日本で新卒学生の「志望部署」を重視する難しさ
日本社会には、企業が定期的に就業未経験の新卒学生を大量に一括採用する、という世界的にも珍しい雇用慣行が存在する。
そして、この「日本型新卒一括採用」において、企業は学生が大学時代にどんなことを学んできたのかや、どんな仕事に就きたいのかはあまり重視しない。また給料も基本は一律で、差をつけるようなこともしない。
そのため、若く優秀な学生の獲得競争に出遅れたり、入社後、元々志望していた部署とは全く違う部署に配属され、早々に離職してしまったり、というケースがこれまでにもあった。
そこで昨今では、日本企業でも、新卒学生が入社する際に職種を約束したり、入社時から待遇面で差をつけたりする企業が出始めている。
今回は、日本企業が新卒学生を採用する際に、企業はどこまで学生の「志望部署」を重視できるのか、というテーマで思うこと書いてみたい。
日本社会と欧米社会の違い
日本型新卒一括採用を語る際に、よく引き合いに出されるのが欧米での若者の入職の仕方である。
確かに、ある一面から見れば、欧米では新卒学生が入職する際も「どの部署でどんな職務(ポスト)につきたいのか」と「その職務を遂行できるだけのスキルがあるのか」をみてマッチングをする傾向がある。
一方で、日本の新卒一括採用では、先述したとおり、どの部署を志望しているか(そして、そこでの職務をできそうか)よりも、基礎能力、将来性、社風に合うかといったあいまいな基準を重視した選考が多い(そのため、リクルーターやOB訪問を通じた全人格把握による採用が中心になっていく)。
また、入社後も志望した職種につける保証はどこにもなく、報酬も職務への対価ではなく、一律の職能等級を基準にして決まる。
なぜ欧米社会では「志望部署」を重視してくれるのに、反対に、日本の新卒一括採用では「志望部署」が重視されにくいのか。
そこには「雇用システム」と「育成システム」の違いが影響している。
「雇用システム」の違い
1つ目の理由は、「雇用システム」の違いである。
まず欧米社会の雇用システムは、「職務(ポスト)」が軸になっている。
企業は組織の末端まで「職務(ポスト)」を決め、そこに当てはまる人を採用していく。また「職務(ポスト)」を限定して採用するため、その「職務(ポスト)」から動くことは基本的にない。
たとえば、入社時に「経理事務」の仕事を任せたい学生がいたとする。
欧米の場合、その学生は「経理事務」の仕事をする「職務(ポスト)」に限定して採用されているので、その学生は一生、「経理事務」の仕事を担当することになる。
当然、採用時点で見られるのは「経理事務の仕事がやりたいのか(ポジションの認識に相違はないか)」といった部分や、「伝票処理や仕訳といった経理事務をできるのか」という部分になる。待遇についても、必然的に経理事務の職務(ポスト)にふさわしい金銭報酬がオファーされる。
一方、日本社会の雇用システムは「会社」が軸になっている。
「職務(ポスト)」を限定することなく、「会社の一員(メンバー)」として採用するため、あくまで入社時の「職務(ポスト)」は一時的なもので、刻一刻と変化していくものだ、という認識がそこにはある。
つまり、最初の配属部署が経理に決まって「経理事務」の仕事を任されたとしても、それはあくまで入り口であり、数年したら決算業務をリードする人物に、その後、税務や管理会計も覚え、35歳にもなれば経営管理業務に携われるように育ってほしい、という前提が隠されているのだ。
こうなってくると当然、採用時に見られるのは、「この人はどんな仕事がやりたいのか」「この人はどんな仕事ができるのか」ではなく、将来的に(たとえば決算⇒税務⇒管理会計⇒経営管理という風に)階段を上っていけるような「人間性」を持っているかどうか、ということになる。
要するに、日本社会ではそもそも企業側が、特定の部署の仕事だけを「やりたい」「できる」という人を採用しようとは考えていないのである。
