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「つくる」と「広げる」 〜ビジネスとアートの交差点で考える、これからのマネジメント

お疲れさまです、uni'que若宮です。

僕はITベンチャーを経営していますが、アートとビジネスを混ぜるプロジェクトを仕掛けたり、アートやアーティストとの接点を意識的に持つようにしています。

もちろん「アートが好き」というのが大前提にあるのですが、アーティストとの協働やアートからの触発によって価値観がアップデートされることが、経営者としてもモチベーションになっています。

なので今日は、アートとの交わりから日々学んでいることについて書きたいと思います。(以下「アートは」とか「ビジネスでは」とか主語が大きく類型化の危うさがあるのですが、文意をシンプルにするためなのでご容赦ください)


パフォーマンスの出力のちがい

アーティストと協働してみるとまず思うことは、アーティストといわゆるビジネスパーソンのパフォーマンスの出し方にはかなりちがいがある、ということです。個人差もありますし、商習慣や環境のちがいもありますが、資質として統計的に有意な違いがある気がします。

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ビジネスのパフォーマンスの出し方は「積み上げ型」です。「PDCA」というように、計画を立てコンスタントに着々と進捗していくことに慣れています。

一方、アーティストのパフォーマンスはもっとムラがある

一見進捗していないような時期が続き、ある時ぐわっとパフォーマンスが高まり、急激にフェーズが変わります。この時のアーティストの集中力たるやすごいもので、体感でいうと最大出力が常人の10倍くらいある感じです。


かつて大企業にいた頃に、飯野賢治という今は亡き天才と仕事をしたことがありますが、この頃はまだクリエイターとの仕事に慣れていなかったので苦労しました。なにが苦労したって、会社の偉い人含めだいぶ前からスケジュール調整した会議を当日になってドタキャンしたりするのです。それも「PCがどっかいっちゃって連絡できなかった」とか「差し歯がなくなっちゃって」とか、子供みたいな理由で笑

会議だけではなく、締切りもあんまり守ってくれません。今日までですよ!といくらメールをしても音沙汰なし。うーん、、、と困っていると、夜中の2時とかに個人のメールに「あ、降りてきた」とかいってぶわーーーーーーっと大量のアウトプットが送られてくる。

最初はだらしない人だなあ、とも思ったのですが、間近でみているうち、実は誰よりも価値にシビアなのだ、と気づきました。誰よりもアウトプットにこだわっているから、中途半端な段階で見せるのがいやだったのでしょう。(偉い人はなんだかんだ余計な評論しますし。とはいえ、社内では怒り出すひともいて、間にいる身としてはヒヤヒヤしました笑)

createとは本来「0から1を生み出す」ということですが、それは「いちどき」に起こるものです。ビッグバンも「光あれ」もじわじわと起こったのではありません。そういう、凝集して強烈な光になるような「点」の仕事の感じがアーティストにはあります。

一方ビジネスでは「継続」が大事であり、いわば「線」の仕事です。

このように、パフォーマンスの出方や時間軸がちがいます。アーティストのアウトプットへのこだわりや執拗さは多くのビジネスパーソンによい刺激になりますが、このちがいを理解していないと、ビジネス側からは「約束を守らない」とか不平が出ますし、アーティスト側からは「細かいことにうるさい」と文句が出ます。


「ことば」のちがい

アーティストとビジネスの人が協働するともう一つ、「ことば」がちがって噛み合わない、ということがあります。アーティストの言葉は、しばしばとても「個的なことば」だからです。

言葉はそもそも、他者と意思疎通するためにつくられた共通の記号であり、最大公約数的で抽象的です。言葉は、体験を十全に語るには常に足りません。「赤」と一口にいっても無限のグラデーションがあり、その色を他者と完全に共有することはできません。でも、その事を忘れてなんとなく「わかったつもりになる」のが言葉です。

