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遂に音声の時代が到来?PODCASTとの棲み分けを考える「Clubhouse」ブーム。

いやあ、めっちゃ流行ってますね「Clubhouse」。
FacebookやTwitterが上陸したときを思いだしてもこんなに急激に且つ熱狂的に広がってはなかったので、ちょっと久々に見た盛り上がり。もう「乗るしか無いこのビッグウェーブに!」という、かの名言が脳内リフレインします。

パリピでもITウェイ系起業家でもない僕にとっては「クラブ」という単語だけで既にひい〜〜〜って感じでしたが、習うより慣れろの精神で「Clubhouse」をやってみました。何故かっていえば、やっぱPODCAST番組を起ち上げた身としては音声メディアにめっちゃ興味津々だからですね。

なかなか実感出来なかった「音声の時代」

MOTIONGALLERYでは、昨年の緊急事態宣言時から、PODCAST番組をスタートしています。そろそろ1年が経ちます!

YOUTUBEなどの動画メディアだとどうしても短時間で耳目を集める派手さを求められるので、どうしても背伸びしている感覚を感じますが、刺激性を求めづらい音声メディアでは、そのありのままの姿で語りかける心地よいモードがある気がしています。その音声メディアの可能性をこれから探っていきたいと思います。

ステイホームで家での可処分時間が増え、且つながら作業でも楽しめるメディアとして音声メディアの到来は必須という思いもあり、且つその音声メディアがもつ

・テキストには無い、話しての生っぽさがつたわる(真実さ)
・ツイッターの様な短文コミュニケーションでは難しい丁寧な議論ができるので、文化や人文系の話がしやすい(深堀り)
・雑談ベースのゆるさ、耳だけ貸していればいい(安息感)

という特性が、どうしてもセンセーショナリズムに弱い文化系や人文系のテーマを発進できるWEBの手段が遂に出来るのではという感覚がありました。

「ミニシアター・エイド基金」を始めコロナ禍での様々なソーシャルアクションにも注力しているなかで、MOTIONGALLERYとしても短期的な経済性に軸足が寄っているいま、文化や哲学の側面からみた社会の話を発信していきたいなあという想いもあったので、PODCAST番組『MOTION GALLERY Crossing』を始めることにしました。

それから1年番組を発信してきて、毎回収録後に番組メンバーやパーソナリティの武田俊さんとディスカッションして、より深く面白い番組になるようにPDCAをぐるぐる回して来ました。大きく変わった事としては、

①番組構成
「人」を起点にゲスト選定し、2W1ゲスト制

「人」起点だとゲストのフォロワー数依存の番組になり質が下がると判断し、月刊で「テーマ」を選定し、ゲストも「テーマ」から発掘するように。
また、「テーマ」を深堀りする意義から4Wは1テーマに変更

②KPI
再生数

SPOTIFYサブスクライブ数

(何ヶ月かやってみてわかった事として、フォロワー数の多い方をゲストに呼ぶ✕ディスプレイ広告を出稿する、のコンボで再生数を稼げる事が判明!
ただそれは再生数を指標にし続けると、番組のクオリティーや伝えたいメッセージよりも、著名ゲストをお招きすることに注力してしまうようになってしまいそう。それではそもそもの番組のパーパスに反してしまう結果になるだろう。なので早期に再生数を増やす方向から脱却し、リスナーに喜んでもらえているかを指標としたいなと変更。現時点で考えられるのはSPOTIFYサブスクライブ数?に変更)

とかがありました。
そんな風に、音声メディアの特性・美点を最大限活かしたい、リスナーさんに如何に深く愛着を持っていただき、社会に雑音を増やすのではなく思考を増やすような番組にしていきたいとの想い。

ある意味「量」を捨てて「質」に頑張る判断をしたのかなとおもってはいますが、それでもお陰様で毎週数千人の方に聴いていただける番組に育って来ました。本当に嬉しい・・・・!感謝感激なのですが、一方でSNSで大きな話題になるわけではなく、みんな静かに聴いて頂いている感じ。嬉しいけどもいまいち手応えの実感が無い・・・((泣))!

