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世界を放浪することで殻を壊し、軸を得る

海外の体験がビジネスで大成する転機となる

日本経済新聞の人気コンテンツである「私の履歴書」などで、ビジネス界の巨人の半生を観ていると「海外での体験」が人生の転機となった事例を見かけることが少なくない。世界を観て回ることが価値観を変え、帰国後に取り組む大きな変革の原動力となる。例えば、信越化学工業前会長の金川千尋氏は、ポーランドの愛国者との出会いを鮮明に覚えていると語る。

一方で、海外旅行が好きで頻繁に旅に出る人やバックパッカーが、変革を推進するリーダーになるかというとそうでもない。同じ世界を観て回るのでも、変革のリーダーと普通の旅行者では何が異なるのか。本稿では、日経COMEMOの募集企画「#ビジネスに効く旅行」に沿って考察していきたい。

プロフェッショナルとして、世界を回って殻を壊す

海外での体験が一皮むけた経験となり、大成した人物として有名なのは建築家の安藤忠雄氏だろう。建築家を目指し、経済的な理由で大学に通うことができなかった安藤氏は独学で勉強をしながら、水谷頴介氏の建築設計事務所や木工家具の製作でのアルバイトをして過ごしていた。小田実の『なんでも見てやろう』、五木寛之の『青年は荒野をめざす』を読んだ青年時代の安藤氏は、1965年、24歳のときに、世界を見て回ろうと、横浜港からナホトカに渡り、シベリア鉄道で一路ヨーロッパを目指す貧乏旅行に出る。4年間で2度、世界放浪の旅に出るが、その目的は世界の名建築を自分の目で観ることであり、1日15時間歩き続けたこともあったという。この時の経験が、「世
界のアンドー」の発想力と実行力を生み出す原体験となっていると語る。

世界での体験が切っ掛けで事業アイデアに結び付いたケースもある。メルカリの創業者である山田 進太郎氏だ。山田氏は学生時代に楽天でのインターンシップを経験した後、大学を卒業してアプリ開発会社のウノウを立ち上げる。2010年にウノウをアメリカのソーシャルゲーム会社ジンガに売却をしたのち、半年間の世界一周の旅に出る。そこで、「地球資源が限られているなかで新興国の全員が先進国と同じように豊かに暮らすことは難しいことだ」「テクノロジーの力で限りある地球資源をなめらかに循環させることができるのでは」と考えて立ち上げたのが、フリマアプリ「メルカリ」だ。

安藤氏は建築家、山田氏はIT起業家のプロフェッショナルという視点と問題意識を持ちながら、世界を旅する中で、新たな価値観を得て、変革を起こすための軸を獲得している。

10代後半の世界での放浪体験が人生の軸を作る

それでは、まずは国内でプロフェッショナルとなることが、海外での体験をビジネスに活かすのに肝要かというと、必ずしもそうではない。プロフェッショナルとして自分の道を見つける前に世界を旅することが、その後の人生に大きな影響を与えたビジネスパーソンも多い。特に、10代後半の将来について本当に何も決まっていない状態で海外を旅した経験が活きていると語る事例を2つ紹介したい。

1つは、バルミューダの創業者 寺尾 玄氏だ。寺尾氏は高校を中退して、単身、地中海沿いを巡り放浪の旅を1年間する。特にスペイン南部、アンダルシア地方のロンダを愛し、そこを拠点として過ごした。この度で見たものが、寺尾氏にとって、「美しい」という感覚のベースになっていると語る。

もう1つの事例は、株式会社People first 代表取締役で、元LIXILグループ執行役副社長を務めた八木 洋介氏だ。八木氏の大切にしていることとして、『軸を生きる』をキーワードに自分の人生をつくっていると述べる。そして、その軸の中で最も重要だと語るのが「逃げるな負けるな」だ。この価値観を、八木氏は高校卒業後に大学に進学せず、シベリア鉄道に乗ってヨーロッパでバックパッカーとして過ごし、テントに住んでいたときに学んだという。バックパッカーとしての生活は辛く、自分は「あほや」、逃げるとこんな嫌な思いをする、だから逃げないようにしようと、自分の軸が内から出てきた

寺尾氏と八木氏は、高校生の時に単身、世界を旅した経験から、自分の価値観を見出している。自分は何者かというアイデンティティが固まる前の十代後半で、世界を旅するという経験が価値観の形成に大きな影響を及ぼした。

同様の、高校卒業前後のタイミングでの年単位での海外の旅がキャリアに良い影響を与えたという話は、欧米で耳にする機会が多い。例えば、ロンドンの大学で教鞭をとるフィンランド人の友人は、徴兵代替として参加したNGOのボランティア活動で世界を巡った経験がアイデンティティの形成に役立ったという。フィンランドでは男性は基本的に兵役義務があるが、362日間のボランティア活動に従事することで代替も可能だ(代替するのは5%弱しかいないが)。また、ギャップイヤーも近年では大学卒業後ではなく、高校卒業してから大学が始まるまでの間にとって、その間に世界を巡るというケースが増えている。このときの経験が、アイデンティティの形成に及ぼす影響は大きい。

ビジネスを活かす旅はアイデンティティの固まり具合で変わる

これらの事例からは、海外での体験をビジネスに生かすには、アイデンティティの固まり具合と強く影響をしているように感じられる。前者2つの事例では、プロとしてアイデンティティが固まってから世界を巡り、自分の殻を壊すことで新しい価値観を獲得している。後者2つの事例では、アイデンティティがまったく定まっていない10代の海外での体験が、価値観の形成に影響を与えた。

ここから見えてくることは、海外での体験が活きるのは、価値観の0→1に生きるということだ。プロとして殻を壊すのは、芋虫が蝶へと完全変態するのに似ている。完全変態するための蛹の期間として、世界を巡ることが、美しい蝶へと羽化することに繋がる。10代での海外の体験は、それこそ一から価値観を作り、アイデンティティを固めることに活きる。

私たちは、つい、20代のキャリアを歩み始めたばかりの時に「自分探し」と称して世界を旅したり、仕事の息抜きとして海外旅行に興じてしまいがちだ。しかし、ビジネスに効くという観点からみると、自分が何者かを探す旅に出るのであれば、できるだけ価値観が固まっていない若い時ほど良い。もしくは、自分が何のプロフェッショナルとして生きていくのかという軸を定めてから海外に出るべきだ。そうすると、ビジネスに効く旅とは、出張ではない自費の旅行でも仕事と切り離すべきではないということになる。

半熟卵のように進むべき道がある程度決まっているのに煮え切らない状態で自分探しをしたり、仕事とプライベートは別と割り切った旅行体験から、ビジネスに効く旅を見つけ出すのは難しいだろう。


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