東京五輪開会迄の騒動からビジネスパーソンが学ぶべき「SOJCTC」
五輪は開催国の構造的な欠陥が浮き彫りになる
賛否両論と紆余曲折を経ながらも、「ウィズコロナ」の東京五輪が始まった。歴史上初めての危機的状況でも、あきらめずに準備を終え、今も運営に尽くしている大会運営の皆さまと、世界中からコロナに負けずにコンディションを作り、来日してくれた選手の皆様には尊敬と敬意を表したい。
しかし、コロナ禍とはいえ、開会までの道程は本当に多くの課題が噴出した。特に、開会前1週間の関係者の辞任・退任・不参加ラッシュは混沌としていた。
まず、前もって言いたことは、五輪の開会直前は大抵の場合、問題が次々と噴出するものだ。リオ五輪のときには、競技場が突貫工事で不備が多く、選手村もトイレや蛇口で問題が噴出して選手たちを困らせた。今回の選手村での不満などかわいいくらいだ。また、治安の問題もあり、報道バスの窓が銃撃で割られ、ハッカー集団からの攻撃で情報流出があった。ロンドン五輪のときには、民間企業が人材調達に失敗し、軍が動員された。また、五輪入場行進では無関係のインド人女学生が紛れ込み、選手がTwitterに人種差別発言をして選手団が追放されるなど、ヒトにまつわる面での問題が噴出した。
五輪のような大規模なイベントでは、問題が起こることが当たり前で、しかも主催国が持つ構造的な欠陥から生じるものが多い。リオ五輪での設備不備や治安面での問題、ロンドン五輪での人材調達の失敗や無関係な女性が紛れ込むことができる杜撰な現場管理など、ブラジルやイギリスを少しでも知っていると「やっぱり」という問題だ。
ブラジルとのビジネスでは、スケジュール通りに物事が進んだり、高い品質のものがプロジェクト初期の成果物から出てくることは稀だ。加えて、中南米の治安に対する意識は世界でも最低水準だ。中南米の水準で大丈夫と言われても、ほとんどの国にとっては及第点を満たしていない。
イギリスとのビジネスでは、現場のマネジメントに関する安定性は世界標準で見ると平均以下なことが多い。歴史的に階級社会が強く、下級層のマネジメントに難があるためだ。2013年に、BBCはイギリスの階級社会は従来の3つ(上級・中級・下級)ではなく、7つに分けるべきだと発表している。それくらい、イギリスの階級社会は複雑かつ強固であり、現場仕事を担うことの多い下級層のマネジメントは困難だ。
それでは、東京五輪では日本の抱えるどのような構造的な欠陥が浮き彫りになったのだろうか。このような構造的な欠陥を把握することは、日本のビジネスパーソンにとって大きな学びの機会となる。そこで気が付いたことを、自分の組織に照らし合わせることで、日本国内だけでビジネスをしていると見えてこなかった課題に気が付くことができる。今回、浮き彫りとなった構造的な欠陥を表すのが、本稿のタイトルにもなっている「SOJCTC」だ。
スーパー・オールドファッション・ジャパニーズ・コンサバティブ・トラディショナル・カンパニー
「SOJCTC」は、 "Super Old-fashioned Japanese Conservative Traditional Company(スーパー・オールドファッション・ジャパニーズ・コンサバティブ・トラディショナル・カンパニー)" の略だ。カゴメ株式会社の常務執行役員CHOの有沢正人氏が、人事責任者として転職してすぐ、会長・社長・副社長へのプレゼンテーションの冒頭で、当時のカゴメの体質を評価して述べた言葉だ。日本語に翻訳すると『超絶に旧態依然で日本的で保守的で伝統的な会社』だ。東京五輪の開会までの経緯でも、『超絶に旧態依然で日本的で保守的で伝統的な』歪みが随所で見られた。特に、3つの歪みがあげられるだろう。
第1の歪みは、リーダーシップの不在だ。リーダーシップの解釈には様々あるが、経営学としては共通してみられる中核概念がある。その中核概念が、集団が進むべきビジョンを打ち出し、ビジョンを達成するために周囲を巻き込んでいく影響力としてリーダーシップを捉えることだ。
