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日本のテレワークの本当の課題—シンクロニシティがない(上)

コロナ禍が3年経って、5類に引き下げられた。いろいろなことが、元に戻ろうとしている。テレワークで弱くなったコミュニケーションを密にするために、出社をメインに切り替える会社が増えている。しかし出社しても、社内のメンバーやお客さまがテレワークだったりして、結局、1日中、オンライン会議、会社のなかのオンラインミーティングブースに入ったままということもある

だったら、これまでのように、テレワークのままでよかったのと違う?なんのために会社に来ているんだろう?となっている。出社比率が上がってコロナ禍前に戻りつつあるという捉え方を数字上でされているが、実態はそう単純なものではない。コロナ禍を契機に始まった、日本型の出社とテレワークのハイブリッドワークとはなにかを考えてみたい

1.  日本人の仕事の「甘えの構造」

日本のテレワークの実態は、「シュレーディンガーの猫」そのものだと思った。毒ガスが5割の確率で発生する機械を設置した箱のなかに猫に入れ、蓋をしまったままにした場合、蓋を開けるまでの時間、猫が生きているのか死んでいるのかが共存する状態になる。一時間後に蓋を開けてはじめて、猫が生きていたのか死んでいたのが分かるという実験が、テレワークの暗喩ではないだろうか

それは、コロナ禍前も本当はそうだったかもしれない。「シュレーディンガーの会社員」だったかもしれない。仕事をしているのか仕事をしていないのか、それが共存している状態だったかもしれない。コロナ禍でのテレワークで、それが明確かつ複雑になったのではないだろうか?

テレワークは、「フリータイム」ではない。テレワークは9時から17時までは、オンチャージではなければいけない。あなたが、これを彼に訊きたい、あれを彼女に相談したいと思って電話をしても、その人が電話にでてこなかったり育児をしていましたとなると、その時間は本当は「休憩」となる

人事管理上、在宅勤務・テレワークがフリータイムのような認識が広がっているが、在宅勤務・テレワークとはいえ、「オンチャージ」で、その時間は給料は出ている。つまり

9時から17時まではオンチャージ

どういう場面であっても、電話に出なければいけないが、日本のテレワークはそうなっていない。なにを言いたいのか?日本では

仕事が「チーム」で進んでいるという感覚

が欠けているのではないか。仕事は自分のペースでできる、やれる時にやればいいというのは、言ってみれば、1人で自己完結できる仕事で、委託業務を1人でしているようなもの。仕事にはそういう仕事もある。これはテレワークに向いている

しかし一人だけでは仕上がらない仕事がある。これは彼、あれは彼女に訊こう、それは三人で議論しようと、チームで「分担」して進める仕事がある

仕事の「分担」とは、どういう意味か?仕事全体のなかで、チームメンバーの誰がどの部分を負担しているのかという意味ではなく、同じ時間を同時進行しながら、この人はこの仕事・あの人はあの仕事をするという分担である。つまりチームの仕事とは、チームメンバー全員で

同じ時間を同時進行すること

2. 仕事には2種類の仕事がある

仕事には二種類の仕事がある。バラバラに分割しても存在する仕事と、バラバラにしたら存在し得ない仕事がある

別の言い方をする。チームメンバーが仕事をそれぞれ分担しても、時間軸をバラバラにしてもできる仕事と、ひとつの仕事を同じ時間帯でシンクロしながらやらなければいけない仕事がある。それを区別して考えないといけないが、多くの会社・組織は、それをいっしょくたにしている。それを峻別できていないから、なんでもかんでも、会社に来なければいけないという話になる。時間時をバラバラにして一人でできる仕事ならば、いちばん良い仕事ができる時空間ですればいい

しかし時間時をバラバラにしたら破綻してしまう仕事がある。総務・経理の機能は9時から17時まではオンワークであるという前提で、会社の他の仕事が動いている。それぞれの機能が同じ時間帯をシンクロさせて、会社は動いている。だから経理部門全体をテレワークにして、他から依頼された仕事を他の用事を済ませてから夜にしますとなると

その会社の時間は止まる

コロナ禍となって、仕事の流れ、会社全体の影響を踏まえた全体最適の議論をしないまま、部分最適の思考で、在宅勤務・テレワークになった

たしかに在宅勤務・テレワークには、通勤という不経済はない。自らの時間も有効利用できる、雑件に邪魔されずに集中して仕事ができる、 会社に集まって朝から夕方までみんなが一緒にいなくてもいいのではないか、行きたくない飲み会に巻き込まれにくい。チームメンバーみんなが一緒にいなくても、やれる仕事は結構ある、そういうメリットは多い

コロナ禍を契機に、「いつでも仕事ができる」という時間革命が起こっている。別の言い方をすれば


仕事の時間をバラバラにした

のがコロナ禍からの日本の「働く」の変化だった

3  シンクロニシティ(共時性)

コロナ禍に入った時に、通勤でも感染するじゃないか、仕事は家でもできるのではないかということで、在宅勤務がはじまった。本当は、そのときに「仕事の時間をバラしていいのか?」ということを議論しておかねばならなかったが、それをしないで、在宅勤務・テレワークをはじめた。現在もそれをしていない

期せずして、同時に同じことをしていることを「シンクロニシティ(共時性)」という。たとえば、彼は今どうしているかなと考えた時に、彼も私がどうしているかなと考えて、同タイミイングで電話を掛け合うようなこと

この同時性というシンクロニシティの議論がないままに、在宅勤務・テレワークになった。このとても重要な論点を日本は外している

お客さまが電話してこられたときに、「現在、ちょっと仕事以外のことをしています」ということはあってはいけない。「今は対応できません」ということはあってはいけない。会社であってはいけないことが増え、「タイムラグ」が起こっている。生産性の低下というが、その言葉ではくくれない課題がある

会社であろうとも個人事業者といえども、個人が仕事を請けているではなく、組織・事業者が請けている。そのとき、お客さまは

会社に、「最低限」のことを期待する

その「最低限」とは何かというと、お客さまがその会社に連絡を取りたいときに連絡が取れるということ。たとえばネット通販で、 何か訊きたいことや問題があった時に、その会社に電話が繋がらなかったりメールしてもすぐに返事をいただけないと困る。必要なときに、すぐ対応してもらえないと困る

     それがお客さまの会社への「最低限」の期待

とはいうものの、たとえば18時を過ぎた夜や8時前の早朝に対応を臨むには社会的に絶対条件ではないが、8時から18時のオンタイムでの対応が滞るのは社会的に受け入れらない

どんな場所で仕事をしていても、仕事を会社で請けている、チームで仕事をしているうえで、仕事という一連の事柄、いろいろ分割された事柄をチームでおこなうためには、シンクロニシティ(共時性)が担保されていないといけない

コロナ禍で始まったテレワークという新しい働き方、出社とテレワークのハイブリッドワークのなかで、シンクロニシティ(共時性)が担保されていない会社・組織が増えている。ここに、日本のテレワークの課題が所在している。次回は、どうしていけばいいのかを考えていきたい


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