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構造を理解しないと無駄な負け戦をする

恋愛なんて平等なものではありません。
そんなことはみんな薄々気付いていたでしょ。まあ、恋愛どころかこの世の中平等でなんかあるわけがないのだが、その辺は置いておいて恋愛の話をば。

男も女もモテる奴は一部。その一部の恋愛強者に集中する。よって、恋愛は1対1になんかならない。一部の強者総取り現象になります。わかりやすくいえば、浮気、二股三股ということです。

ただ、そうした状態も「若気の至り」で若い時期だけのヤンチャで終了していれば問題はなかったが、そうでなくなったことが現在の少子化につながっているというお話です。

少子化は婚姻減によるものですし、恋愛結婚が9割を占める現代では恋愛は結婚と連動します。よって、恋愛が減ると少子化になります。

この恋愛減について、「恋愛離れ」だの「草食化」だのと、若者の価値観の問題にすりかえる論が間違っているのは、自由恋愛市場における構造の問題を全く考慮にいれてないことです。
3割の恋愛強者が結婚して市場から順繰りに離脱しない限り、残りの7割が割を食う構造。本人の価値観とか努力の問題などというフワフワした話にせず、客観的な構造の問題としてとらえることが重要です。

まずは、東洋経済の連載に書いた記事をお読みください。

なぜ恋人のいる独身人口に男女で大きな差があるかの答えもここにあります。出生性比の5%分を除けば、少なくとも全女性の5%、恋人がいると思っている女性のうちの17%は相手の男性に二股以上かけられているか、あなた自身が単なる浮気相手か、相手の男が既婚者です。

要するに、恋愛強者がいつまでも独身で無双しているから、弱者の出番が回ってこないという構造が今の未婚化を作っている。

ところが、こうした現実に対して、大抵の女性は「私の彼氏は大丈夫」と聞く耳を持たない。それはそれでいいのですが、そうして女性として一番モテる時期である20代を二股浮気野郎と過ごして、時間を無駄にする女性も少なくはない。

一方、非モテの男は大抵「そら、そうだよねえ、そういうもんだよねえ」ともはや俗世から離れた仙人のような境地に達しているのが多い。その達観ぶりもまあいいのだが。

しかし、どうしても恋愛して結婚したいと思うのならば、そうした現実にどう適応するかを考えた方がいい。

「ようし、一部の恋愛強者の足を引っ張るか」

それは間違い。恋愛強者の足を引っ張ったところで、強者は強者のままである。たとえ評判が地に落ちても、逆に女子からは「可哀想、私がなんとかしてあげなくちゃ」となり、余計にモテるだけだ。

むしろ、モテない男はモテる男をどんどん結婚の方向にもっていけばよいのです。もちろん、既婚者となっても浮気する奴はする。が、おもしろいもので、上記のように「可哀想」という女子でも、相手が「結婚しました」となれば、さっと引くものである。内面の感情は別にして、既婚者と時間を無駄にしている暇はないからである。

つまりは、自分の周囲のモテる男をどんどん早めに結婚させていくことが巡り巡って自分のためになる。弱者は強者と戦う必要はない。どうせ勝てないんだから、だったら早々と強者は別のフィールドへ昇ってもらえばいいだけ。残った者同士で戦うならもしかしたら勝機はある。
構造を理解すると、そうした自分の行動の指針が産まれます。


さて、ヤフーの記事のほうに以下のコメントがつきました。

なかなか面白い考察だと思う、確かに恋愛強者3割・中間4割・弱者3割は昔から変わらずあるだろう。 でも強者が早期に結婚する事で下の7割の繰り上がりが生じて、皆が結婚出来ていたかというと、そこは違うんじゃないかな。 昭和の中頃までは、適齢期になっても結婚しないと、親や周りが縁組を取り決めて結婚させていた、言ってみれば弱者救済が行われていて、皆結婚時代となっていただけだ。 比率的に恋愛強者と化した人が、次々と恋愛結婚していたわけじゃない。 昭和後期以降は意に沿わぬ結婚は時代錯誤と言って廃れたが、それによって弱者救済が無くなり、そのまま独身となっただけだ。 恋愛弱者や結婚願望が希薄な者は、嫌がっても無理やりにでも結婚させないと、結婚しない。