しかしアーティストはしばしば最大公約数より深いレベルに行こうとします。詩がそうであるように、アーティストは自分の内的体験を伝えるために、しばしば「共通のことば」を逸脱します。すると「共通言語」で話すのに慣れている人たちは「???」となってしまう。

こうした「ことば」のちがいは、しばしばビジネスとアートの間に断絶や衝突・混乱を生じさせます。「ことば」という同じツールを使っていても片方は個に向かい、他方は共通理解に向かっているので擦り合わないのです。
しかし「個のことば」といっても、アートは単に個に閉じた自己満足ではありません。記号的・情報的に伝えるのではありませんが、「個的なことば」は個を掘り下げるからこそ、深く身体的な次元で伝わる触発の強度をもつのです。多くの人がアートやパフォーマンスをみて、うまく言語化できないけれど鳥肌が立つほど圧倒された経験があるでしょう。それは「共通のことば」とはちがう形で他者に働きかけるのです。

アーティストとの協働の際、ビジネスの人が気をつけなければいけないのは、「個の言葉」を無理やり自分たちに理解可能なものに分解しようとしないことです。解剖し切り刻むうち命が壊れてしまうように、「分ける」=「分かる」ことを求めすぎるとアートの生きた強度を殺してしまうことがあります。分析的に分かるかではなく、(ホリスティックに)強度で価値をみとめるスタンスが大事です。


「つくる」と「広げる」

「点」と「線」、「個の言葉」と「共通の言葉」、という対照的な性質をまとめて、アートは「つくる」人、ビジネスは「広げる」人という言い方もできるかもしれません。

0→1、1→10、10→100という言い方がありますが、ビジネスはみつかった価値や発明を「スケール」可能なものへと広げていくフェーズが大部分であり、どちらかというと得意です。量産化したり、それを「広」告して多くの人に届けたり、利益を投資して増やしたり。「効率化」や「再現」そして「最大化」は「広げる」というビジネスの価値行為の根幹であり、だからこそ「共通言語」が必要なのです。

一方、アートは「つくる」という価値行為です。もちろん生み出すまでの試行錯誤のプロセスはあるわけですがそれが作品に結晶する瞬間は「点」であり、そこにすごいエネルギーが凝集します。そしてつくられる作品は基本的に「一点もの」です。アーティストは「つくる」ことに集中するけれども、その一方で「広げる」のが苦手な人も多いようです。


マネージャーのちがい

「マネージャー」の存在もビジネスとアートでは結構ちがいます。ビジネスではマネージャーが「表」に立ち、アートでは「裏」方にまわります。

たとえば、ビジネスの世界では、経営者がその会社の「顔」になり、プロジェクトの発表では担当よりも部のトップが前に出ることが圧倒的に多いでしょう。マネージャーが「上司」と訳されるように、ビジネスの世界では最前線にいる「現場の担当」よりも手を動かさないマネージャーの方が「上」という感覚があります。

一方アートの世界では、マネージャーは裏方です。美大にもアートマネジメントコースがありますが、マネジメントよりもアーティストを目指す人のほうが圧倒的に多いでしょう。ビジネスの世界とは真逆で、アートの世界では「つくる」個の「タレント(才能)」がメインで、つくる才能がない人がマネジメントに回る、というヒエラルキーすらある気もします。


マネジメントについて、ビジネスがアートから学ぶこと

「個の時代」と言われて久しいですが、ビジネスの世界では手を動かすメンバーよりもまだまだマネージャーの方が「えらい」という感覚が残っています。

これからのマネジメントは「管理」ではなく「活用」にならなければいけないとよくいっているのですが、

「活用」時代のマネジメントは、アーティストのマネージャーのように、個のタレントが最大限発揮され、価値が最大化するように「裏方」としてサポートする仕事になってきます。

たとえば弊社ではコロナ禍をきっかけに「leap2live」という、アーティストがオンラインでライブパフォーマンスをするプロジェクトを始めたのですが、

これはビジネスとして考えると、お客さんから注文を得てアーティストに「スタッフ」として働いてもらいサービスを提供している、UberEats的な事業と考えられなくもありません。

