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『3つのひまわり』 平川恒太|《太陽の民》|さいたま国際芸術祭2020

遂に開催の運びとなった『さいたま国際芸術祭2020』。

そして早いもので閉幕までもうあと数日となってしまいました。
しかし有り難いことに、芸術祭の評価がとても高いらしく、日に日に来場者が増えて来ているという嬉しい状況に・・・!
(美術手帖のレビュー記事もぜひご覧ください!)

どんな背景で僕がキュレーターになり、そしてどんな考えでキュレーションしてきたかについて、下記にまとめました。

本エントリーでは、参加頂いた担当アーティストについて、ご紹介していきたいと思います。今回は、平川恒太|《太陽の民》についてご紹介します。

黒い時計

私が始めて平川恒太さんの作品を見たのは、2018年に森美術館で開催された「カタストロフ美術の力展」でした。

圧倒的なアートの圧を感じるような、社会に応答するアートの力を示された様な、すごい迫力のハイクオリティーな展覧会で、近年自分が見た中でも強烈に記憶に残る、素晴らしい展示だったのですが、その中でも自分の記憶に強く残っていた作品が、平川恒太《ブラックカラータイマー》でした。

108 個の電波時計に福島第一原子力発電所事故後に現地で従事した作業員の肖像が、黒い顔料で描かれています。関東に向けた電波の送信所が福島県双葉郡川内村にあることから、作品に電波時計が使用されています。作品タイトルは1960年代の人気テレビ番組「ウルトラシリーズ」でウルトラマンなどの主人公が活動できる時間制限を示すカラータイマーの引用。時計の秒針が108 本同時に奏でる「カチッ、カチッ」という音は、作業員の生の証である心音にも、また制限時間(=死)への秒読みのようにも聞こえます。

その展示の前だけ急に静謐な時間が過ぎていて、そしてものすごくミニマルな作品の黒一色の中にすごい奥行を感じた作品。

オノ・ヨーコ、宮島達男、畠山直哉、Chim↑Pomを始めとした世界的なアーティスト達が、東日本大震災やアメリカ同時多発テロ、リーマンショックなど世界各地で絶えず発生するカタストロフ(大惨事)を主題に、社会問題や災禍について力強く応答している作品が並んでいる中で、《ブラックカラータイマー》はそれらと同じ位強烈な社会への応答・東日本大震災への言及が込められつつも、まるで古美術の様な静けさが支配しているその空間は、僕には展示の中でも異彩を放っていた様に感じました。

それから時は過ぎ『さいたま国際芸術祭2020』でのキュレーション業務が本格化していた2019年。

こちらでも書かせて頂いた様に、僕のキュレーションの軸として持った

・世代交代を意識されたキュレーターの人選と合致するようなエマージングなキャリアで、
・各地のトリエンナーレで行われている展示とはまた違った展示になるようなオルタナティブな視点や作品を生み出す
・「共同幻想」というアイデアが想起できる

を念頭に、様々なアーティストをキュレーター会議に提案したりしながら参加アーティストが決まりつつあった中で、自分の中でもう一歩感を抱えていました。オルタナティブな視点で、新しいメディアをキャンバスに作品を創り上げているアーティストをキュレーション出来てきつつあるという自負があったと同時に、なにかこの芸術祭における自分のキュレーションの背骨がまだ提示出来ていないのではという不安を感じていたとも言えるかも知れません。例えば絵画の様な伝統的なアートのキャンバスに対して「共同幻想」をテーマにしたバキバキの現代アートを展開してくれるような、160㌔の剛速球を投げてくれるエマージングなアーティストに参画してもらえたらガッチリはまるという期待でもありました。

そんなときに、ふと西村裕二さんとランチする機会がありました。西村さんは、僕の前職の時の上司、というか雲の上の存在だった人。私が新卒で入社したAccenture戦略グループのリード(一番偉い人)を務めていた、僕の初めてのプロジェクトの最高責任者でもあった人。社長と平社員がサシでランチするみたいな感じなので、退職してから10年以上経っていてもなお緊張しつつ話していたら、「最近アートの会社を始めたんだよ」と言われる。

