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自分で自分の仕事を名付けるという生き方(フリーランスという働き方の本質)

3月に入りました。大学では2020年分の採点や成績の提出が終わり、学生たちの運命、特に大学4年生たちにとっては大きな人生の分岐点が訪れる4月が目の前に迫っています。教員としては送り出すのが嬉しくもあり、また不安でもあります。今から自らの「旅路」をついに始める学生たちが、仕事始めの大変な時期をなんとかうまく乗り越えてくれることを祈るような気持ちになります。

さて、そんな学生たちとたまに話すのが、比較的レアケースと言えるであろう僕のキャリア形成のあり方です。大学教員としては、日々彼らの目の前で、他の先生たちと同じように授業をしている一教員なんですが、一方において、写真家をやり、企業や自治体のビジュアルコンサルをやり、時々はライターだったり、たまに新聞やテレビにも出てくる。この人は一体どういう道筋を経て、今のこの奇妙なキャリアに辿り着いたのだろうか、そう不思議に思って相談したくなるのかもしれません。

そんなあれこれの話を思い返しているときに、ちょうど日経COMEMOから、今月のお題が発表されました。まるで名前を呼ばれているかのような以下のお題。「フリーランスだからできること」、ちょうどこの数年、よく学生に話してきたことなので、この機会に一度まとめて書いてみます。

1. 結論「フリーランスとは、自分の仕事を自ら名付けることのできる存在である」

すでに長い前振りを書いてしまったので、今日は最初に結論を書いておきます。フリーランスとは、自分の生き方や働き方を自ら名付けることのできる存在である、というのが今日の結論です。それが意味するのは、「名付け」という行為が本質的に内包している「世界の拡張効果」が、この縮小を余儀なくされている日本の社会状況において、新しい労働価値創出の可能性を与えるということなんです。これが今回の結論です。

2.社会的状況の後押し

上の結論についてもう少し詳しく書く前に、フリーランスという働き方が社会的に浸透してきた背景を簡単に書いておきます。日経COMEMOの記事を読んでくださる読者の皆さんには、釈迦に説法かもしれませんが、僕の記事は学生たちも割と見てくれているので、その彼らへの目配せとして。

この10年ほどで、フリーランスで働くということの意味合いは大きく変わったと思います。それは社会環境的にもそうですし、法的にもそうでしょう。2000年代に入る頃までは、日本では企業に属するサラリーマン的な生計の立て方が大勢を占めていたように記憶していますが、崩壊したバブル経済への対策として小泉改革に伴う新自由主義的な経済価値が入り込んでくると、フリーランスは徐々に増え始めるようになります。それに伴い、フリーランスを再定義し、働き方をサポートする法律が整備され、社会的な認知も進んできたのが2010年代頃だったでしょうか。こうした傾向に更なる大きな転換をもたらしたのは、皮肉にも2020年のコロナ禍です。こんな記事が先月の日経に出ていました。

記事の中で指摘されているように、コロナ禍においてリモートワークが進み、総労働時間が減ると、それに伴った減収を補うために副業としてフリーランスを選ぶ方が増えました。さらに記事から引用すると、こんなことが書かれています。

窮余の一策というだけではありません。企業競争力強化に生かそうと考える企業もあります。みずほフィナンシャルグループは19年10月に解禁し、現在約200人が副業しています。閉じた社内環境では均一の人材しか育たないとの危機感でした。社外で武者修行し、その貴重な経験や情報を本業に生かそうという狙いです。(上記記事より引用)

社員の副業を単なる減収を補うためのものではなく、本体である「雇用主」の側も、この危機にあって外で働いた経験を社内にフィードバックしてくれることに可能性を感じていることが書かれています。つまり、コロナ禍における個人の窮状と、会社の窮状との両方をリスクヘッジするという部分において、利害が一致したからこそ、フリーランスとしての副業が肯定的に捉えられ、増えていったという背景があります。

ただ、この経緯だとまだまだ「主従」の関係性の中に副業やフリーランスが置かれてしまっています。主である「会社」や「法人」へのフィードバックが期待される形で、副業やフリーランスが位置付けられているからです。それはもちろん、仕方のないことでもあります。というのは、副業ではなく、「本業」としてフリーランスを選ぼうとすると、現在の日本においてはまだまだ法的なセーフティーネットが整備されていないからです。詳しくは下記の記事をご覧ください。

