
経営者になって、小説を読むようになった。その理由を紐解いてみる。
電通を辞めて3ヶ月が経過した。
酒屋の経営と個人事業主。
2足の草鞋で仕事をしている。
電通から継続する仕事は減らしたが、それでも図にするとこんな感じ。

仕事の総量は圧倒的に増えている。
これが成立しているのは「従業員」ではなくなったから。2足の草鞋の両方が「経営者」だからだ。(規模は違うが)
経営者に休みはない。
正確に言えば「決められた時間」がない。もちろん、22時以降も働ける。
働く時間も休む時間も、自分で決めるのが経営者。
自由と責任がセットになって、2倍になった。
そんな3ヶ月だった。
いわゆる「余暇の時間」は減ったが、それでいいと思っている。
電通に入った17年前もそうだった。1年目のストレスは今でも忘れない。遊んでばかりいた自由な時間が、すべて仕事の時間に変わった。
今の自分とは逆の「自分で時間をコントロールできないこと」がストレスだった。
ただ、1年目はそれでいい。
1年目に1番しんどいことをやっておかないと、後からどんどんしんどくなる。
だから今年は「仕事量を詰め込む年」にする。ここで現在の自分のキャパを知っておく。
とりあえず今のところ、明るく元気にやっている。
変わったことと言えば、小説を読むようになった。
ビジネス本ではなく、小説。
ネタバレは読まず、きちんと1ページずつ読んでいる。
なぜ独立して自分は小説を読むようになったのか。
自分の変化の構造を、例によってパワポで紐解いてみた。
今日はそんな話。
◾️人は縛りで安心する
本を書いている割に、本を読むことはあまり好きではない。
理由は単純で「読むのが面倒」だから。
特に小説が苦手で、何が得られるかもわからない、面白いかどうかもわからない、そんなものに何時間もかけるのは自分には「無駄な時間」に思えていた。
でもなぜ今、自分は小説を読む時間を大切にするようになったのか。
変化を紐解いていたら、2つの理由が見えてきた。
1つ目は「ルーティン」だ。
会社勤めをしていた時はリモートだったので、毎朝支度をしてPCを開き、「始業します」と上長に報告していた。
今は朝15分、小説を読み終えたら仕事をはじめることにしている。
あれだけ面倒くさがっていたルーティンを、どこか根底では欲していた。
ルーティンとは「縛り」だ。自由になったからこそ、自分をどこかに縛り付けておくものを求めている気がする。

定期的に帰る場所がある、戻る場所がある。どんな形態で仕事をしていても、ルーティンの感覚は必要なのかもしれない。
ではなぜ私の場合、それが小説だったのだろうか。
紐解いてみると、それが「感情のチューニング」だったことに気がついた。
■感情をチューニングする
小説はまどろっこしい(もちろん小説にもよるが)。
1つの行動、それに至るまでの感情の変化が事細かに書いてある。まるで物語をスローモーションで見ているようだ。

仕事をしていると表面的な行動ばかりが目につく。そこに至るまでの感情の変化にまで、つぶさに関心を寄せているわけにはいかない。
その傾向は経営者になると加速する。行動を積み重ねた結果である「決断」が主な仕事になってくる。

決断の背景にある行動。行動の背景にある感情。
決断する場面が増えて、自分で行動することは減り、行動の背景にある感情の部分はもっと軽視してしまう。
自分の中で脳内シェアのバランスが崩れていく感覚を、私は無意識に抱いていた。

もちろん、これはまだ私が若輩経営者だから、かもしれない。
もしくは、経営とはそういうもの、かもしれない。
経営者にはサイコパス(感情の一部、特に他者への愛情や思いやりが欠如している人格)気質の人が多いと言われている背景には、この構造がある気もする。
私はまだ、この変化に脳が追いついていない。
自分の中から失われていく、感情の機微や繊細さの感覚を補う。脳を、心を、感情をチューニングする。
忙しさの中で「自分が飛ばしてきた時間」を取り戻せるのも、小説の魅力なのかもしれない。

私にとって「小説を読むこと」にはこんな意味があるのだと思う。
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