今回の東京五輪で、リーダーシップの不在を嘆いている識者は多い。1人は、Zアカデミーの学長でリーダー育成の第一人者である伊藤羊一氏だ。伊藤氏は、『この国のリーダーシップがいよいよ制度疲労を起こして機能しなくなっており、抜本的な改革をしていかねばならないタイミングである、ということを教えてくれたのかもしれない』と現状を分析している。
また、コンサルタントの安川信一郎氏も東京五輪から「ビジョンがない、世界へのメッセージがない日本」という問題提起をしている。
伝統的に、日本の組織における意思決定では責任の所在を分散させ、現状の積み上げから議論することが好まれる。しかし、ビジョンを打ち出して、リーダーシップが発揮をされると、現状の積み上げから議論はなされない。
例えば、大学でグローバル人材の育成をしたいときに、学生の留学意向調査を行ったりする。しかし、ビジョンが明確な時には意向調査の意味はない。学生の意向があろうがなかろうが、グローバル人材の育成で留学は有効な手段なのだから、やらないという選択肢はない。同様のことは、脱炭素社会でのガソリン車廃止でも言える。脱炭素社会というビジョンが明らかならば、それに向けて準備をするだけで、日本の現状がどうであれ関係ない。
つまり、ビジョンが明確でリーダーシップが発揮されているということは、進むべき未来や将来の変化から逆算して現在やるべきことを意思決定することだ。もし、リーダーシップが発揮されていたら、昨年の延長が決められた時点で「ウィズ・コロナでの五輪の実施」を打ち出して、周到な準備がなされたことだろう。しかし、現実には誰もビジョンを打ち出すことはなく、なし崩しで開催されることになった。
第2の歪みは、密室での意思決定だ。意思決定の透明度を高めることは、企業だけではなく、政治でもみられる世界的なトレンドだ。
このトレンドは、インターネット、とりわけSNSの普及によって、意思決定の不透明さが信頼関係の構築に大きな翳を落とすようになったことが背景にある。SNSが登場する以前の昭和や平成初期の時代には、一般人には知り得る術もなかった専門性や気密性が高い情報も、現代では簡単にアクセスできるようになった。そうすると、意思決定者と周囲との間の情報の非対称性が小さくなる。情報の非対称性が小さいということは、提供される情報の真贋や良し悪しを受け手が評価できるということだ。
情報の非対称性が小さい世界では、意思決定の不透明性は不信感や納得感の欠如に繋がる。しかし、このセオリーが日本国内の多くの意思決定の場では適用されない。昨年、東京五輪の開会式のプロデュースについて、説明なしに突然の解任通知を受けたMIKIKO氏など、今回も不可解な意思決定が数多くあった。説明なしで突然の解任通知というと、W杯開幕前に突然の解任通知を受けたハリル・ホジッチ氏の事件も思い出される。
正当性が明らかにされないまま、当事者も与り知らない場で勝手に意思決定がなされる。ハリル氏が『1円訴訟』を起こしたように、世界標準で見ればそのような意思決定はアンフェアであり、ルール違反だ。
「フェア(公平性)」の概念は、現在のグローバルビジネスで最重要視される。多様な価値観や商慣習のもとでビジネスを行う必要のあるグローバル企業では、「平等」に処遇を決めたり、取引関係を結ぶことは困難だ。そのため、皆に等しく処遇と機会を与える「平等」ではなく、公にしてフラット(平ら)な関係性で処遇と機会を決める「公平」が重視される。このことは組織外にも適用され、公にしてフラット(平ら)な関係性が築けない相手は信頼に足りないとして取引相手に選ばれることはない。しかし、これまでの東京五輪の騒動をみると、公にしてフラットな関係性で処遇と機会が決められてきたとは言い難いところが大きい。
第3に、昭和の価値観が抜けきらない中枢部だ。2019年には竹田恒和元会長が贈賄疑惑で辞任し、2021年に入ると辞任・解任ラッシュが起きた。森喜朗氏が女性蔑視発言で会長職を辞任、佐々木宏氏の蔑視演出による解任、小山田圭吾氏のいじめ加害による辞任、のぶみ氏のSNSでの不適切発言による出演辞退、小林賢太郎氏のホロコーストをネタにしたコントでの解任と続いた。
