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規制の説明責任を求めよう。民主主義社会に生きているのだから。

「規制」というと、なんとなくただの「決まり事」と漠然と捉えてはいないでしょうか。「規制緩和」=良いこと、「規制に縛られる」=つまらないやつ、というくらいのイメージでしか考えないのが、日常というものかもしれません。が、規制のあり方を考えるというのは、大げさでなく、政府の役割・あり方を考えることであり、そこに監視の目を向けていくというのはその社会の一員として果たすべき義務なのだと思います。行動経済学者で、オバマ政権の規制改革を担ったキャス・サスティーンの言葉を借りれば「規制の費用対効果分析と民主主義政府は補完的関係にある」訳です。

今の原子力規制は、福島原子力事故後根底から見直され、いろいろな意味で進歩したと思います(もちろん、これで十分という慢心は許されません)。原子力発電所の安全性が以前より飛躍的に高まっているのは確かですし(これだけのコストと時間かけて対策をしているのですから当たり前ですが)、組織体制も根底から見直され、関わる人員も増えました。ただ、最も重要な「規制のフィロソフィー」のようなものが欠けているのではないかと思っています。

エネルギーは国民全部が「お客さま」です。事業者だけでなく、規制機関も、お客さまにちゃんと向き合っていますか?と問いたい。説明責任とは、youtubeで審査会合の様子をただ流したり、記者会見でなんとなくの説明をすればよいわけではないのです。規制に関わる行政機関には、規制によって何を守るのか、規制による時間的・経済的コスト負担を社会にどこまで求めるのかを説明する義務があるわけです。

原子力の稼働に賛成でも反対でも、それは人それぞれのお考えですが、それと規制行政を監視するということは、別だと思っています。日本では規制を「お上が決めたルール」くらいにしか思わない向きもありますし、「原子力発電所を動かす規制委員会なんていらない」なんていう言葉を聞くと、規制はそもそも何のためかと悩んでしまいますが、改めて考えてみると、規制のあり方を考えることは、自分たちの社会が引き受けるリスクとメリットをどう考えるかの覚悟に関わる問題だなと思いました。

テロ対策施設の安全対策を例に書きました。ご一読頂けたら。


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