常に多くの画像データを食って消化してしまい、渾然一体となって溶けると因果関係としては希薄化されるので、原作者のライツは主張しづらくなるでしょう。
そもそもよく考えれば人間の創作活動というのは膨大な既存作品のリファレンスに基づいているわけです。過去に誰かの絵をみたことがあるからと言ってそれを原作者のライツで縛ることはできません。実際、まったく意図的ではなくオリジナルのつもりでつくった曲のフレーズがどこかで聴いた曲に無意識に似ているということはあります。
では、AIアートにはライツは存在しないのでしょうか?現時点では「AIが描いた」とされる場合には(AIにはいまのところ人格が認められないので)ライツは発生しない、と考えられるようです。
ただ、AIが勝手に絵を描いたのではなく人間が指示をした場合、ここに人間の「創作の主体」が認められる事があるといいます。
では今回の場合、僕の「フェルメールが描いた唐揚げ定食」という指示は創作的行為とは認められるでしょうか?
このあたりはアート的にはけっこう微妙です。「関与」としていうと、実は今回、「フェルメールが描いた唐揚げ定食」は何回かの「試行錯誤」をしています。いくつか絵を描かせてみて、その上で何枚かの絵から一枚を選択しているのです。
とはいっても指示を変えているわけではありません。「フェルメールが描いた唐揚げ定食」という同じ指示を、「いい感じのやつ」が出るまで繰り返しただけです。
果たしてこれは創作的行為でしょうか?
ただ選んでいるだけだから創作行為ではない、という意見もあるかもしれません。あるいは指示が曖昧で完成形を指定するには足りないので「作者」とは認められない、という考え方もできるでしょう。しかし、アートにおいてはマルセル・デュシャンのレディメイド以降、実際に「つくる」ことは芸術創作の絶対的要件ではなくなっていますし、陶芸の「窯変」のように作者の意図を超えた創作プロセスもあります。
そもそもこうしたAIアートにおいては「作者」という概念があまりなじまないのかもしれません。それはどちらかといえばオープンソースや民話のように、コレクティブでアノニマスな創作活動に近いなのではないでしょうか。
AIによる絵画はこれから圧倒的手軽さで普及していくでしょう。その中で、こうした「作者」にまつわる問題系を掘り起こし物議をかもしながら、創作行為における「作者」の地位やライツの概念をアップデートしていくのではないかと思います。