昭和の皆婚を支えていたのが弱者救済の仕組みであることはその通り。だが、その昭和の皆婚時代でさえ、お見合いで結婚した割合はせいぜい7割だった(明治大正期は8割)。つまり、そんな時代でも3割の恋愛強者は自力恋愛結婚してたわけです。

また、皆婚がお見合いなどのお膳立て婚で成立したなんて話は当たり前の話としてとっくに私は記事化している。

そもそも婚姻減少は、お見合いと職場結婚というふたつの社会的お膳立てシステムが減少した分だけ減っているという事実ね。その論説は自民党の政策会議も無断でパクッて使っていますし、経産省も資料として使っている(こっちはちゃんと許諾の連絡してきたが)。

しかし、だからといって今更お見合い結婚を復活させようとしたって無理でしょう。社会環境が自由恋愛結婚という市場に変わっている以上、そんな昭和の時代の話に戻しても意味はない。

ちなみに、日本も戦前一度自由恋愛市場にいきかけた時もあった、大正後期から昭和の頭にかけて。事実、その頃に婚姻が減り続けた。

1927年(昭和2年)の読売新聞にこんな記事がある。

男はともかせぎ 女はお金持ちを望む この頃の結婚希望者希望がちぐはぐでなかなかまとまらぬ

これは、無理な注文ばかりを勝手に並びたてる独身男女に結婚媒介所の人たちが呆れかえっているという記事である。

具体的にいえば、まず、女性側の要望では「学歴などはあまり重視しない。勿論バカでは困るが(原文ママ)、財産さえあれば少々教育程度が低くても我慢する。なぜなら、結婚後はさっさと仕事をやめて主婦として家庭におさまりたいから。さらに条件はそれだけではなく、兄弟姉妹が多くないこと、容貌体格がすぐれていること」まであげている。

男性側も負けていない。「第一に容貌の美しい事、第二に職業婦人である事」をあげて譲らない。つまり、稼ぎのない専業主婦は真っ平御免だというのである。

100年前も今もたいして変わらない。100年前になんでそんなことになっていたというと、第一次大戦後の好景気から1929年の世界恐慌によって世の中不景気になたからです。そのあたりも現代と酷似している。

しかし、富国強兵を国是としていた国は当然「これじゃいかん」となるわけで、やったのが、1930年にはじまる結婚斡旋所の国営化。しかし、それでも婚姻は増えないので、1941年には、町や村の自治体単位や職場単位での結婚を推奨する「結婚報国会」というものが作られ、もはや「結婚しない奴は非国民」扱いという同調圧力を作る方向へ舵を切る。当時、もはや政府の御用メディアに成り下がっていた朝日新聞も大いにそれを喧伝した。有名な「産めよ殖やせよ」という文言で記事を出したのは朝日新聞(1942/8/30付け)である。

ポイントは、政府が政策として何か躍起になったって戦前ですら結婚を増やすことはできなかったが、同調圧力の強化をした途端に成果が出たこと。かくも人間が大きく影響受ける環境とは「世間の目」という構造なのである。

ちなみに、厚生省が陸軍の中から設立されたのが1937年で、なぜ陸軍発の厚生省が躍起だったかといえば兵隊さんを作るためである。

そんな戦争のために人を作るような時代に戻せと言うつもりは毛頭ないし、戻るはずもない。しかし、こうした社会構造の力で結婚や出生も人々の心もいとも簡単に操作されてしまうことがあるということは肝に銘じておく必要がある。

但し、構造の力は逆に人々の心を豊かにし、文化を作り出すこともある。絶対悪ではない。

「構造主義の祖」レヴィ・ストロースによる日本文化への視点がとてもおもしろい本です。


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荒川和久/独身研究家・コラムニスト
長年の会社勤めを辞めて、文筆家として独立しました。これからは、皆さまの支援が直接生活費になります。なにとぞサポートいただけると大変助かります。よろしくお願いします。