フェイクニュース問題に対抗する(今のところ唯一と思う)方法

選挙とフェイクニュースの関係

もはや、選挙とフェイクニュースないしジャンクニュースはセットになってしまった感がある。

有権者が正しく政治家の候補者に関する情報を入手し判断して票を投じる、ということが民主制の大前提であることを考えると、有権者の判断に影響を与える情報の正確性が担保されていない状態での選挙では、民主主義は機能しきれていない、ということになる。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO37274880S8A101C1000000/

フェイクニュースを考える2つのポイント

どうすれば正しい情報とそれに基づく判断ができるか、と考えると、次の2つのポイントがある。

・1)情報発信の正確性
・2)情報受信のリテラシー

いわゆるフェイクニュースの問題では、主に1)の点が議論されている。いかにして正確な情報を流通させるか、もっと正確に言うと、いかにして意図的に流される不正確な情報の流通を食い止めるか、という議論である。対処法として、(事後的な)情報の正確性チェックといったことが考えられるが、民主制を支える基本理念である「言論の自由」との兼ね合いで、非常に難しい問題をはらむ。事前に制限してしまうことで「検閲」に当たる可能性があり、恣意的な運用をすれば、権力を持つ者が自分に都合の悪い情報を流させないための口実にもなりうるからだ。また、いくら事後的に不正確な情報であるとわかっても、発信されてしまえば、後からそれが不正確であるといっても、ほとんど役に立たないことは誤報のお詫び告知を考えれば自明のことと思う。そして、仮にフェイクニュースの発信元が特定され何らかの形でそこからの情報が止められたとしても、別なサイトなりアカウントなりを作ってしまえば、世の中に流通するフェイクニュースの量が減ることはなく、いたちごっこになることは目に見えている。

そうなると、情報の受信者がいかにフェイクニュースを見分けられるか、と言う2)の点が、今後ますます重要になってくるのだと思うし、少なくても現時点では、そこにしかフェイクニュース問題に対処する方法はないように思われる。実際問題として、そうしたニュースの真偽を確かめることは非常に困難であるけれど、疑わしいニュースを見極め、そうした情報を判断材料として使うことを留保する、そのためにニュースを批判的懐疑的に見る力を持つ、ということが遠い道のりながらこの問題に対抗する方法なのではないだろうか。民主国家においては、すべての成人が選挙権を持つ以上、義務教育の段階でこうしたリテラシーに関する基礎的な知識を学ぶことが重要だと思うのだ。

カギは「一次情報」に関するリテラシー

では、どうやって見分ける力をつけるのか。カギは情報リテラシー、特に「一次情報」に関するリテラシーにあるのではないかと思う。「一次情報」というのは、実際に自分の目で見たり自分の耳で聞いたりなどして得た「生の情報」のこと。誰かが記事のように文字にしたり、番組など動画にしたりして、いわゆるコンテンツになったものは、一次情報ではない。そして、そうした「コンテンツ」を元に生成される、まとめサイトといったものの情報は、三次以下のものとなって、さらに精度が低くなる。これは「伝言ゲーム」を考えてみれば、言わずもがなのことだろう。まず、その情報が何次のものであるか、ということを意識するところから始めることが、改めて大切な時代になっていると感じる。

どのようにして、情報リテラシーを養うか

ではどのようにして、情報リテラシーを養うか。

一つは、実際に自分が見聞きしたことをまとめ、一次情報から二次情報=コンテンツを生成する経験を意識的に体験すること。この体験で、いかにコンテンツが生成される段階で削ぎ落とされる情報が多いか、またその過程で偽の情報が入り込む余地があることを学ぶと、ニュースコンテンツを慎重に批判的に受け止める能力の基礎になるのではないかと思う。学校であれば、(古くは)学級新聞といった校内メディアを作る経験を通じて、こうした実体験をさせることができるのではないだろうか。

また上記の「伝言ゲーム」は、生成されたコンテンツが簡単に変化してしまう現実を知る格好の方法で、まとめサイトといった一次情報からの距離があるものほど不正確で、意図的にせよそうでないにせよ、真実とは異なる情報が入り込む余地があることを理解する有効な手段ではないかと思う。

改めて「一次情報」という言葉の再認識を

「必要な情報は何でもwebにある」と言ってしまう大人が少なくないという事実が、こうした情報リテラシーの不足を象徴的に表している、と痛感しており、これではフェイクニュースを流す側の思うツボだ。これはネット以前でも「NHKニュースでそう言っていたから」「新聞に書いてあったから」正しいのだ、という発言がよく聞かれたことの延長線で、日本人全体のリテラシーは今も昔も、残念ながらさほど高くない、ということだろう。

フェイクニースの発信元は国内外あるのだと思うけれど、特に国外から何らかの意図を持って流される偽情報について注意しなければならない、というのは、永世中立国であるスイスで、政府が約50年前の1969年に国民向けに作成配布した「民間防衛」という本にもある項目(邦訳本あり)。インターネットによる情報流通が容易になった昨今では、なおさらその危険性は高くなっている。

こうした問題へのテクノロジーを用いた解決も出てくるのかもしれないが、今の時点ではまだそれに頼ることができない。「一次情報」という言葉自体あまり普段の生活で使われることがなく、情報リテラシーに関する系統だった教育も行われていないなか、少なくても情報を鵜呑みにせず、批判的・懐疑的に受け止める練習を早急にしていく必要がある、少なくても子供たちからだけでも、と感じている。

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