なんか実感がほしいな!とか、そもそもそんなことを思ってちゃ駄目なのではとかぐるぐる考えていたのですが、よくよく見渡してみると『MOTION GALLERY Crossing』に限らず、他の人気PODCAST番組だったりVOICYとかの音声SNSなどがSNSで大きな話題になっていたり表立って熱狂されている現象はみたことないなと。う〜〜んそうか!まだまだ音声メディアは日本では黎明期なんだな、これからなんだなじっくりやっていくので間違いない!!と確信した矢先に、それを嘲笑うかのようにやつらが来た・・・・!

重要なのはコンテンツではなくコミュニケーションでしょ

何か勝手に一人で日本の音声市場について納得しかけてたタイミングで、
「は?ちげーよ」と言わんばかりに一気に爆発した音声メディアが爆誕。

その名も「Clubhouse」。
このアプリが何なのか、なにが凄いのかは既に分析している素晴らしい記事から御紹介。

Clubhouseを革新的にしているポイントをご紹介しておきたいと思います。
■自分がフォローしている人の音声チャットを気軽に聞くことができる
■スピーカーと聴衆が自由自在に入れ替わることができる
■基本的には顔出し実名制を前提としている
一つ一つの機能や特徴は、既存の音声系サービスやZoomでも実現されていることではあります。
ただ、この三つの機能の組み合わせと、それに特化した音声処理技術によりClubhouseは、
・人だかりのあるところに近づいてみる
・人だかりの中に知り合いがいるかどうかを見て、恐る恐る参加してみる
・話が面白かったら、自分も話したくなったときに手をあげる
・スピーカーが聴衆から手を挙げた人や面識のある人を壇上に上げる
というリアルのイベントやカンファレンスに近い体験を作り上げることに成功しているわけです。
文章中心ながら、twitterはこのバランスに優れていると感じる。基本の発想はオープンで、コンテンツの探索可能性に優れ、新しい関係構築などがしやすい設計でありつつ、クローズドなコミュニケーションにも持ち込める。
ゆえに「音声版twitter」は絶妙な表現。

実際に触ってみて感じたこととしても「音声版Twitter」というのがピッタリくるアプリだと思う。もしくはオンライン版井戸端会議アプリかしら。

これは中毒になる人が増えるのはとても納得だし、2人までの招待制という形で飢餓感や優越感を醸す手法も含めてプロダクト設計が完璧。アプリを入手する段階でも、希少性があるので先に初めてる人への羨望なり優越感が持てるし、かといって「招待してほしい!」みたいなコミュニケーションなど少しだけ「手に入れよう」と頑張ればなんとかなるというこの感じ。それはトークルームでも同じ。リスナーからスムーズにスピーカーに任命できる「オープンマイク」な設計でありつつ、明確に壇上は存在している。世にはネットサービスが溢れて、あちらからもこちらからもプッシュしてくるなかで、「頑張らなくては手に入らない」(頑張れば手に入る)アプリだったり檀上というのは、バンドワゴン効果が強烈に効くのでSNSであちこち話題になるよなあと思いました。

そして、そんな設計思想もそうですし、実際に繰り広げられている様々なルームを除いてみると、「Clubhouse」には、人は「コンテンツ」ではなく「コミュニケーション」を求めて人が集まって来ているんだなと実感しました。ZOOMは浸透したけど、顔出しを前提としたツールなわけだから、ちょっと適当な格好で適当に適当な内容の話をだべるみたいなことには全然向いてなくて、ステイホームでソーシャルディスタンスだから失われていた仕事の合間の井戸端会議をきままにするにはハードルが高かった。そんな心のスキマにすっと入ってきた。

今更なながら、コミュニケーションの場であるSNSで話題になるのってやっぱそこにコミュニケーションがあるからな訳で、ポッドキャスト番組という「コンテンツ」がそんなに言の葉としてSNSで表に現れづらく、「コミュニケーション」が売り物である「Clubhouse」がSNSで話題になるのは当たり前な違いですね。今更気付いた自分のセンスの無さがヤヴァい((泣))。

そんな大きな違いはありつつも、とにかくいつくるかくるかといわれていた「音声」のマーケットが急激に浸透したことは間違いなくて、音声市場に未来を感じたそんな数日でした。てか数日ですよ数日。本当凄い。

