ポスト新幹線時代の交通網を地方から
鉄道路線の廃止のニュースが相次いだ。
いずれも、自然災害が引き金となって、復旧させる見込みがないままとなっていたものだ。後者の気仙沼線・大船渡線の一部は、すでにバス高速輸送システム(BRT)に切り替えて運行されているので、現状を追認した形になる。
公共交通機関としての鉄道の役割は、特に雪国では降雪時の安定輸送確保の観点で、なかなか自動車交通では代替しがたいものがあることは理解できるし、慣れ親しんだものを失うことへの抵抗感も、もちろんそうだ。
一方で、モビリティに関する動きが、こうした鉄道路線の存廃に関する議論に反映されていないように思える点が気になっている。鉄道路線として維持することをやめる代わりに、最新のモビリティに関する動向を踏まえることで、従来の鉄道路線の維持では実現できないベネフィットを沿線の住民や市町村に提供できるのだとしたら、単純に鉄道を失うということではなく、新しいモビリティの仕組みと従来の鉄道を比較する中で、どちらがよいか選択する、という意識に変われるのではないだろうか。
たとえば、すでにある鉄道の線路跡を自動運転が可能な専用道路として整備し、そこに定期列車に相当する自動運転バスを時刻表に従って走らせるだけでなく、スマートフォンを使える利用者であれば、オンデマンドの自動運転バス(車両はいわゆるバスではなくワゴン車的なものかもしれないが)を24時間利用できるのだとしたら、鉄道よりも利便性が高まるのではないだろうか。また、この専用道路に、やはり自動運転の貨物車両(トラックや、あるいは客貨混載の自動車)を走らせられるのであれば、ローカル線ではすでに取り扱いがなくなっている貨物輸送についても鉄道代替のモビリティシステムが担うことができ、例えば宅配事業者の人手不足を緩和しつつ、夜間輸送などを通じて配送スピードを向上させることが出来るなら、住民の生活利便性を向上させられるのではないか。
さらには、無人コンビニの機能を備えた車両が、一定の周期で「各駅停車」のように、一定時間「駅」に相当する場所に停車していれば、コンビニ過疎地の問題も解消できる。将来的に遠隔医療が実現するなら、無人の簡易診療車が同様に巡回して、無医村問題を解消することも出来るだろう。そこまでいくと、単に交通・モビリティの領域にとどまらず、都市計画の領域との複合的なソリューションとして、地方問題の包括的な解決を図れる可能性を秘めていると思う。
残念ながら、現状の鉄道の存廃議論には、少なくても記事を読む限りでは、そうした構想や将来像が盛り込まれている気配がない。
これはローカル線に限らず、整備新幹線の議論でも感じることだ。
新幹線が登場したのは1964年、当時として世界的にも画期的な構想であり、その成功が欧州の高速鉄道整備のきっかけとなったといわれ、今や欧州では高速鉄道網の発達により、鉄道の環境負荷の低さも相まって、飛行機を利用することを恥だとする「飛び恥(FLYgskam(フリュグスカム)」という言葉すら生み出している。これは、日本の新幹線に端を発するイノベーションの成果であると考えてよいと思う。
ただし、新幹線が登場したのは、すでに半世紀以上も昔のことである。いつまでも新幹線にこだわって、十分な需要が見込めるとはいいがたい路線にまで導入しようとするのだとすれば、それは残念なことだと思う。
新幹線が都市間輸送に画期的なイノベーションをもたらしたように、今度は、地方の交通問題を日本発でイノベーティブに解決する手法を見つけ出し、再び世界が真似るような手本を見出していく時期にあるのではないだろうか。
そのチャンスが、存亡の岐路に立たされているローカル線とその沿線市町村に与えられていると思うのだ。次のチャンスは、日本の都市部ではなく、地方にあると思っている。
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