「育成システム」の違い
ここまで日本社会において、企業側がなぜ学生の「志望部署」に目を向けないのか、という理由について見てきたが、一方で、日本社会の場合、学生側からしても、自分自身がどんな部署を志望すればいいのかが分かりにくい、という側面もある。
これには「育成システム」の違いが大きく影響している。
日本社会の場合、ある職業ができるようになるための「育成」は「会社に入社した後」に「職場OJT」として行われる(もちろん階層別研修等の企業内教育訓練もあるが、Off-JTだけで仕事を覚えるのは現実的に無理がある)。
先述したとおり、日本企業は「職務(ポスト)を限定していない」ため、各職務(ポスト)から簡単な仕事だけを集めて新人に渡すことが容易に可能、かつ、今の仕事を覚えたら少しずつ難しい「職務(ポスト)」に挑戦させていく、という育成方法も使うことができる(もしも「職務(ポスト)」が限定されていた場合、強制人事異動が使えないため、次に難しい「職務(ポスト)」が自然に空くまで、一生待ってもらうしかない)。
一方、欧米社会は事情が異なる。
「職務(ポスト)」を限定している、ということは裏を返せば、そもそも「職務(ポスト)」を遂行するだけの経験・スキルがない人間は採用されない*し、入社後も「職務(ポスト)」を限定しているがゆえに「順番に難しい仕事を担当させることで、少しずつステップアップしていく」という育成方法が使えない。
*欧米にも就業未経験の新卒採用は存在するが、超エリート層の「トレーニー採用」か、不人気企業・不人気職務の「エントリーレベル採用」に限られる
では、欧米社会の学生たちはどこで「育成」されるのかというと、「会社に入社する前」に「企業実習」という形で行われる。
企業実習は大きく分けて3種類あり、1つ目は、教育機関の授業の中での企業実習。2つ目は、学生個人による企業実習(インターンシップ)。そして、3つ目は、公的機関による企業実習(見習い訓練)である。アメリカの場合は前二者が主であり、欧州の場合はすべてがそろっている国が多い。
「企業実習」と一口に言っても、社会人相応に腕を磨くことが目的のため、日本で行われているような1か月程度のインターンシップ(就業体験)とは性質が異なる。
たとえばフランスでは、1回あたりの実習期間は3~4ヶ月以上が普通で、さらには、こうした長期インターンシップを複数回受けることになる(こうしたインターンシップでも習熟が積めなかった学生は、公的な見習い訓練を受けることになる)。
さて、ここで日本社会と欧米社会における学生側の「志望部署」の見え方の違いが明らかになってきた。
欧米社会では「入社する前」に「企業実習」という形で育成されるため、すでに学生側も、どんな仕事をどんなスキルで遂行するか、というイメージができている。
一方、「入社した後」に「職場OJT」という形で育成される日本社会では、そもそも学生は一度も働いたことのない状態で就職活動を迎えるため、仕事の内容も、そこで必要なスキルもイメージが湧きにくいのである。
社会システムは一長一短
これだけ見ると、まるで欧米の社会システムの方が学生の「志望部署」を重視してくれる、素晴らしいもののように聞こえてくるが、もちろん、そんな簡単な話ではない。
たとえば、欧米社会は「職務(ポスト)」を軸にした「雇用システム」を持つがゆえに、新卒学生もその他熟練の社会人も、同じ土俵で「職務(ポスト)」を奪い合うことになるため、若者の失業率が高くなっている。
逆に「新卒で年齢が若い」というだけで企業が有難がって採用してくれる日本社会は、若者の失業率が他の国と比べて低い。
また、欧州の「入社する前」から「企業実習」を受けさせるという「育成システム」はインターン生の低賃金労働(労働搾取)という別の問題も生み出している。