正直耳を疑いました(笑)。
Accentureみたいな外資コンサルで働いている人達で、表現活動の様な答えの無いものに興味を持つ人はものすごく少数派だったし、少なくとも私が退職の挨拶をした他の偉い人に、辞めてどこ行くの?他のコンサルファームとかに行くの?と聞かれて「東京藝大に進学します」と言ったときには、めーーーっちゃ馬鹿にされたのを今でも覚えています。

でも、その西村さんのアートの会社「ダイアート」の話を聞いているとかなり面白くて、さすがだなあとか、西村さんの様な人がアートとエクゼクティブをつないでくれるのはいいなあとか色々思いを巡らせながら興味深くお話聞いていたのですが(数字・ファクトをベースとした論理的思考に特化する戦略コンサルタントが、が、現代アートに未来を感じそれをサポートとしようという妙味については是非また違う機会でお話したいですが)、その中で関わっているアーティストの話になって出てきた名前が平川さん。その時「あっ・・・」と(大袈裟にいうと)天啓に打たれた気分になりました。そうだ、まさに平川さんなんじゃないかと。。。巨匠達が縦横無尽に作品を展開していた中に古美術の様な静謐でミニマルな外観/社会批評性を重層的なレイヤーで緻密に重ねた内面からなる、エマージングなのに老練な作品を制作しているアーティスト。もうこのために西村さんとランチする機会が配剤されたのかしらと思うほど。もう直ぐに西村さんに繋いで頂きました。

白い霧

どんな作品を平川さんが創り上げるのか、それは僕もとても楽しみでした。
普通に考えると、《ブラックカラータイマー》を作った平川さんに、カラフルでハッピーなイメージが先行する「花」をモチーフに制作を依頼するって意味わからないと思われるかもしれません。最初話を聞いた平川さんも「え??」って思ったかも知れません。しかしながら僕のキュレーションの狙いを理解してもらえて、僕なんかでは思いつかない様な凄い作品を創り上げる様な同世代の人はきっと平川さんだと謎に確信していました。

しかも、今回の芸術祭の舞台が旧大宮区役所という、もともと区役所として利用されていた場所を居抜きで会場にするというかなり特別な芸術祭なので、《ブラックカラータイマー》を含め、記憶のケイショウ(継承、形象、警鐘)をテーマに、絵画を中心とした制作を行ってきた平川さんには腕が鳴るはず!とも思いました。

実際、平川さんは、旧大宮区役所の歴史やそこに展示されていた圓鍔勝三の銅像などの綿密なリサーチから制作をスタートし、作品の方向性を固めて行きました。リサーチの上で固まったコンセプトや、主なモチーフとなる「銅像」「霧」「ひまわり」を初めて聞いたときは内心は驚きとともにワクワクしました。《ブラックカラータイマー》から引き継がれるものもあるものの、本作では区役所の日常や歴史を纏う圓鍔勝三の「銅像」を白い「霧」が覆い隠すようなコンセプトに、新境地を感じました。黒から白へ。でもそのモノトーンは想定・期待していたことではありましたが、まさか「ひまわり」というカラフルでPOPな花そのものを直球で持ってくるとは思ってもみませんでした。しかし話を聞けば聞くほど、そこに籠められた作品のレイヤーの重層性に心を奪われました。こんなに慣れ親しんでいるけどハイコンテクストな作品になるなんて、160㌔の剛速球を投げ込まれたような気がします。

完成した作品は、
①圓鍔勝三の銅像・区役所で利用されていた什器・ひまわり人形、白い霧からなるインスタレーション
②ひまわりの絵画
③ひまわりの顔ハメパネル
の3つのひまわりから囲まれる空間でそれぞれ鑑賞していただく作品になりました。

鑑賞いただければ伝わると思いますが、本当に、旧大宮区役所でしか展示できないサイトスペシフィックな、旧大宮区役所の記憶のケイショウを行なった作品になっていると思います。

特に①にて、一日に一回立ち籠めて、そして薄らいでゆく白い霧が、一体何をケイショウしているのか、ぜひ思いを巡らせて頂きたいと思います。
*会場のキャプションの1つにヒントが隠されているので、ご来場の際にはぜひ御注目ください!