こうした分野では、日本より常に数歩先を進む欧州では、フリーランス的な労働形態も社会保障の枠組みで考える議論が進んでいますが、日本においてはまだまだ不十分です。だからこそ、いまだにフリーランスを「本業」として選ぶのではなく、あくまで「主」がある「従」、つまり副業の選択肢の一つとして選ぶような形が、今の日本だとまだリスクの少ない選び方になります。

3.本業としてのフリーランス

そんな中で、僕はおそらく、20代の中盤あたりから、おそらくフリーランス的な仕事の形態を意識的に選んできた「本業としてのフリーランス」だったろうと思うのです。そして率直に言いますが、20代から30代の「一つの仕事に専従しているフリーランス」だった頃、つまり大学や高校や中学、塾や予備校の講師という、いわゆる「教員」だけでやっていた頃は、本当に大変だったし、「主」として雇ってくれるところを探そうかなと思ったことも何度かありました。

この時のことを振り返ると、僕は多分「フリーランス」という働き方の強みを、全く活かせていなかったのです。そのような状況下にあって、最終的に固定の就職先を選ばなかったこと(何度かいわゆる「専任教員」の道はありましたが、最終的には辞退することになりました)には、理由があります。それは、もう一つの仕事が加わったからです。それが「写真業」です。

僕がどういうふうに教員という仕事に写真が加わったのかの経緯は、先日ある程度詳しく書いたので、そちらをご覧ください。

たまたま手にした半壊のカメラから、一応大きな企業や日本各地の自治体さんとのお仕事を引き受けるに至るまでになる流れは、一言で言えば「ただの偶然」なんですが、それでもその偶然の中から生まれた働き方、つまり「本業としての複数のフリーランス」という働き方は、自分の蒙を啓いてくれることになりました。上で僕は、「「フリーランス」という働き方の強みを、全く活かせていなかった」と書きましたが、それはフリーランスであるにもかかわらず、既存の枠組みの中でしか自分の専門や技能を活かせていなかったという、その点に尽きます。そこに「写真」という、全くこれまでとは違う形でもう一つの仕事が加わることによって、元々の「教員」や「研究者」としての仕事のあり方を相対化し、自分のキャリアを見つめ直す機会を得ました。

そうした反省から生まれた最大の発見こそ、最初に結論として書いたこと、すなわち「仕事の肩書きが人生を作るのではなく、自分自身が自分の仕事を定義づけ、価値を生み出すのが、フリーランスなんだ」ということです。これはもしかしたら多くの人にとっては当たり前のことだったのかもしれません。でも、それまで「所属や肩書き」=「社会人としての自分」だと無意識下に刷り込まれていた30代中盤までの「労働観」からは、180度ひっくり返る気づきでした。

ここから僕は、「その間」という生き方を模索し始めます。それもまた、上の記事に書きました。引用させていただきますね。

「その間」というのは、二つのキャリアの間に広がる空間のことです。僕は文学研究者としても二流で、写真家としても三流でした。そのどちらにおいても、一流の本物たちの凄まじい成果には追いつけないことは、自分自身でよくわかります。ただ、この二つのキャリアを、リアルタイムに、最前線近くでやれている人は少ないはずなんです。つまり僕は「文学研究者」としてのキャリアも、「写真家」としてのキャリアも、それぞれを相対化できる位置に自分を置くことができる。それこそ「その間」という考え方ですし、そして僕はそれをよく「獣道」に喩えます。

「獣道」は、例えば国道や県道のように番号を振られているわけではなく、また地域の愛称がついているわけではありません。たまたま獣によって踏み分けられた、「名前のない道」に過ぎません。だからそこに名付けを行う必要がある。でも実態の伴わない名前をつけても意味がありません。その道にふさわしい「名付け」を行わなければ、誰もそれを道とは認識してくれないでしょう。そう、その「名付け」に意味を与え、人がそれを「道」として認識してくれるためには、自分が自分の仕事を表現し、形作り、成果をあげ、認知を作っていかなくてはいけない。そして、そのような一連の「名付け」へと至る行為こそが、「フリーランスという働き方」の本質であるのだと、そう気づきました。