そもそも、なぜ企業が「企業実習」などという形で何の就業経験もない学生を育成してくれるのかというと、そこには「希少人材の早期獲得」と「非正規代用」という2つの理由がある(欧米では企業が社会責任を重視する、などといったムシのいい話ではない)。
前者はいわゆる青田買いで、超精鋭のエリートたちを「内定拘束」するために、そして後者は、非正規雇用が禁止されている国の抜け穴的にインターンが使われているのである。
実際、フランスのインターン生で2ヶ月を超える実習の月額報酬は、最低賃金の3分の1程度(日本円で5万円くらい)にとどまり、過去にはインターン生によるデモやストライキも起きている。
逆に言えば、それだけ過酷なインターンシップを経て就業経験を積まなければ学生たちは入職できない、というのが欧米社会の実態なのである。
そして最後に「職務(ポスト)が限定」され、「入社前から育成」されるという雇用・育成システムは、早い段階から逆転不可能な階級社会をつくってしまう、という側面にもしっかり目を向けておきたい。
特に欧州はそれが顕著で、たとえばフランスでは15歳、16歳、18歳、20歳のタイミングで徹底したコース分岐が起きるようになっており、早い段階から「はい、あなたはこの職業ね」と答えを出してしまうため、日本のように、誰でも高校を卒業すればどの大学でも受験できる、という仕組みになっていない。
そして、そこで得た資格によって、どの「職務(ポスト)」につけるかが決まり(フランスには8000を超える公的な職業資格がある)、一部の例外を除いては、その仕事をやり続けることになるため、上にも横にも閉じられた「籠の鳥」と呼ばれるキャリアを歩んでいく。
ここまでの話をまとめると次のようになる。
小さい頃から人生の行く先を決められ、社会人になるために学生時代からハードな実務修行を経てもなお、熟練労働者たちで「職務(ポスト)」が埋まっているから若者が就職できる可能性は高くない。
運よく就職できたとしても、さらに上のランクの職務(ポスト)に就くためには、相応の資格が必要なため、その壁を乗り越えられない大半の人達は、一生涯、同じ仕事を同じ給料でやり続けることになる(これが同一労働同一賃金である)。
一方の日本は、教育時点では本人の職業の可能性を閉じることはせず、またどの企業も会社に入ってから育成することを前提に若い真っ新な人材を歓迎してくれるため、他国に比べれば若者の失業リスクは低い。
また就職後も「職務(ポスト)」が限定されてないため、職業資格などに関係なく、誰でもがんばりさえすれば階段をのぼれる可能性がある。
結局のところ、社会システムというのは常にトレードオフが存在するため、大切なのは日本社会のシステムの特徴を認識した上で、少しでもよりよい社会に近づけるような現実解を積み重ねていくことだと思う。
日本で新卒学生の「志望部署」を重視する難しさ
さて、ここまで欧米と日本の社会システムの違いとメリデメを概観しつつ、いかに日本企業が新卒学生の「志望部署」を重視するのが難しいのかをみてきた。
一方、冒頭でも紹介したとおり、最近は日本社会でも、職種別採用や新卒時点からスキル・経験を踏まえた待遇を検討する会社が出始めている。特にエンジニアなどの職種については、そのスキルや専門性が比較的、目に見えやすいため、先行してその動きが始まっている。
1つ留意しておきたいのは、これらは欧米社会のような「職務(ポスト)」を中心とした雇用システムとは似て非なるものだということである。
先述したとおり、これがもし本当に欧米社会のような「職務(ポスト)」を中心に置く雇用を志向するのであれば、当然、社内で強制人事異動させることはできないし、そこからキャリアアップしていくこともない。
またその「職務(ポスト)」がなくなれば解雇するということになるが、現実的に考えて、今の日本社会でそこまでやれる企業はないだろう(というか、そもそも社会の構造が違うので、実行は不可能に近い)。
