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急須とスマホの違いから考える、電子デバイスの「対面型」と「同方向型」

 わたしは電子デバイスのタッチスクリーンは、遠からず姿を消していくと考えています。そう考える最大の理由は、これらのUIが人間の自然な道具の使い勝手とは反しているから。

 説明しましょう。スマホやパソコンは人間と向かい合ってキャッチボールしている「対面型」です。対面型ではわれわれは、つねに目の前にデバイスとその画面があることを意識しなければなりません。

人間の道具はかつて大半が同方向型だった

 しかし歴史を振り返ってみれば、人間の使う道具はもともと多くが「同方向型」でした。道具と人間が対面するのではなく、同じ方向を向いているという意味です。ノコギリでも手斧でも、スプーンとフォークでも、鉛筆でもボールペンでも、急須でもティーポットでも、棍棒や刀、銃などの殺傷兵器でも、すべて人間と同じ方向を向いている。

 アナログな時代にも、対面型道具はありました。方位磁石(コンパス)や定規、そろばん、紙のノートなどがそうです。これらの特徴はなんでしょうか? 答は簡単です。「表示部分がある」のです。方位磁石で方角を読み取り、定規の目盛りで長さを調べ、そろばんで足し算の答えを確認し、目で確認しながら紙に鉛筆で書く。

デジタル時代に道具は対面型に変わった

 レンズを使って視野を拡張する道具を考えてみましょう。双眼鏡や望遠鏡、ファインダーのあるカメラなどはすべて人間と同じ方向を見て、網膜の延長になっていました。ところがカメラがフィルムからデジタルに変わると、ファインダーはあまり使われなくなり、液晶モニタを見て操作するスタイルに変わってきています。スマホのカメラではもはやファインダー自体が存在しません。デジタル化によって、カメラは同方向型から対面型に変わってしまったということなのです。

 これがなにを意味しているかと言えば、デジタル化は液晶スクリーンという表示画面を追加することによって、同方向型のデバイスにも対面を持ち込むようになってしまったということです。しかしこれが最適解かと言えば、必ずしもそうではありません。

クルマのダッシュボードが液晶画面になっていくのは危険

 映画を観たり書籍を読むなど、どうしても画面を目で見る必要があるデバイスは対面型から決して逃れられませんが、本来は同方向型で最適化されていたものに対面型を持ち込むのには無理があります。一例はクルマのダッシュボードです。最近のテスラなど操作系をタッチスクリーンに一元化する傾向は増えてきていますが、運転している最中にいちいち液晶画面を見なければならないUIには「危険ではないか」という指摘も出ています。物理ボタンであれば手探りで操作することができますが、タッチスクリーンは対面型なので、自分の目で視認しないと操作できません。前方の安全確認がおろそかになってしまうのでは?ということです。

 運転しながら操作するクルマのダッシュボードは、やはり同方向型が最適解だと思います。グーグルは以前、ダッシュボード操作をジェスチャーで行う特許申請を出願していたことがあります(すみません、いまどうなってるかはちょっと未確認です)。

 このグーグルの技術では、クルマの天井から下向きのカメラを設置して、窓やエアコン吹出口と人間との位置関係を確認することで認識するようです。たとえば窓のところで手を上下に振ってウィンドウを開け閉めしたり、エアコンの送風口をタップすると風量をコントロールできたり、さらに手で送風口を覆うと、風量がオフになったり。さらにドライバーの身体への操作も可能で、たとえばドライバーが自分の耳のところで手を上に振る動作をするとオーディオの音量が上がるというようなこともできるようです。

 まさに同方向型のUIで、これなら液晶画面に目を奪われて運転がおろそかになるということはありません。

ポスト・スマホ時代にデバイスは同方向型に回帰する

 そしてポスト・スマホ時代の新しいデバイスは、同方向型に回帰する傾向が強まってきています。たとえばAmazon Echoのようなスマートスピーカーは、対面型ではありません。「アレクサ、天気は?」と呼びかけて会話する必要はありますが、向かい合っている必要はない。実際、私の仕事部屋ではEchoは背面の書棚に収めてあり、対話している時も背中を向けています。

 VRやARなど空間テクノロジーのデバイスも、いずれも同方向型。Apple Watchは液晶画面を持っていますが、画面表示を中心と考えるのではなく、各種のセンサーによって身体の状態をトラッキングしてくれるデバイスとして捉えれば、これも同方向型の変種ということができそうです。

 同方向型の良いところは、人間と一体化し、習熟すればほとんど無意識に使えるようになることです。スティーブ・ジョブズが切りひらいたタッチスクリーンUIは素晴らしい発明でしたが、画面があるうちは「人間が意識しないで使える」というところまでは行き着けません。だからこれは過渡期のUIでしかないのではないかと思うのです。

 いずれデバイスはウェアラブルからインプラントへと進化し、外科手術などによって身体に埋め込まれていくようになるでしょう。そうなれば人間とデバイスは完全に一体化し、同方向型はそこまで行き着いて完全に完成形になり、私たちはデバイスの存在そのものを意識しなくなっていくのだと思います。


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