8年前のロンドン五輪以来、差別や人権に関する事項についての国際的な評価が厳しくなっている。SDGsやLGBT、ダイバーシティ&インクルージョンのような流行言葉では済まされず、働く人びとの意識変革が待ったなしの状況で求められている。時代の変化に意識変革が間に合わない企業は、事業場の大きな損失を受けるだけではなく、致命的な信頼の失墜もあり得る。しかも、それが従業員1人の言動からでも起こり得る。
グローバル化が進むとともに、経営学の分野でビジネスパーソンの必須技能として考えられるようになってきたのが「倫理的な行動(Ethical Behavior)」や「倫理的リーダーシップ(Ethical Leadership)」だ。グローバル化とテクノロジーの進歩によって、ビジネスの複雑性が増し、本社の中枢だけで意思決定できる範囲を超えるようになってきている。そのため、現場に委ねられる意思決定の範囲が拡大する中で、従業員の持つ倫理観やモラルが重要視されるようになっている。
加えて、倫理観やモラルといったものは、時代や社会背景、国・文化によって求められるものが異なる。例えば、日本では目下の者や目上の者にお酒を注ぐ行為は敬意を表すが、欧米の多くの国では目上の者が独裁者のように振舞っていると見なされ倫理的に好ましくない。欧米では、お酒を注ぐのはホスト役の仕事だ。つまり、倫理観やモラルは時代や社会に応じて、常に更新し続けないといけない。
今回の東京五輪の問題に照らし合わせるなら、現在の言動が「昭和では許されたが、令和の現代では許されない」ケースはどうしようもない。本人が責任をとるしかないし、そもそもそういった人材を登用してはいけない。しかし、過去の言動の場合はどうすべきか。
日本でも外資系企業では導入されていることも多いが、欧米をはじめとした諸外国では、「リファレンス・チェック」と「バックグラウンド・チェック」を行うことが多い。特に、五輪のような影響力の大きなイベントや企業での採用活動で実施される。リファレンス・チェックは、申告された経歴に虚偽がないかを確かめ、SNSなどの過去に公表された言動で不適切な内容が含まれていないかを確認することだ。一方、バックグランド・チェックは、家族構成や犯罪歴などの過去の経歴で不審な点がないかを確認する。私自身の経験でも、外資系シンクタンクの面接を受けたときに、TwitterやFacebookの過去の投稿をプリントアウトした資料を面接官から渡され、事細かに質問されてことがある。企業側からすると、過去の言動によるリスクは採用前に調べることで、ある程度は対処可能だ。
この10年で世界の常識は大きく変わっている
社会の変化スピードは、この10年で急加速している。それに伴い、世の中の常識も次から次に更新され、つい5年前までの常識が現在では通用しないというのも珍しいものではなくなっている。
例えば、私が得意とするインドネシアのビジネス環境は、この5年で急速に外資依存から内資依存にシフトしている。そのため、従業員の最低賃金は急激に上昇し、外資系企業の製造拠点では人件費負担が軽視できない水準にまで上がってきている。インドネシアスタートアップへの投資件数、金額はASEAN全体の約20%であり、シンガポールに次ぐ2番目の規模にまで成長している。安い人件費と製造拠点としてのインドネシアという常識は、この5年で大きく変わってしまった。
超絶に旧態依然で日本的で保守的で伝統的な組織は生き残ることが難しく、もしトップの意識が変わっていないときには何が起こるのか。今回の東京五輪の開幕までの騒動では、多くの教訓を与えてくれたのではないだろうか。
今回のような騒動が、一企業の身に降りかかったと想像すると恐ろしいだろう。人権問題の発言で、次々に経営幹部が解任と辞任に追いやられるという状況は恐怖以外何者でもない。まずは、自分が「SOJCTC(スーパー・オールドファッション・ジャパニーズ・コンサバティブ・トラディショナル・カンパニー)」に陥っていないかを省みて、必要に応じて考え方のアップデートをすることが求められているのだと、今回の騒動は私たちに教えてくれている。
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