よって、いくら本人の「この仕事がやりたい!」という気持ちや、専門性・スキルを重視すると言っても、「将来性」「カルチャーフィット」といった曖昧な基準が入ってくる部分は、根本的には変わらないと思う。
選択肢に溢れ、可動性が高く、見通しのよい社会を
しかし個人的に、この流れ自体は悪くないものだと思っている。
それは、入口の形に選択肢が増えることによって、これまで仲間にできなかった新卒メンバーをインクルードできるようになったり、選択肢が明示的になることで、改めて自分の覚悟を問い直すきっかけになり、新卒メンバー側も配属の納得感が高まる可能性もあると思うからだ。
ぼくの所属するサイボウズでも、新卒採用の中に職種確約コースを設けていたり、また職種を約束していないコースでも、配属については、可能な限り、「やりたいこと(志望部署)」「やるべきこと」「できること」のマッチングを重視する。
今年で新卒メンバーの配属を担当して3年目になるが、日本の雇用システム、育成システムの中で、新卒メンバーの志望部署をできるだけ重視し、納得感のある配属を実現するには、以下が必要なのではないかと思っている(もちろん、サイボウズもまだまだ不十分だと思っている)。
1.選択肢と選択に必要な情報が明示されていること
採用時点でどのような入口があるか、ということはもちろん、サイボウズでは入社後の配属検討期間に、社内でどの部署が何人求めているか(受入れ希望人数/受入れ可能人数)をすべてオープンにしている。また、新卒メンバー側にも、志望部署とその理由をアプリ上に記入し、公開してもらう。
これは自分で志望部署を選択するにあたって、できるだけ情報の非対称性をなくすためである。また、配属検討期間には、各部署のことを知ってもらうための説明会はもちろん、希望者には座談会なども実施する。
2.オープンにフィードバックすること
ここ3年ほどは、殆どのメンバーが志望通りの配属になっているため、時間をかけたフィードバックは、一部メンバーのみとなっているが、配属面談では、できる限り、同じ情報を見ながらどの部署がマッチしそうか、ということを本人にフィードバックする。
当たり前のことに思えるが、本人の認識と周囲の認識のギャップを埋めておくためには、最も大切なステップだと思う。
3.選択した後も柔軟に変更が可能であること
とはいえ、そもそも欧米社会のように、入社前に3~4ヶ月の本気のインターンシップを経験しているわけでもない新卒メンバーの「志望部署」が本当にマッチするかどうかは、正直、配属してみないことには分からない。
サイボウズの場合、新卒で配属部署がマッチしなかった場合、他部署に体験入部をしたり、条件が合えば、兼務という形で徐々に仕事の割合を変えていくこともできる。もちろん他社との複業割合を増やすことも可能である。
さて、何のためにこれ程のコストをかけて、1人ひとりがやりたい仕事に就けるようにするのか、と言われれば、結局のところ、可能な限り1人ひとりが自分の選択に納得して働ける職場をつくることが、個人の幸せにもチームの成果にもつながるはずだ、と心のどこかで信じているからだと思う。
最後に余談だが、ぼく自身、新卒で採用されたときは人事以外の部署を強く志望していた。そして、人事への配属が決まった当時は結構落ち込んだ。
しかし今では、人事の仕事に魅了され、楽しく働いていることを考えると、あの時、人事部に配属を決めてくれたことに感謝の気持ちを覚えている。人生というのは本当に分からないものだな、とも思う。
置かれた場所で咲くことと、自分の意思で居場所を選択すること。
きっとそこに優劣はないし、それすらも個性の1つとして、どちらがあっているのかは、本人が選択すればいいのだと思う。
そのためにも、会社のなかに選択肢を増やし、柔軟に動きやすく、見通しのよい環境をつくっていくことに、ぼくはこれからも心血を注ぎたい。
参考文献:
濱口佳一郎『若者と労働』
濱口佳一郎『日本の労働法政策』
海老原嗣生『お祈りメール来た、日本死ね ~「日本型新卒一括採用」を考える~』