企業統治の進化は進むか?
2015年に東証がコーポレートガバナンスコードを導入してから10年近くがたち、取締役における社外取締役の割合は格段に高まった。その一方で、企業統治不全が問題を大きくする不祥事は、外形的にはガバナンス優等生とみられる企業においても後を絶たない。
この事情は、企業統治を正しく機能させるためには、見た目の整備にとどまらない踏み込んだ意識改革の必要性を示している。すなわち、取締役会が経営陣の執行を緊張感をもって監督できるかどうかは、女性や外国人が一定比率いるか、または社外取締役がスキルマトリックスをきれいに埋めているといった外形的な要件よりも、取締役会で「実のある議論ができているか」に左右されると考える。
実のある議論ができるためには、少なくとも二つの条件がそろわなくてはいけない。まず、社内と社外の人間では、どうしても情報の大きな非対称性が生じる。社内の事情に疎い社外取締役に現状を分かりやすく説明し、十分な消化の時間を設けることが大切だ。社外取締役はその情報を自らの経験に照らし合わせて、なるべく急所や盲点を突くような指摘を心掛けなくてはいけない。一方、社内側の取締役には、自分の出身部署の利益よりも全社を優先し、株主の視点で議論することが求められる。
さらにハードルが高いのが、心理的な問題だ。社外取締役は社長から受託を依頼されることも多く、なかなか経営陣の耳が痛い意見を言いにくい。外からの意見が言いやすいよう社外の割合を一定以上にすることはもちろんだが、何よりも企業側に「イエスマン」を排除する努力が必要だ。本音では、経営幹部にとっては、イエスマンで占められる取締役会ほど御しやすいものはない。したがって、自分を律するためにあえて痛いところを突くメンバーをそろえることには自然と葛藤があるだろうが、これができるかどうかで取締役会の質が決まる。
これら二つの条件を満たした上で、特に社外取締役にとっては、取締役会の役割はあくまで監督であり、経営そのものではないという自覚が必要だ。情報を十分にもった取締役会にとって、経営に入り込むことは誘惑が強いが、経営幹部との役割分担を常に意識した会話が求められる。
このように、取締役会を機能させるためのハードルはなかなか高い。しかし、企業統治の高度化のためには、外形を整えただけで満足してはならない。私たちは既に、取締役会に一層の自己チェックが求められる時代を生きている。