それでも、むしろPODCAST番組の時代の到来の前触れになるかもしれないと思う3つの理由

少なくともコロナ禍が終了するまでは、この「Clubhouse」の利用拡大の波はもう収まることはないだろうな、そんな凄い勢いを感じている。
それによって、もう完全に日本での音声市場の広がりも凄まじい勢いになっていくんではないだろうか。

なので、僕として知りたいのは、「Clubhouse」が今後も広がるかではなく、「Clubhouse」が広がった世界で、PODCAST市場も釣られて広がってくれるのかという点。

同じ音声サービスではあるけど、コミュニケーションとコンテンツという体験の違いが大きくあるので、PODCASTにどう影響あるんだろうかと考えています。

因みに、clubhouseの1日だけやってみた所感として、clubhouseの素晴らしさや美点はほうぼうでもう凄く語り尽くされているので、逆に気になった点だけ挙げてみると、clubhouseが「FOMO」とそれによる「中毒性」に優れたプロダクトだなと体感しつつ、すでにclubhouse疲れを起こしました(笑)。やっぱ自分はコミュニケーション強者でもパリピでもないんだなあとまたまた実感したわけですが、なんで疲れたかというところを振り返ってみると、ルームに入っても喋らなくちゃいけなくなるかもの緊張感が少なからずあったりしたのかなと思います。特に少人数で開催されているルームに限ってめっちゃ話している内容が面白そうなんだけど、全参加者がスピーカーになっているからここに入るとマイク渡されそうで入れない(笑)!とか。

そんな風に振り返ると、やっぱこの熱狂感とか没入感とか沼にハマっちゃった感じ(作業しててもちょこちょこアプリを起動してしまう・・・)って、TWITTERの初期に感じた感覚に近い気がします。そして自分がTWITTERに感じた疲れとか辞めた理由にも共通する感じがした。

また、テキスト以上にルームの「質」の評価を会話内容で行うアルゴリズムの組み方はむずかしいはずなので、多分評価軸(優先的に露出などをプッシュするロジック)が、視聴者数とかフォロワー数という「規模」ではありつつづけるだろうし、且つその数はほぼツイッターのソーシャルグラフを引っ張ってきているプロダクト設計だから、日本においては結局TWITTERと変わらない世界観に落ち着きそうだなとも思いました。

SNSの様なコミュニケーションサービスだと、初期にサービスを使い倒す「アーリーアダプター」がそのサービスの文化を創ると思うのですが、「アーリーアダプター」って本当はスクールカーストでいうところの”nerd”のイメージだったりして、テックでギークでそれを基盤にした先見性でいち早く本質的に”来る”サービスを使いこなし、スクールカーストをひっくり返す。そんなのがITドリームだったはずなんだけど、日本でいうところの「アーリーアダプター」ってスクールカーストでいうところ実はJOCKsな人達だよなというのは常々思っていて、それこそ日本では「アーリーアダプター」といわれる人たちが集ってワイワイしているNEWSPICKSのオピニオン陣のやりとりが「男子校の部室」といわれれる事ってまさにそのことを端的に表していると思うんですよね。あの港区感、新しい世代によるカウンターカルチャー風味なんだけど実はゴテゴテの”おじさん”な価値感が幅利かせている感じが馴染めないなあと思っていたところがTWITTERに疲れちゃったところだったりしますが、そろそろそのソーシャルグラフとは別の世界も生まれてもいいよね、それって音声だよねと思っていたら早くも日本でのclubhouseはJOCKsな方々に大通りの一等地を抑えられちゃった感はあります。

ちなみに僕にclubhouseに招待してくれた武田さんの感想も近い感じだった。僕よりも端的に客観的に纏まっているので、体験記として是非おすすめです。

とグダグタ書いてみましたが、そんな雑感から思うに、近い将来、むしろこのclubhouseのブームのおかげで、ラジオライクなPODCASTの良さが凄い見直される気がしても来てます。たった一日の体験でなに語ってんだとは自分でも思いますが、願望も籠めつつそう思う理由を3つに纏めてみます。

