「情報の奴隷」みたいな人生を送らないために
情報が、大量に得られる時代になりました。ネットやSNSの発達により、一昔前には考えられなかったレベルの量の情報が日々あちらこちらで流通しています。まさに「まるで読みきれない、取得しきれない」量の情報が日々世の中にあふれている状況です。
しかしながら、情報が増えたぶんだけ人々が賢くなったかというと、どうも怪しい感じがします。本来であれば、たくさんの情報があれば、判断材料も増えてもっと正しい方に向かうことができるのではないのでしょうか。世の中も、もっともっと良くなっていくべきなのではないでしょうか。
残念ながら、それとは逆行するような動きも増えているのが現実です。自分に都合の良い情報だけに耳を傾け、都合の悪い情報には触れようともしない人は昔よりも増えているように見えます。
加工された情報だけを大量に取得して消費し、本当に自分の頭で考えようとはしない。そのような人々が大量に溢れ、極端な意見、極端な世界観を持つ人が「暴走」することが多くなったように感じます。本当に怖いですよね。
人間は、どうしても楽をしたがる性質を持っています。しかしこれは、「あなたは怠惰な人間だ!」と責められるべきという話ではないとも思ってます。正確に言うと、「人間の脳は、できるだけ楽をしようとする性質を持つ」ということです。
脳は、多くのエネルギーを消費します。だから脳はできるだけムダな労力を省き、楽して仕事をしようとします。これは、人類の歴史の中で、脳が選んできた生存戦略の一環だともいえるでしょう。
労力を使わずにできるだけ省エネで問題を処理するためには、「手っ取り早い解決策を採用する」ことになります。だから、自分で考えるよりも、そこらへんに転がっている情報にアクセスし、それに同調するだけの方がはるかに早くてリーズナブル。
これは一見、行動としては効率が良いように見えます。しかしこの状況は、自分が情報を取捨選択しているように見えて、実のところ「自分という人間を、情報にコントロールされている」状況であるとも見なせるでしょう。
実際、自覚はしていないものの、このような状態に陥っている人はとても増えているように思えます。そしてこの状態こそが、「情報の奴隷」です。これでは今後、ますます社会が深刻な状況に陥るのではと心配しています。
では、「情報の奴隷」にならないために、私たちはいったいどのようなことに気をつければ良いのでしょうか。
まずは、できるだけ「1次情報」に接するように努力することです。人から聞いた話や、ネットで閲覧できるような情報は、所詮は他人のフィルターを通したものでしかありません。情報のどこを省略してどこに重点を置くかはその情報を編集した人しだいですし、その結果が偏ったバイアスにまみれているケースも少なくないでしょう。
問題は、情報が文字としてまとめられて何かしらの媒体に載ると、いかにも「客観的で正しい情報」に見えてしまったりすることです。しかしそれはもちろんまやかしであり、他人がまとめたものを「事実を正確に反映しているのだろう」と鵜呑みにすることは極めて危険です。
本当のことを知りたければ、伝聞情報や編集情報だけを(大量に)取得して満足するのではなく、できるだけ情報ソースに近づいて、自分の目と耳で真実を知ろうとする、そういう姿勢を忘れてはいけないのだと思います。
そして、もうひとつ重要なのは、「極端すぎる情報や意見には警戒して臨む」ということだと思ってます。SNSで拡散される情報には、非常にセンセーショナルなものが増えています。「情報の拡散」という性質上、おのずと、極端で人の耳目を惹くような見出しや内容の情報が真っ先に広まってしまうのです。
だからみな、積極的に、情報をさらに先鋭化させようとします。その方が広まりやすいし、尖らせてシンプル化した方が、論点も明確になって人々に訴えやすいからです。この反面、公平で冷静な意見、解が見えない複雑で重要な意見はあまり世の中に拡散されず、どんどん脇へと追いやられてしまいます。
しかし、こういった意見や情報こそが本当に重要なはずです。情報を聞いて一瞬で脊髄反射してしまうような極端な態度ではなく、難しいけれど、重要なトピックについてじっくりと考え、時間をかけて自分の考えを醸成していくようなあり方。SNS社会だからこそ、このような態度が極めて重要なのだと思うのです。
そしてこれこそが、情報の奴隷に陥らず、自分の意志において正しく情報を活用するという生き方だと考えます。こういう生き方を、あらためて意識していかねば、と思ってます。
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