《太陽の民》

ひまわりの花は太陽を求め同じ方向を向きます。しかし、その向くべき象徴がいつも良いものとは限りません。

作品の概要はこちらの芸術祭のHPにまとめてありますが、
キュレーターとして書かせて頂いたキャプションはこちら。

記憶のケイショウをテーマに、絵画を中心とした制作を行う平川恒太。
本芸術祭では、芸術祭のテーマである「花」の向日葵をモチーフに、会場となる旧大宮区役所でかつて使われていた什器や、展示されていた圓鍔勝三による彫刻作品で構成される霧のインスタレーション、絵画、立体作品などで囲まれた空間を起点にケイショウを行います。
旧大宮区役所が建設された1966 年は、政界で「黒い霧事件」が問題になった年でもあります。
行政の現場である区役所、戦前から戦後に至る中で作品テーマが変遷する圓鍔勝三の彫刻、太陽を向いて一斉に咲き誇る向日葵、そして霧。絶えず形を変え変化し続ける我々の社会の中で、1966 年から2020 年に一体何がケイショウされているのかを考えさせられます。
目に見えるもの/見えないものの両面から、人々の記憶にアプローチする本作は、枯山水の庭園に通じるものを感じることでしょう。

①圓鍔勝三の銅像・区役所で利用されていた什器・ひまわり人形、白い霧からなるインスタレーション
②ひまわりの絵画
③ひまわりの顔ハメパネル

の3つのひまわりから囲まれる鑑賞空間。こんなにひまわりに囲まれる事ある!?って感じですが、①〜③の鑑賞の流れにも物語を感じてもらえるはずです。あくまで僕の個人的な感覚では、龍安寺石庭を強く想起しました。①は、濃くなったり薄くなったりする霧の中のインスタレーションを見て理解しようとする訳ですが、その真反対には、(残念ながらコロナ禍の為、顔ハメは禁止となりましたが)あなたもひまわり人間になってインスタ映えできるスポットがある。それは、15個(7+5+3)の石を全て一度に見ることが出来ない石庭と、その反対側にある「吾唯足知」と刻まれたつくばいの関係性に似ている気がしています。

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いや〜、しかしエメリッヒ展の様にインスタ映えがアートを席巻したように《太陽の民》の顔ハメがタイムラインを埋め尽くす様になったら面白いなあとか、逆に顔ハメパネルなのに誰にも顔ハメされなかったとしてもそれもそれで意味があるなあとかすごく、《太陽の民 顔ハメパネル》の反応を楽しみしていたので、コロナで展示だけになってしまったのは残念でなりません。

そして、最後にやはりこの話題にも少し触れます。
「ひまわり」を描く事ってそれはそれだけでアーティストのとって挑戦なのだと思うのです。花がテーマの芸術祭でひまわりをそのまま持ってくる事自体が胆力の要ることな気がしましたが、ひまわりってそれだけでなくてやっぱりかのゴッホ、そしてゴーギャンという歴史的な2名の巨匠の代表的な作品となっているモチーフなんですから。

なにかそんな2人のレジェンドとも対峙する気概を纏う《太陽の民》ですが、
ひまわりという花が持つ生物的な意味性や、日本と欧州それぞれで違う社会的意味性などを捉え、ひまわりの表徴を再構築することに成功した。そんな作品になっているのではないかと思います。そんな観点でもぜひとも見に来て頂きたいと思います。

有り難いことに、NHKを始めメディアでも取り上げられています。

芸術家の平川恒太さんは、彫刻などを置いた密室の中を白い霧で満たし、見えにくくするという作品を出展。「コロナで先が見えない今の状況と重ねて見てほしい」と話した。

このサイトスペシフィックな作品が見れるのは本当に本当に11月15日までです。
芸術祭後の巡回展とか絶対できないはず
Don't miss it!

平川恒太

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絵画を中心に制作。絵画史や戦争画、歴史画などを題材に、現代の社会を描き出す。大きなテーマに「記憶のケイショウ」があり、絵画やアートでなければ、ケイショウ(継承、形象、警鐘)できない記憶と忘却を表現する。
主な展覧会に、個展「死の島(続)」un petit GARAGE(東京、2018)、グループ展に「カタストロフと美術のちから展」森美術館(東京、2018)などがある。 
http://hirakawa-studio.sub.jp

〜他の担当作品ご紹介〜


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大高健志@MOTION GALLERY
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