①音声メディアを作業しながら聴くという習慣だったり体験が「clubhouse」によって爆増する事がまちがいない。
「APPLE PODCAST」含めて、これまでの音声メディアってやはり相当強くその番組を聞きたいという欲求がユーザー側にないとなかなかシームレスに自然に日常化するには少しハードルがあったからか、なかなかPODCASTが盛り上がり切らなかったのは、音声メディアと生活するという体験や習慣が一般的に着きづらかったり、その接点がなかなかなかった。ラジオを聞きながら作業する習慣を持っているひとが多いデザイナーさんとかはかなりPODCASTを聴いている人がおおかったので、やっぱこの習慣みたいなのが「clubhouse」で広がることは大きいと思う。

②そのうちチルアウトへの渇望も出てくるとPODCASTという音声メディアの価値が高まってくる
どれだけ「clubhouse」が流行っても、PODCASTの体験や導線とは違う。
しかも多分日本の「clubhouse」でこれから流行るルームっておそらくJOCKsな感じのものになっていくだろう。だから「clubhouse」が流行ればPODCASTも広がるというのは暴論だと思う。それでもやっぱり最終的には音声メディアの本質的な良い面はチルアウト感なはず。ビジネスノウハウみたいなアドレナリンが出る様な方向のコミュニケーションって音声でなくても溢れている中だからこそ、音声に触れれば触れる程、音声だからこそ得られるチルアウト感やじっくりゆったり深ぼる読書の様な体験が求めらていくはず。「clubhouse」疲れが広がったときに、きっとその内そんな使い方も「clubhouse」でてくるんじゃないかと思う。そしてその時には、何か「マイクを握らなきゃ」「マイクを渡されるかも」という高揚感だったり義務感から開放された、聞きたい人の話しをゆったり聴くだけ、そしてそこではゆったり深い話しがされている見たいなPODCAST、もっとちゃんというとそれこそラジオへの回帰がはじまるのではないかと思う。

③1等地が空いてなくても、裏通りの隠れ家はある
とはいえ、「clubhouse」でのtwitter的コミュニケーションに盛り上がり、疲れ、そして音声メディア自体から離脱してしまう人が殆どになっちゃうと、いくら「clubhouse」が盛り上がっても、PODCASTにも触れてくれる人が増えない((泣))。だから「clubhouse」からPODCAST的なものへとの”橋”があるといいな。
早くも日本でのclubhouseはJOCKsな方々に大通りの一等地を抑えられちゃった感はあります。ただ、「clubhouse」に来ている人みんながJOCKsなわけではないはずだし、これまでの社会でも人文系クラスターとかは一等地より裏道に隠れ家を立てることで輝きを放ってきた歴史があるわけなので、きっとそんな裏通りで目立たないとはいえそんな隠れ家が「clubhouse」にしっかりと存在していれば、増えた音声と触れる人たちのなかで深堀りや安息感を求め始めたチルアウト難民が来てくれるはず・・・!因みに昨日は映画について語るルームに入っていたけど結構盛り上がってもいました。

たった一日で疲れを感じさせる程の没入感とか中毒感を起こさせるなんて凄いアプリとなっているclubhouseには称賛しかないのは間違いないので、ウォールストリートをみて云々いわずに、我々は橋を渡ってダンボに居を構えるぞの意気込みで、clubhouseでも人文系のクラスターやアートや映画などの話が盛り上がるコミュニティも作っていきたいなと思いました。

そんな大義名分を掲げつつ(笑)、ルームを作って話してみることにしました。

1月29日21時から、番組パーソナリティの武田さんと、ここで書いたような音声メディアの未来について話します。

1月30日20時からは、さいたま国際芸術祭でキュレーターとしてご一緒したインビジブルのお二人と、コロナ禍を経てこれからのアートとかアートアワードについてお話します。

非JOCKsな方々集いましょう(笑)!
最後にこんな「clubhouse」の使われ方、ぱねーと感激とともに抱腹絶倒したルームに出会ったので御紹介。その名も「ピカチュウしかいない部屋」
まじで、参加者が「ピカピーーーカ!」みたいないピカチュウ語?以外一切発さない部屋でした。また出会いたいこんなルーム。






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大高健志@MOTION GALLERY
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