でももちろん、このプロジェクトではアーティストを「いちスタッフ」のようには考えません。そもそもライブパフォーマンスの価値の源泉はアーティストにあり、それのみがこのleap2liveの価値です。ですから、マネジメントは徹底して裏方となり、アーティストの価値機会をできるだけ増やし、アーティストが得る対価をできるだけ増やすにはどうしたらいいか、と考えサポートしています。

で、考えてみれば企業も本来はそういうものではないか、と思ったのです。プロジェクトを通じてメンバーのバリューを最大化し、その対価としてメンバーになるべくお金を還元する。アーティストのマネージャーがアーティスト価値を最大化するために働くように、企業やマネージャーのために個があるのではなく、個を輝かせるために企業やマネージャーがいる。

(もちろん裏方はけっこう大変なこともあるのですが笑)アーティストとの協働から、「異質さを活かして個の価値を増やす」というマネジメントを日々学んでいます。


工場型の時代が終わり、アートパラダイムでは新しいマネジメントが求められてきます。イノベーションのためには「ダイバーシティ」が求めれてきますが、そこで大事なのはデモグラフィックな多様性以上に、価値観の多様性です。ビジネスと異質な価値観をもつ、アーティストとの協働は「ダイバーシティ」のマネジメントへの絶好のスタディになる気がしています。(先日こちらの対談でも話したのですが、ビジネスのマネジメントをアップデートするためにアーティストとの協働の機会をもっと増やす取り組みもしていきたいと思っています)



マネジメントについて、アートがビジネスから学ぶこと

一方で、マネジメントについてはアート側がビジネスから学ぶこともあると思っています。

まず、アート界はビジネス界とは逆にもうすこし「マネジメント」や「マネージャー」という役割をリスペクトしてもいいのでは、という気がします。作品でも公演でも、アーティストが前に出るし、アーティストはアーティストをリスペクトしがちですが(これはビジネスではマネージャー同士はリスペクトするけどプレイヤーを軽視するのに似ています)、アーティストがベストパフォーマンスをできるのはマネージャーがいてこそですし、アーティストがもっと活躍するためにも日本ではこれからもっともっとアートマネジメントを担う人が出てこないとだめだと思っています。

その時に重要なのは、価値をどう「広げて」いくか、という継続的な視点です。ゴッホが巨匠になるためには、テオそしてヨハンナが必要だったように、「つくる」だけでアートの価値が成立するわけではありません。それを「広げる」ことも必要です。それがどういう価値をもつのか、「共通言語」への翻訳もしながら伝える。そしてその価値を高めるために誰に売るか、あるいはどう値付けをするのか。それに「サステナブル」に持続するためにはコストとのバランスもしっかりとっていく必要があります。

・どうやったら多くの人に価値を伝えられるか(プレゼンテーション、マーケティング)
・どうやったら価値や対価を高められるか(流通、ビジネスモデル)
・どうやったら長く続けていけるか(収支のバランス)

こういう点は、ビジネスのマネジメントが日々考えていることでもあります。

最近、「人文資源の6次産業化」という話をしているのですが、

農作物をつくるだけではなく、ジャムとして加工したり(2次産業)、レストランやECをしたり(3次産業)も、その果物の良さをより遠くまで届けるためには必要です。そしてこの2次産業化、3次産業の部分では、「つくる」人だけでなく「広げる」人の力も役に立つ部分なのですし、ビジネスのマネジメントから学べることだと思います。

(5/29にはこれからのアートの価値の「広げ方」ということについて、アーティストの内海さんと語るイベントも行いますので興味ある方はどうぞ)


アートとビジネスにはちがいもありますが、どちらが良いとか強いとかいうのではなく、お互いがお互いをリスペクトし、「触発」し合って、どちらものマネジメントをアップデートしていけたらいいなと思っています。

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