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見知らぬ人に「ちょっと」ものを聞くって簡単じゃない。

以前、ぼくの奥さんが女性だけの集まりに出かけました。それぞれが食べ物を持ち寄ったのですが、そこで知り合ったある人の料理が美味しかったので、「このレシピを教えてくれますか?」と気軽に言ったら、「これはお金を払った料理教室で習ったので、簡単に教えられません」と言われたそうです。

奥さんは、それ以上のことを言わなかったですが、自分が悪いことを言ったように受けとめられたことに合点がいかなかったと話してくれました。

というのも、レストランで美味しい料理に出逢い、シェフに「これ、どうやって作るのですか」と聞いたとき、多くの場合は気持ちよく教えてくれます。もちろん、すべてを教えるのではなく、ある部分は「教えきれない」わけですが、そう無碍に「これは企業秘密です」とは言わないものです。

プロの世界でさえそうなのに、料理を賞賛する意図もこめた「これ、美味しい!どうやって作るのですか?」を知財を侵す非常識な人が如くに思われてしまう。お世辞が通じない相手と解釈した方が良い面もあるだろうし、動画で多くのレシピが公開されているなかでトレンドに鈍いとも感じます。

他方、ソーシャルメディアを眺めていると、「自分の文章がそのままコピペされていた」とか、「まったく知らない人からメールで、○○のことを教えてくれと軽く頼まれた。こちらが投資した時間とお金のことを考えているのか!」という怒りの投稿をよく目にします。

確かに失礼な輩が多いのは世の常です。

イタリアのことやデザインのことで知らない人から質問を受ける、あるいは人生相談の類は日常的にあるので、ぼくもなるべく答えられることは答えます。そうしたことに慣れていても、愕然とすることはあります。

あるメディアに書いた記事がそのまま大きな団体で行うプロジェクトの企画書にコピペされ、ぼくの名前も記載されていないことがありました。しかも、その団体の人はぼくに向かって「こういう風に書きました」と悪びれた風もなく説明するのです。

知的財産というものをどう考えているのか?と疑問を抱きました。むこうは「使ってやった」くらいに考えているのかもしれないです。ぼくの知る限り、こういう経験は何度かあります。知らないところで、もっと起きているのでしょう。

こうした「事件」の特徴は、必ずしも予算や倫理的に問題のある人だから起こるということではない、ということです。普通の人、しかも大きな組織の人が平然と行うことが少なくないのです

ですから、この「コピペ」や「ただで人にものを聞く」ことについて、ぼくも怒ったり、愕然とするだけでなく、もしかしたら自分も同じようなことをしているかもしれないと思うようになりました。

冒頭の例でいえば、うちの奥さんが良く知っている友人であれば、気楽に教えてくれたでしょう。あるいは、逆に友人になりたいから教えてくれる、とのパターンもあります。だから、「教えられない」と断った人は、奥さんと友人になりたくないと思ったのかもしれません。それにしても、ちょっと人に何かを尋ねるのに、そんなにも神経を遣わないといけないのか?との思いも残ります。

ただ、ポイントは、「ちょっと」の程度と中身に隠れているのです。

同じ分野で熟知する同士であれば、その「ちょっと」が、決して「ちょっと」ではないことが推察できます。ですから、相手に尋ねる際、微妙なことをうまくかわしながらアプローチします。その配慮を相手も分かるから、気持ちよく教えられるだけでなく、質問の当事者の意図が自分の知識なりの向上に貢献したりするのです。

しかし、まったくの素人からの「ちょっと」の質問は、説明をするのに苦労するのです。かつ誤解される可能性も極めて高い。確かに、この分野を知らない人がどう当該分野を捉えるのか?との好奇心を満たしてくれることはあります。しかし、それ以上に結果的に何か良いことがあるの?と思ってしまうことが多い、ということです。だから「ちょっと」がトラブルのネタになるのです。

また、別の観点があります。

この考察は、友人である、知り合いであるというケースは除きます。人間関係のないところで、他人に何を頼んで良いのか、または何かを頼む際にはどういうお礼をすれば良いのか、という判断は極めて難しいという話をしているのです。

これはぼくの経験ですが、それなりに社会的な地位にある人に何かを教えてくれと頼む場合、逆にお金での謝礼は失礼だと思われることがあります。「そんなはした金のために、あなたの質問に答えるのではない」と。

ソーシャルメディアで書かれているコメントには経済的報酬を考慮すべきと書かれていることが多いですが、経済的報酬という次元に入ると、今度は「高い」「安い」という話になります。

わずかな報酬で情報の共有がハッピーに完結すると思われたのではたまらない、ということです。それは何らかの社会的な貢献につながるとか、またはこの情報の共有自体が本人にとって有益であることが求められるのです。

「ちょっと」見知らぬ人に尋ねる仕方、みたいな本を書いたらどうなのでしょうね?


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