4. パイを奪い合うのではなく、作り出す

このように考えた時、フリーランスという働き方の大きな美点にも気づきます。それは、人の仕事を奪う可能性が比較的少ないということです。フリーランスが、自らを他者と差異化する中で、誰も歩いていないであろう「獣道」を名付けながら、歩ける場所を増やしていけるような働き方なのだとすると、本通りや大通りですでに働いている誰かのパイを奪わずに済みます。もちろん、全くゼロではないにせよ、少なくとも血で血を争うような「少ないパイの取り合い」や「残り少ない椅子取りゲーム」に参加する必要が少なくなります。

僕は一応写真家というクリエイターの端くれに所属しているのですが、クリエイターにとってはこれは本当に死活問題の一つです。人から奪ったパイは、やがて誰かに奪われるのが運命というものです。

であるなら、パイを奪うのではなく、そのパイがより大きなサイズになるように、周りに隠れている道を見つけて、その踏み分け道を作り出すことに力を注いだほうがいい。多分その場所は、まだあまり多くの人が歩いていないから、僕を含めて数人、数十人が歩いたって、パイの奪い合いが発生する可能性も少ないでしょう。そのように考えるならば、フリーランスが自らの仕事を「名付け」ることは、いわば、「世界と社会の拡張」であるのだと考えられるのではないか、そう思うのです。

5. まとめ

以上が今回の「フリーランスだからこそできること」というお題への、いちフリーランサーとしての回答になります。

おそらく今後10年の間に、所属先の肩書きが人生の主軸になるような時代は緩やかに終わりを告げていくだろうという予測しています。コロナによって推進された、場所に縛られない働き方の可能性は、一度提示されると、もう「なかったこと」にはできなないでしょう。であれば、そのような働き方に最適化することのできるフリーランス的な雇用形態は拡大していくはずです。そして、自分のキャリアを自ら名付け、新たな価値を創出していく雇用の形が徐々に広がっていくのでしょう。

もちろん、今のこの過渡期においては、上で引用した日経の記事のように、フリーランスという働き方を本業にするのは、未だリスクが大きいのが現状です。ゼロリスクなんてものは夢想で、生きて働くこと自体リスクをはらんでいるとはよく言うのですが、今の時点ではむしろセーフティネットや社会保障さえ自らなんとかしないといけない労働環境になりますので、声を大きくして「フリーランス最高!」とまではいえない状況です。

それでも、自分の人生の大半を占める労働という問題に関して、常に自分自身で方向性を問いながら、草道を踏み分けるように未来を拓いていく行程は、自分の人生を他の誰でもない自分のものとして生きている実感を与えてくれます。そのような働き方が今後さらに許され、守られ、社会全体の需要度が上がっていく先では、より創発的な労働環境が作られていくのではないかと、そう思っております。

またさらにその先を見据えるなら、この流れは、例えば近未来におけるAIによる職の減少と言うネガティブな要因までもが、人間にとっては実はポジティブな形で働く可能性を示唆してくれるかもしれません。生きるためにどうしてもやらなくてはならないエッセンシャルワークをAIやロボットが代替するような社会が本当に来るとするならば、その時人間は、自分のやりたい仕事を自ら名づける世界を手に入れることができるのではないか、そんなことも夢想していますが、それはまだもう少し先を見ないといけませんね。

6. 冒頭の写真について
今回から、日経COMEMOに投稿する際に使っている冒頭の写真について、簡単なキャプションをつけることにします。興味を持っていただいたら、ぜひコロナ収束後に足を運んでみてください。地方の観光地は本当に疲弊しているので。

今日の写真は三重県の鈴鹿市にある「鈴鹿の森庭園」というところの、日本最大級の「枝垂れ梅」の写真です。そう、桜ではないです。梅なんです。実際にこのクラスの梅を目の前にすると、声を失ってしまいます。それほど凄まじい梅の庭園なので、いつかぜひ。下は引き気味の構図で撮影した写真。すごいですよね。

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#日経COMEMO #フリーランスだからできること

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別所隆弘 / Takahiro Bessho

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フォトグラファー。アメリカ文学研究者。滋賀、京都を中心とした”Around The Lake”というテーマでの撮影がライフワーク。インスタはこちら: https://www.instagram.com/takahiro_bessho/